金庫の中の兄貴
【04 これからのこと】
・
・【04 これからのこと】
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駐在所に着くと、すぐさま室井さんが交番スペースに招き入れてくれた。室井さんは奥のほうに何か声を掛けると、すぐに戻ってきて、私が喋るよりも先に、
「様子はどうですか?」
「何だかもう溺愛って感じで、私が無視されているようです」
「まあそれはそうなっちゃうかもしれませんね、でも絶対におかしいですよね」
「はい、おかしいと思います」
室井さんがしっかりおかしいと述べてくれることがどれほど嬉しいことか。やっぱり室井さんは昔から本当に頼りになる。私の初恋の人だ。
そんなことを思ったタイミングで、室井さんのパートナー・静子さんが顔を出して、
「真奈ちゃん、クッキー焼いたから食べてくれる?」
「! はい! 頂きます!」
静子さんのクッキーは絶品で、食べる機会がある時は必ずその場にいる誰よりも食べるようにしている。静子さんは本当に優しくて料理が上手くて、そんな静子さんに室井さんを取られるなら、それはもう仕方ないことだと割り切れる。まあ年齢が全然違うわけだけども。
静子さんがテーブルにクッキーが入った缶を置いてくださって、静子さんはニッコリと笑ってからまた奥に戻って行った。私は会釈してから迷わず食べることにした。
室井さんは深く呼吸をすると、
「まずは事を荒立てるよりも、観察したほうがいいかもしれないですね。ちょうど夏休みですからね」
「えっとぉ、つまりなんというか、公(おおやけ)にしないということですか?」
「そう。その何でしょうか、当時はマスコミが加熱しておかしなことになりましたからね……」
私たちの家族が叩かれたことを思い出しているようだった。
でもまあ確かに両親が写真を撮らない派なのは本当に何なんだと、家族旅行とかしている時も当時から思っていたので、マスコミが全て悪いとかは思わない。別に私はテレビだって観るし。
室井さんは思案している面持ちで、
「でも何か危険な行動をし始めたら、すぐに連絡してください。というかその、将斗くんは昔から暴力的ですが、チカラはどういった感じでしょうか?」
「いや本当に小学三年生のままで、今は私のほうが身体能力が高そうです」
「では今は普通の小学三年生ということですね、でも豹変とかするかもですから、かわせる時はかわしたほうがいいと思いますよ」
「そんな、無敵なキャラクターは初手受け止める傾向があるから、一撃必殺系の能力者には弱いみたいな話、漫画じゃないんですからっ」
室井さんは真面目な面持ちでじっとこっちを見てくる。
でも確かに、
「兄貴って、化け物が化けている可能性もあるという、ことですか……?」
私は生唾を飲み込んだ。
室井さんはこくりと頷いてから、
「現実としてありえないことが起きています。何が起きても不思議じゃないということです。僕は真奈ちゃんの両親には言いませんが、真奈ちゃんの家の周辺のパトロールを強化しようと思っています。秘密裏に、信頼出来る後輩に連絡し、パトロールをしてもらおうと思っています」
「そんなっ、大げさなっ」
と乾いた笑いが出てしまったんだけども、室井さんは真剣に、
「僕は真奈ちゃんが心配なんです。これだけは覚えていてください。真奈ちゃんの味方はたくさんいます。僕はその中の一人です」
そう言われた時、涙が出そうなくらい嬉しかった。
その後、私は室井さんとバイバイする時に、また静子さんが来てくださって、クッキーを缶ごと頂いた。
私が家に戻ると、まだ誰も帰ってきていなくて、二階の自分の部屋へ戻って、宿題をしながら、クッキーをサクサク食べていた。
次に帰ってきたのは、兄貴とお父さんだった。
兄貴とお父さんが居間でデカい声で「あの姉ちゃん可愛かったなぁ!」とか言って最悪。
私は一応、室井さんからのアドバイスを簡易的に伝えようと、一階の居間にやって来ると、なんと兄貴とお父さんは豪華なショートケーキを食べていたのだ。
「ケーキ!」
と私が指を差して言うと、兄貴がふんぞり返りながら、
「これはダメなんだわ! おれが大嫌いな風呂に入ったご褒美のケーキだから、真奈の分はねぇんだわ!」
私は「えっ!」と声を上げてしまうと、お父さんが後ろ頭を掻きながら、
「まあ今まで真奈にも誕生日の時とかケーキあげていたし、今日は真奈の分はいいかなって……家にいるとも思わなかったし……」
とバツが悪そうにそう言った。自分の分は買ってきているのに。というか私、誕生日にしかケーキ食べたことないけども? ご褒美とかないけども?
