嫌いだった課長と恋をするまで
第22話 白石里奈
高校時代から付き合いのある友人たちと食事をするのは、久しぶりだった。店へ入ると、由美たちはすでに席についていて、私に気づくと手を上げた。私は笑顔を作りながら空いている椅子へ腰を下ろしたが、以前とは少し違う空気を感じていた。
昔なら私が遅れて来ても、どうして遅れたのかと笑いながら聞かれたものだ。それなのに今日は、私が席についたあとも三人の話はそのまま続いていた。私はメニューを開きながら、きっと久しぶりに会ったせいだと思うことにした。高校時代からの友人なのだから、少し話せば元に戻る。そう考えて、私は最近あったことを話し始めた。
「そういえば、この前、恒一に会ったんだ」
私がそう言うと、向かいに座っていた由美の手が止まった。隣の友人も顔を上げたが、誰も「どうだったの?」とは聞かなかった。私は少し待ってから、自分から話を続けた。
「今、チームリーダーになってるんだって。仕事もちゃんとしてるみたいだし、高校の頃よりずっと頼りになる感じだった。私、もう一度やり直してもいいかなって思ってる」
言い終わったあと、私は三人の反応を待った。以前なら、ここで一斉に質問が飛んできたはずだった。ところが、由美はテーブルの中央に置かれた料理を取り分け、私の皿へ置くこともなく、自分の皿へ静かに盛った。隣の友人はグラスを持ち上げただけで、もう一人はメニューを眺めている。誰も私の話を広げようとはしなかった。その沈黙が気に入らず、私は笑いながら由美へ視線を向けた。
「何? みんな、反応薄くない?」
「そう?」
「そうだよ。恒一の話、聞きたいでしょ?」
「……聞いてどうするの?」
由美の声は穏やかだった。それが余計に気に障った。私は高校時代のことを思い出した。恒一と付き合っていた頃は、私が彼から何かをもらえば、三人とも自分のことのように喜んでくれた。私が別の男を好きになったと話したときも、最初は驚きながら、それでも私の選択を受け入れてくれた。だから、今回も同じだと思っていた。
私は恒一と別れたあと、もっと条件のいい男と付き合った。その男からもらえるものが減って別れた。そして今、以前より仕事も立場もよくなった恒一へ戻ろうとしている。私にとっては、自然な流れなのだ。
「私、恒一のこと嫌いになったわけじゃないから。あのときは別に好きな人ができただけだし、今は今で、また気持ちが戻ってきたの」
「……里奈。高橋君のこと、本当に好きなの?」
由美が箸を置いた。私はようやく、何か言われるのだと気づいた。
「好きだよ」
「じゃあ、どうして一度別れたの?」
「だから、好きな人ができたからって言ってるじゃない」
「その人と別れた理由は?」
私は一瞬だけ黙った。隠す必要はないと思ったので、そのまま答えた。
「最近、プレゼントとか、前より安いものになったから。付き合っていても楽しくなくなったし、将来のことを考えたら、もっといい人を探したほうがいいと思ったの」
私がそう言うと、向かいの友人が小さく息を吐いた。由美は箸を置いたまま、しばらく何も言わなかった。三人とも料理を見ているのに、誰も箸を動かそうとしない。その沈黙が妙に長く感じられて、私は眉を寄せた。すると、由美がゆっくり顔を上げた。その目には、高校時代に私の恋愛話を聞いて笑っていた頃とは違うものがあった。
「里奈、それ、本気で言ってる?」
「何が?」
「プレゼントが安くなったから別れたってこと。高橋君のことも、今の彼のことも、結局同じじゃない。自分にとって得かどうかで、付き合う相手を決めてるだけにしか聞こえない」
私は言葉に詰まった。由美がこんなふうに私のことを責めるとは思っていなかったからだ。私は自分の考えを説明するように、グラスへ手を伸ばしながら口を開いた。
「恋人なんだから、相手が自分を大切にしてくれるかどうかは大事でしょ。プレゼントだって、その人がどれだけ私のことを考えてくれているか分かるものじゃない。何でもいいから付き合っていればいいっていうほうがおかしいと思うけど」
「違うよ」
由美の返事は早かった。
「高橋君が高校のとき、里奈のためにどれだけしてたか、私たちも知ってる。なのに、別の男のほうがいいと思ったら高橋君を捨てて、その男からもらうものが安くなったら今度は別れて、高橋君がチームリーダーになったと聞いたら、また戻りたいって言う。そんなの、高橋君を好きなんじゃなくて、高橋君が今持っているものを好きになっただけじゃないの?」
