大正初恋浪漫譚ー陸軍少尉と婚約は突然にー
やがて、二人の道が分かれる辻に差しかかった。
「じゃあ、私、行くわね」
「ああ。裁縫の稽古、頑張れよ」
「言われなくても!」
小春はそう言い返すと、くるりと背を向けた。
数歩進んだところで、思い出したように振り返る。
「律も、寄り道ばかりしていないで、ちゃんとお勉強するのよ!」
「はいはい。小春先生には敵いませんな」
「もう!」
小春は笑いながら手を振り、葛城家へ続く道を歩いていった。
その後ろ姿が角を曲がり、見えなくなるまで、律はその場に立っていた。
やがて、小さく息を吐く。
先ほどまで浮かべていた笑みは、もうなかった。
――ずいぶん、よく見てるんだな。
自分が口にした言葉が、耳の奥に残っている。
小春はもう、千紘という男のことを何も知らないわけではない。
優しさも、誠実さも、軍人としての強さも、その奥にある不器用ささえも、少しずつ見つけ始めている。
これからも二人で時間を重ねていくのだろう。
小春は千紘を知り、千紘もまた小春を知っていく。
その先に何があるのか、律にはわからない。
ただ、小春が自分の知らない誰かを知り、その人に心を寄せていくかもしれないということが、たまらなく寂しかった。