お父さんは申し訳無さそうに、
「俺の残りだけど……いるか?」
と言ったんだけども、勿論お父さんの食べかけなんていらないし、ケーキを包んでいたと思われるセロハンはベロベロに舐められていて、そのセロハンとケーキが隣り合っているので絶対嫌だし。
すると兄貴がデカい声で、
「じゃあオヤジの残りはおれがもらうよ!」
と言うと、お父さんは笑顔で「おお、いいぞーっ」と言って、私の誕生日でもそんなことは無いのにと思ってしまった(勿論食べかけは食べないけども)。
ケーキを頬張る兄貴にお父さんは、
「というかお風呂のこと、まだ嫌いかぁ?」
と兄貴にだけ聞こえればいいみたいな声量で言い、兄貴は「やっぱ風呂は嫌だー!」と無駄にデカい声でそう言った。
いやとりあえず、室井さんの話をしなきゃ。兄貴が化け物かもという話は兄貴が今いるのでしないとして、
「室井さんと相談したんだけども、兄貴のことは事を荒立てないで、まずは観察したほうがいいって。ちょうど夏休みだし」
するとお父さんは「おっ」と言ってから、
「真奈は本当に室井さんのことが好きだなぁ! このまま室井さんの家にホームステイでもするか!」
と調子良さそうに言って、何かもう本当に嫌悪感が止まらなかった。
兄貴からは、
「あんなガキのこと好きなのかよー!」
とか言われて、最悪で。
私は無言で自分の部屋へ戻って、静子さんのクッキーをかじった。いいもん、私には静子さんのクッキーがあるから。ケーキなんていらないし。絶対静子さんのクッキーのほうが美味しいし。
その後、お母さんが帰ってきたことは、居間でのデカい声で分かった。でも私はもう居間へ行くことを辞めた。どうせ私のことなんて誰も見てくれないし。
晩御飯の時間になり、居間へ行くと、なんとめっちゃ豪華というか、私の誕生日のちょうど五倍みたいな感じだった。
兄貴は目を輝かせながら、
「これも! あれも! それも! 全部おれの好きな食べ物!」
と喜んでいた。まあそうすることは必然だけども、問題は私に全然目が向かないこと。
それともう一つ。
なんと両親が兄貴のことをスマホで撮影しまくっているのだ。あんなに『思い出は瞳に焼きつけろ』派だったのに。しかも二人揃って。
確かにお母さんの手料理は美味しいけども、全部兄貴に向けたみたい味で、あんまり心は踊らなかった。
兄貴はお母さんのスマホにピースしたところで、こっちをチラリと向き、勝ち誇ったような表情をして本当に腹が立つ。なんというか、あの頃と変わらず生意気だし。
食が進まなくて、ボソボソと食べていると、兄貴が先にお腹いっぱいになって、
「もう昼に風呂入ったから風呂入んねー!」
と言ったところで、お父さんが、
「じゃあ明日は仕事も休んで! 動物園に三人で行くか!」
と言い出して、ギョッとしてしまった。
すると即座にお母さんが私の表情に気付いて、慌てるように、
「三人じゃなくて四人ね! ほら! 今までずっとわたしとお父さんと真奈の三人だったから! 間違って三人って言ってしまっただけで!」
お父さんはキョトンとしながら、
「え、真奈も行くのか? あんま興味無いんじゃないか? 連れてってくれも言ったことないし」
私はつい大きな声で、
「連れてってって言ったよ! もっと子供の時に! でもどこも連れてってくれないから諦めていただけ!」
すると兄貴が即座に「今も子供だろっ?」と笑ったんだけども、それは無視して、私は続ける。
「三人って何! 私をのけ者にしないでよ!」
お父さんは少し面倒クサそうに溜息をつき、お母さんは大げさな身振り手振りで、
「いや四人のほうが楽しいもんね! 四人でいきましょう! 四人で!」
お父さん、そんな露骨に私が邪魔みたいな反応しないでよ……私は本当に胸が詰まり、もうご飯なんて食べられる状態じゃなくなったので、
「お風呂入ります」
と言って立ち上がり、食器を流し台に置いて、そのまま自分の部屋へ戻り、ちょっとだけ涙を流してしまった。
鏡を見ると、意外と目を赤く腫らすほどに泣いていたことに気付き、誰とも顔を合わせないように、一階の脱衣所に行き、またそこでもシャワーを流しながら泣いてしまって、あんま今日水分とっていないのに、まだこんな出るんだ、と他人事のように思ってしまった。
そりゃ兄貴に再会出来たのは嬉しいけども、正直怪しいが勝つし、何よりも家族が私のことをのけ者みたいに扱うことがすごくつらい。ずっと子供は私一人だったのに。
無理やり反抗期にさせられそうな感じになっている。いや動物園は行きたいから行くけども、どうして私一人の時は一度も連れてってくれなかったのかな?