胸の奥を直接突かれたような気がした。私は思わず由美を見返したが、由美は目を逸らさなかった。隣にいた友人も小さく頷き、これまで黙っていた口を開いた。
「私も由美と同じ。正直、もう里奈の恋愛を聞いていても、応援したいと思えなくなった。誰を好きになるかは里奈の自由だよ。でも、前に高橋君と別れたときだって、私たちは何も知らないまま里奈の味方をした。でも今になって、プレゼントが安くなったから別れたって聞かされたら、あのとき高橋君がどんな気持ちだったのかって思う」
「だから何? 私は自分が幸せになるために選んだだけじゃない」
「その言い方が嫌なんだよ」
もう一人の友人が、静かに言った。
「里奈はいつも、自分が選ぶ側だと思ってるよね。いい男がいたらそっちへ行く。合わなくなったら捨てる。前に捨てた男の条件がよくなったら、また戻ればいいって考える。でも、相手だって里奈を選ぶんだよ。高橋君だって、私たちだって同じ。里奈だけが選べるわけじゃない」
その言葉に、私は何も返せなかった。三人がこんなふうに私を見ていたことを、私は今まで知らなかった。私はずっと、昔からの友人なら何があっても私の味方でいてくれると思っていた。私が何を選んでも、最後には「里奈が幸せならいいよ」と笑ってくれると思っていたのだ。それなのに、目の前にいる三人は誰一人として笑っていなかった。
由美が視線を落とし、しばらくしてから、今度は少しだけ声を落とした。
「私、高橋君が里奈とやり直せばいいなんて思ってないよ。むしろ、やめたほうがいいと思ってる。だって里奈は、今の高橋君を見て戻ろうとしてるんでしょ? 仕事もできて、チームリーダーになって、前より収入も安定してる。もし高橋君がまた昔みたいな立場だったら、それでも戻りたいって言えた?」
私は答えられなかった。
その問いだけは、何度考えても胸の中で引っかかっている。一年半前の恒一なら、今の私が会いに行こうとは思わなかっただろう。仕事も立場も分からない。将来どんな生活になるのかも分からない。それでも私は、自分の気持ちを正当化するように口を開いた。
「……人は変わるでしょ。今の恒一がいいと思ったんだから、それでいいじゃない」
「そう思うなら、それでいいんじゃない?」
由美はそう言って、もう一度箸を持った。
「ただ、私たちは里奈のその考えを受け入れるつもりはないよ」
その一言が、今日聞いたどの言葉より重かった。責められたことよりも、怒鳴られたことよりも、由美がそれを当たり前のこととして言ったことが気に入らなかった。
私は何も悪いことをしていない。誰と付き合うかを決めるのは私自身なのだから、友人たちに口を出される筋合いはない。そう思っているのに、テーブルを囲む三人の間には、私だけが入れない場所ができてしまったように感じた。
食事が終わる頃には、会話は私を中心に回らなくなっていた。私が高校時代の思い出を出しても、由美は一度笑うだけで、別の話題を振る。私が最近買ったバッグの話をしても、以前のように「見せて」と言われることはなかった。会計のときも、由美は店員に四人分をまとめて頼むことなく、それぞれの金額を確認してから支払いを済ませた。私はその変化を小さな違和感として感じながらも、気にしないようにしていた。高校時代からの友人なのだから、たまたま今日はこういう日だっただけだと思った。
店を出ると、由美たちは駅の方向へ歩き始めた。私も当然その後ろをついていった。昔から何度も一緒に歩いた道だった。ところが、駅前の交差点へ着いたところで、由美が足を止めた。
「じゃあ、私たちはこっちだから」
「え? 私もそっちだよ」
私がそう言うと、三人の視線が一度だけ交わった。由美が少し困ったような顔をした。
「そうだったね。でも、今日はここで」
「何で?」
「また連絡するから」
それだけ言うと、三人は歩き始めた。私はその場に残されたまま、遠ざかっていく背中を見つめた。昔なら誰かが振り返って、「里奈も一緒に来る?」と声をかけてくれたはずだ。私はしばらく待ったが、誰も振り返らなかった。仕方なく一人で駅へ向かおうとしたとき、スマートフォンが震えた。グループチャットに通知が届いていた。
『今日は楽しかったね』
『来月も集まろうよ』
『いいね。三人なら予定合わせやすそう』
画面を見た瞬間、私は足を止めた。三人なら。その言葉が目に入ったまま、指が動かなくなった。私が今ここにいることを、誰も考えていないようだった。私は画面を閉じようとしたが、また通知が届いた。
『次はこの店にしよう』
店の写真が送られてきた。私は返信欄を開き、『私も行く』と返事を打つ。
