大正初恋浪漫譚ー陸軍少尉と婚約は突然にー

「少尉?」

「はい」

「どうかなさいましたか?」

「……いえ。何でもありません」


千紘は、そっと視線を逸らした。

小春は首を傾げたものの、すぐに母のほうへ向き直った。


「お母様、ほかにも少尉の小さい頃のお話をお聞きしてもよろしいですか?」

「もちろんよ。そうねえ、次は……」

「母上」


千紘が、今度は少し早口で口を挟んだ。


「そのあたりで、十分ではないでしょうか」

「あら、どうして?」

「……小春さんのお稽古の妨げになってはいけませんから」

「まあ。小春さんは、まだ聞きたいとおっしゃっているのに?」

 
千紘は返す言葉を失った。

小春は、そんな千紘を見て、また小さく笑った。

普段は何事にも動じないように見える人なのに、こんなふうに困ることもあるのだ。

それが、なんだか新鮮だった。

 
そして、少しだけ。

もっとこの人のことを知ってみたいと思った。


千紘は、小春の笑顔を見つめた。

彼女は、ただ素直に、自分のことを褒めてくれただけなのだろう。

そこに、特別な意味などない。

それでも。

小春の口から告げられた「優しい方」という言葉が、胸の奥にいつまでも残っていた。

千紘は、誰にも気づかれないように、そっと息を吐いた。


――困ったものだ。

こんな何気ない言葉ひとつで、嬉しくなってしまうのだから。

もちろん、その気持ちを小春に明かすつもりはなかった。

 
今はまだ、彼女の隣にいられるだけで十分だった。




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