お風呂から上がったらサバンナを走り抜けるヌーのように、家族から逃げて自分の部屋へ閉じこもり、静子さんのクッキーを一口食べた。あんなに甘くて優しい味だったのに、少しだけしょっぱい。いっそのこと私は室井さんの子供になったほうがいいのだろうか。
相変わらず、一階の居間は騒がしくて「お風呂入ったほうがいいよ」とか「入らなくていい!」とか「将斗の好きでいいよっ」って優しい言葉で喋っている。私にはいつも命令形なのに。普段は付けないヘッドフォンをつけて、その日は過ごした。
次の日、朝からお父さんが張り切っちゃって、動物園にはデカい水筒を持って行くらしい。現地で飲み物を買えばいいのに、やっぱり基本ケチだよなぁ、と思う。
出掛けるとなった時、いつも私が学校で使っているスタイリッシュな水筒を持つと、お父さんが、
「そっちを将斗が良いって言ったから、それは将斗の。真奈はこっちのゴレン仮面のにしなさい」
と言いながら、私の水筒を奪うようにし、私にはダサい、小学生低学年用の特撮アニメが描かれた水筒を渡された。私は即座に、
「そのスタイリッシュな水筒は私が中学へ上がる時に、お母さんと選んだ水筒!」
お父さんはムッとしながら、
「でも今、将斗がそれを選んだから!」
「私嫌だよ! あんなダサい水筒! 持って行きたくない!」
「駄々をこねるな! 中学生だろ!」
私は、自分の中でも違和感があるから言わないようにしていたけども、とっさにこの言葉が出た。
「兄貴は兄貴じゃん!」
お父さんは呆れるように、
「でも将斗は今、小学三年生だろ。もう真奈のほうが年上なんだ」
「じゃあいいよ! 私お小遣いでジュースとか買うから水筒いらない!」
すると兄貴が、
「お小遣い? 今はお小遣いくれんのっ? おれもほしい!」
お母さんは少し困惑しながら、
「うちは中学生になったらお小遣いをあげるというルールにしていて。真奈は中学生だからお小遣いがあるのよっ」
でもそんなことを聞いて止まる兄貴ではなくて、
「いや! おれもお小遣いほしい! だっておれ! 真奈の兄貴なんだからお小遣いあってもおかしくないだろ!」
お母さんは眉毛を八の字にして、私とお父さんを交互に見ている。
お父さんはうんと強く頷いてから、
「分かった! 今月良い子にしていたら来月からお小遣いを出す!」
と言って、兄貴はバンザイして、私はギリギリ口からは出なかったけども、マンキンの『はぁ?』が浮かんだ。
私だってやっと中学生になって、お小遣いをもらえたのに。お小遣いをもらえて四ヶ月目なのに。
うちの両親の言い分としては、スマホもパソコンも小学生から持たせるから、その分、お小遣いは無しって話だったのに。
兄貴はキャッキャッと騒ぎながら、
「一万円か? 一万円かっ!」
と言うと、お父さんは笑顔で、
「まだ子供だからな、五千円だ」
と言うと、私とお母さんの「え!」という声がユニゾンした。何故なら五千円というお金は私のお小遣いと一緒だったからだ。
何で小学三年生の兄貴が中学一年生の私と同じお小遣いなんだ! 信じられない! でもお父さんは満足げに頷き、私はお母さんのほうを見ると、お母さんは私に申し訳無さそうな顔をしてから俯いた。
こんなん最悪過ぎる……と、気持ちが落ち込んだ状態で車に乗り込み、お父さんが運転手、兄貴が助手席、私とお母さんで後部座席に座った。
そこでは終始お父さんと兄貴が大きな声で会話して、そこに時折お母さんが入るみたいな感じ。私はずっと黙っていると、お母さんがそっと私の手を握ってきて、優しく微笑んでくれた。
その時に、あぁ、お母さんは私のことを忘れていないんだと思って、心がすごく温まった。
動物園に着き、エントランスをくぐると早速兄貴は走り回り始めて、お父さんは兄貴を追いかけて、お母さんも一緒になって兄貴を追いかける。あっという間に一人になってしまった私。
