大正初恋浪漫譚ー軍人少尉と婚約は突然にー
第二章 知らないあなた
翌朝、小春はいつもより少し早く目を覚ました。
障子の向こうから、春の柔らかな陽射しが差し込んでいる。
庭では小鳥がさえずり、どこからか花の香りを含んだ風が流れてきた。
いつもと何ら変わらない朝だった。
けれど、小春の胸の内だけは、昨日までと少しばかり違っていた。
――葛城千紘少尉。
ふと、その名が頭をよぎる。
小春は布団の上で膝を抱え、ううん、と小さく唸った。
「……どうして、あんなことになってしまったのかしら」
そもそも、自分はまだ十七歳なのだ。
女学校に通い、友人たちと他愛もない話をして、帰り道には季節の花を眺める。そんな日々が、まだまだ続くものだと思っていた。
それなのに、突然持ち上がった縁談。
相手は伯爵家の嫡男で、陸軍少尉。
年齢も自分と六歳離れた大人の男性。
家柄も申し分なく、父も兄も、この縁談には前向きだった。
けれど。
「……肝心の私が、何も知らないのよね」
昨日、顔を合わせた千紘の姿が浮かぶ。
きちんと整えられた軍服。
背筋の伸びた立ち姿。
落ち着いた物腰に、礼儀正しい言葉遣い。
いかにも立派な軍人、といった印象だった。
けれど、それだけだ。
何が好きなのか。何を考えているのか。
どんなときに笑い、どんなことに腹を立てるのか。
小春は、彼について何一つ知らなかった。
「……あの方と、夫婦になるの?」
口にしてみると、途端に現実味が増した。
小春は慌てて首を振る。
いけない、いけない。
まだ決まったわけではないのだから。