私は何も悪いことをしていない。恋人を選んだだけだ。もっと自分に合う男を選び、合わなくなったから別れた。そして今、昔の恋人だった恒一にもう一度惹かれている。それだけの話だ。それなのに、どうして友人まで私を避ける必要があるのか。私は納得できないまま駅へ向かった。途中でスマートフォンがまた震えたが、今度は確認しなかった。
翌週、私は由美へ連絡した。
「この前言ってた店、いつ行くの?」
『もう予約したよ』
『何日に?』
『水曜日』
『それなら教えてよね。私も行くよ』
送信してから、私はすぐに返事が来ると思っていた。ところが、画面には既読がついたまま、しばらく何も表示されなかった。十分、二十分と時間が過ぎても返事はない。ようやく届いたメッセージには、短い言葉だけが並んでいた。
『ごめん。今回は三人で行くことになってる』
『そっか』
そう返すと、由美からはそれ以上何も届かなかった。私はスマートフォンを机へ置き、窓の外を眺めた。高校時代からずっと続いてきた友人関係が、こんなふうに変わるとは思っていなかった。誰かに「もう友達じゃない」と言われたわけではない。嫌われたと面と向かって告げられたわけでもない。ただ、一緒にいる時間が少しずつ減り、誘われることがなくなり、こちらから声をかけても断られる。それだけだった。
でも、その「それだけ」が、思っていた以上に胸へ刺さった。
私はソファへ座り、もう一度スマートフォンを手に取った。恒一の名前が連絡先に残っている。私はその名前を見ながら、以前ならこんなときに恒一へ連絡していたことを思い出した。私が嫌なことがあれば、話を聞いてくれた。私が寂しければ、すぐに会いに来てくれた。あの頃の私は、それが当たり前だと思っていた。
だから、恒一を失っても、また戻ればいいと思っていた。
友人たちとの関係も、時間が経てば元に戻ると思っていた。
でも、実際には違った。
私は恒一を条件で選び直そうとしている。そして友人たちは、そんな私を見たうえで、自分たちの付き合う相手を選び始めている。そう考えた瞬間、初めて胸の奥に嫌な感覚が広がってくる。私はずっと、自分が選ぶ側だと思っていた。誰と付き合うか、誰と別れるか、誰と友達でいるか。それを決めるのは自分だと思っていた。
ところが今、私の知らないところで、私を選ばないという選択をした人たちがいる。
その事実だけが、どうしても頭から離れなかった。
昔なら私が遅れて来ても、どうして遅れたのかと笑いながら聞かれたものだ。それなのに今日は、私が席についたあとも三人の話はそのまま続いていた。私はメニューを開きながら、きっと久しぶりに会ったせいだと思うことにした。高校時代からの友人なのだから、少し話せば元に戻る。そう考えて、私は最近あったことを話し始めた。
「そういえば、この前、恒一に会ったんだ」
私がそう言うと、向かいに座っていた由美の手が止まった。隣の友人も顔を上げたが、誰も「どうだったの?」とは聞かなかった。私は少し待ってから、自分から話を続けた。
「今、チームリーダーになってるんだって。仕事もちゃんとしてるみたいだし、高校の頃よりずっと頼りになる感じだった。私、もう一度やり直してもいいかなって思ってる」
言い終わったあと、私は三人の反応を待った。以前なら、ここで一斉に質問が飛んできたはずだった。ところが、由美はテーブルの中央に置かれた料理を取り分け、私の皿へ置くこともなく、自分の皿へ静かに盛った。隣の友人はグラスを持ち上げただけで、もう一人はメニューを眺めている。誰も私の話を広げようとはしなかった。その沈黙が気に入らず、私は笑いながら由美へ視線を向けた。
「何? みんな、反応薄くない?」
「そう?」
「そうだよ。恒一の話、聞きたいでしょ?」
「……聞いてどうするの?」
由美の声は穏やかだった。それが余計に気に障った。私は高校時代のことを思い出した。恒一と付き合っていた頃は、私が彼から何かをもらえば、三人とも自分のことのように喜んでくれた。私が別の男を好きになったと話したときも、最初は驚きながら、それでも私の選択を受け入れてくれた。だから、今回も同じだと思っていた。
私は恒一と別れたあと、もっと条件のいい男と付き合った。その男からもらえるものが減って別れた。そして今、以前より仕事も立場もよくなった恒一へ戻ろうとしている。私にとっては、自然な流れなのだ。
「私、恒一のこと嫌いになったわけじゃないから。あのときは別に好きな人ができただけだし、今は今で、また気持ちが戻ってきたの」
