大正初恋浪漫譚ー陸軍少尉と婚約は突然にー
「お嬢様?」
「だって、まだよく存じ上げないですもの。どんな方なのか、これから少しずつ知っていけばいいだけでしょう?」
言い終えてから、小春ははっとした。
今、自分は何と言ったのだろう。
これから、少しずつ。
まるで、彼のことを知りたいとでも思っているようではないか。
小春は慌てて茶器を盆に戻した。
「……と、とにかく! 私はお部屋に戻るわね」
「はいはい。どうぞ、お気をつけて」
ばあやの声を背に、小春は足早に廊下を歩き出した。
けれど、角を曲がる直前。
「……ふふっ」
背後から、ばあやの小さな笑い声が聞こえた気がした。
「もう、ばあやったら……!」
振り返って抗議しようとしたものの、ばあやは何食わぬ顔で茶器を片づけている。
小春は頬を膨らませ、再び歩き出した。
自室に戻り、机の前に腰を下ろす。
窓の外には、夕暮れの空が広がっていた。
小春は頬杖をつき、ぼんやりと庭を眺めた。
千紘のことなど、考えるつもりはなかった。
けれど、ばあやの言葉が、いつまでも耳の奥に残っている。