「……里奈。高橋君のこと、本当に好きなの?」
由美が箸を置いた。私はようやく、何か言われるのだと気づいた。
「好きだよ」
「じゃあ、どうして一度別れたの?」
「だから、好きな人ができたからって言ってるじゃない」
「その人と別れた理由は?」
私は一瞬だけ黙った。隠す必要はないと思ったので、そのまま答えた。
「最近、プレゼントとか、前より安いものになったから。付き合っていても楽しくなくなったし、将来のことを考えたら、もっといい人を探したほうがいいと思ったの」
私がそう言うと、向かいの友人が小さく息を吐いた。由美は箸を置いたまま、しばらく何も言わなかった。三人とも料理を見ているのに、誰も箸を動かそうとしない。その沈黙が妙に長く感じられて、私は眉を寄せた。すると、由美がゆっくり顔を上げた。その目には、高校時代に私の恋愛話を聞いて笑っていた頃とは違うものがあった。
「里奈、それ、本気で言ってる?」
「何が?」
「プレゼントが安くなったから別れたってこと。高橋君のことも、今の彼のことも、結局同じじゃない。自分にとって得かどうかで、付き合う相手を決めてるだけにしか聞こえない」
私は言葉に詰まった。由美がこんなふうに私のことを責めるとは思っていなかったからだ。私は自分の考えを説明するように、グラスへ手を伸ばしながら口を開いた。
「恋人なんだから、相手が自分を大切にしてくれるかどうかは大事でしょ。プレゼントだって、その人がどれだけ私のことを考えてくれているか分かるものじゃない。何でもいいから付き合っていればいいっていうほうがおかしいと思うけど」
「違うよ」
由美の返事は早かった。
「高橋君が高校のとき、里奈のためにどれだけしてたか、私たちも知ってる。なのに、別の男のほうがいいと思ったら高橋君を捨てて、その男からもらうものが安くなったら今度は別れて、高橋君がチームリーダーになったと聞いたら、また戻りたいって言う。そんなの、高橋君を好きなんじゃなくて、高橋君が今持っているものを好きになっただけじゃないの?」
胸の奥を直接突かれたような気がした。私は思わず由美を見返したが、由美は目を逸らさなかった。隣にいた友人も小さく頷き、これまで黙っていた口を開いた。
「私も由美と同じ。正直、もう里奈の恋愛を聞いていても、応援したいと思えなくなった。誰を好きになるかは里奈の自由だよ。でも、前に高橋君と別れたときだって、私たちは何も知らないまま里奈の味方をした。でも今になって、プレゼントが安くなったから別れたって聞かされたら、あのとき高橋君がどんな気持ちだったのかって思う」
「だから何? 私は自分が幸せになるために選んだだけじゃない」
「その言い方が嫌なんだよ」
もう一人の友人が、静かに言った。
「里奈はいつも、自分が選ぶ側だと思ってるよね。いい男がいたらそっちへ行く。合わなくなったら捨てる。前に捨てた男の条件がよくなったら、また戻ればいいって考える。でも、相手だって里奈を選ぶんだよ。高橋君だって、私たちだって同じ。里奈だけが選べるわけじゃない」
その言葉に、私は何も返せなかった。三人がこんなふうに私を見ていたことを、私は今まで知らなかった。私はずっと、昔からの友人なら何があっても私の味方でいてくれると思っていた。私が何を選んでも、最後には「里奈が幸せならいいよ」と笑ってくれると思っていたのだ。それなのに、目の前にいる三人は誰一人として笑っていなかった。
由美が視線を落とし、しばらくしてから、今度は少しだけ声を落とした。
「私、高橋君が里奈とやり直せばいいなんて思ってないよ。むしろ、やめたほうがいいと思ってる。だって里奈は、今の高橋君を見て戻ろうとしてるんでしょ? 仕事もできて、チームリーダーになって、前より収入も安定してる。もし高橋君がまた昔みたいな立場だったら、それでも戻りたいって言えた?」
私は答えられなかった。
その問いだけは、何度考えても胸の中で引っかかっている。一年半前の恒一なら、今の私が会いに行こうとは思わなかっただろう。仕事も立場も分からない。将来どんな生活になるのかも分からない。それでも私は、自分の気持ちを正当化するように口を開いた。
「……人は変わるでしょ。今の恒一がいいと思ったんだから、それでいいじゃない」
「そう思うなら、それでいいんじゃない?」
由美はそう言って、もう一度箸を持った。
「ただ、私たちは里奈のその考えを受け入れるつもりはないよ」
その一言が、今日聞いたどの言葉より重かった。責められたことよりも、怒鳴られたことよりも、由美がそれを当たり前のこととして言ったことが気に入らなかった。
私は何も悪いことをしていない。誰と付き合うかを決めるのは私自身なのだから、友人たちに口を出される筋合いはない。そう思っているのに、テーブルを囲む三人の間には、私だけが入れない場所ができてしまったように感じた。
食事が終わる頃には、会話は私を中心に回らなくなっていた。私が高校時代の思い出を出しても、由美は一度笑うだけで、別の話題を振る。私が最近買ったバッグの話をしても、以前のように「見せて」と言われることはなかった。会計のときも、由美は店員に四人分をまとめて頼むことなく、それぞれの金額を確認してから支払いを済ませた。私はその変化を小さな違和感として感じながらも、気にしないようにしていた。高校時代からの友人なのだから、たまたま今日はこういう日だっただけだと思った。
店を出ると、由美たちは駅の方向へ歩き始めた。私も当然その後ろをついていった。昔から何度も一緒に歩いた道だった。ところが、駅前の交差点へ着いたところで、由美が足を止めた。
「じゃあ、私たちはこっちだから」
「え? 私もそっちだよ」
私がそう言うと、三人の視線が一度だけ交わった。由美が少し困ったような顔をした。
「そうだったね。でも、今日はここで」
「何で?」
「また連絡するから」
それだけ言うと、三人は歩き始めた。私はその場に残されたまま、遠ざかっていく背中を見つめた。昔なら誰かが振り返って、「里奈も一緒に来る?」と声をかけてくれたはずだ。私はしばらく待ったが、誰も振り返らなかった。仕方なく一人で駅へ向かおうとしたとき、スマートフォンが震えた。グループチャットに通知が届いていた。
『今日は楽しかったね』
『来月も集まろうよ』
『いいね。三人なら予定合わせやすそう』
画面を見た瞬間、私は足を止めた。三人なら。その言葉が目に入ったまま、指が動かなくなった。私が今ここにいることを、誰も考えていないようだった。私は画面を閉じようとしたが、また通知が届いた。
『次はこの店にしよう』
店の写真が送られてきた。私は返信欄を開き、『私も行く』と返事を打つ。
私は何も悪いことをしていない。恋人を選んだだけだ。もっと自分に合う男を選び、合わなくなったから別れた。そして今、昔の恋人だった恒一にもう一度惹かれている。それだけの話だ。それなのに、どうして友人まで私を避ける必要があるのか。私は納得できないまま駅へ向かった。途中でスマートフォンがまた震えたが、今度は確認しなかった。
翌週、私は由美へ連絡した。
「この前言ってた店、いつ行くの?」
『もう予約したよ』
『何日に?』
『水曜日』
『それなら教えてよね。私も行くよ』
送信してから、私はすぐに返事が来ると思っていた。ところが、画面には既読がついたまま、しばらく何も表示されなかった。十分、二十分と時間が過ぎても返事はない。ようやく届いたメッセージには、短い言葉だけが並んでいた。
『ごめん。今回は三人で行くことになってる』
『そっか』
そう返すと、由美からはそれ以上何も届かなかった。私はスマートフォンを机へ置き、窓の外を眺めた。高校時代からずっと続いてきた友人関係が、こんなふうに変わるとは思っていなかった。誰かに「もう友達じゃない」と言われたわけではない。嫌われたと面と向かって告げられたわけでもない。ただ、一緒にいる時間が少しずつ減り、誘われることがなくなり、こちらから声をかけても断られる。それだけだった。
でも、その「それだけ」が、思っていた以上に胸へ刺さった。
私はソファへ座り、もう一度スマートフォンを手に取った。恒一の名前が連絡先に残っている。私はその名前を見ながら、以前ならこんなときに恒一へ連絡していたことを思い出した。私が嫌なことがあれば、話を聞いてくれた。私が寂しければ、すぐに会いに来てくれた。あの頃の私は、それが当たり前だと思っていた。
だから、恒一を失っても、また戻ればいいと思っていた。
友人たちとの関係も、時間が経てば元に戻ると思っていた。
でも、実際には違った。
私は恒一を条件で選び直そうとしている。そして友人たちは、そんな私を見たうえで、自分たちの付き合う相手を選び始めている。そう考えた瞬間、初めて胸の奥に嫌な感覚が広がってくる。私はずっと、自分が選ぶ側だと思っていた。誰と付き合うか、誰と別れるか、誰と友達でいるか。それを決めるのは自分だと思っていた。
ところが今、私の知らないところで、私を選ばないという選択をした人たちがいる。
その事実だけが、どうしても頭から離れなかった。