ちょっと立ち止まって、お母さんは戻って来るかなと思っていると、遠くのほうでお父さんとお母さんが兄貴を挟むようにそれぞれの手を繋いでいたので、こっちにはもう来ないんだ、と悲しくなった。
私もその輪に入ればいいのだろうか。でも何か、一緒にまわる気にはなれなくて。するとお母さんは手を離して写真撮影係のようになり、お父さんと兄貴のツーショット写真をいっぱい撮っているようだった。気付いた時には角を曲がり、私からは見えなくなっていた。遠い存在だ。
動物園は特有の獣臭がする。でもそれが自然だし、全然嫌というわけではなく、その非日常感は普通なら高揚するものだ。でも一人だとこんなに寂しいんだということが分かった。
檻の中の動物たちも常に複数いる。檻の無い世界の私はたった一人で呆然自失。確かに家族三人で行ってもらったほうが良かったのかもしれない。
自販機で適当にジュースを買って、ベンチに座ろうかなと思っていると、聞き覚えのある声がした。
「え、真奈? 真奈か……真奈だ! 奇遇じゃん! 真奈!」
なんと俯いた私の目の前に甚太が立っていて、甚太が嬉しそうに、
「こういうところで会うのって珍しいな! 一緒に見て回ろうぜ!」
「え、あぁ、うん……甚太は一人で動物園?」
「いや! お母さんとお姉ちゃんと一緒! でもまあなんつーかお姉ちゃんとは喧嘩中で、お母さんもお姉ちゃんの肩を持っちゃって、居づらくて一人で見ていたんだ。元々の予定だったし、俺って動物園が好きだから一人で回るとしても来たくてさっ」
甚太のお姉ちゃんは確か一個上で、中学校では吹奏楽部の次期部長とか言って、甚太が自慢していたような。
前に甚太の家へ遊びに行った時も、中学校内でも甚太と甚太のお姉ちゃんは仲良しそうだったのに喧嘩するなんて、どういうことだろうと思い、
「何で喧嘩しているの? 仲良いんじゃないの?」
「昨日まではね! でもお姉ちゃん最悪で! 俺のへそくりのお金勝手に全部使っちゃったんだよ! どうやって取り出したかは分からないけども、何か鍵開けてさぁ!」
「何それ、そんなことするぅ? 甚太のお姉ちゃん優しそうだよねっ」
「だってへそくりのお金が全部無いんだもん、お姉ちゃんしかいないでしょ」
でも、私はそれでもこのことを言うことにした。
「私はそれでも喧嘩しないほうがいいと思うな、だって昨日までいたはずの家族がいなくなることもあるんだから」
甚太は神妙な面持ちになり、
「そう言えば、その、真奈の兄貴のことだけども、その、何なんだ、あれは一体?」
私がそう言ったことにより、私の兄貴が失踪したことにより二度と会えなくなってしまったこと、そして昨日、金庫から出現したことを思い出したみたいだ。
甚太は続ける。
「真奈、大丈夫か、魂吸われていないか? 元気無いけども」
「怪物系だと思っているわけ?」
「だってそうじゃん、現に真奈が全然元気無くて心配だよ」
私のことを心配してくれる人が室井さんだけじゃないってことが、何だかすごく嬉しかったので、
「そうやって心配してくれる人、室井さんと甚太くらいだよ」
と言うと、またあの時みたいに甚太が「いっ!」と声を出した。何だか室井さんという言葉に反応しているみたい。何か因縁あるのかな? 警察と因縁とか穏やかじゃないけども、まあ今はそっちの話はいいとして、
「魂は吸われていないと思う。元気が無いのは、お母さんもお父さんも兄貴が何なのか深く考えないまま付きっ切りになって、寂しいやら、なんというか、怪しいやら」
「怪しいやら」
と甚太がオウム返しして、同調するように頷いた。
甚太は「よしっ」と言うと、
「まあこっからは俺と一緒に見ていけば回ればいいだけだからさ! いざとなったら真奈もスマホあるだろ? 真奈は小学生の頃からスマホ持ってたもんな!」
「うん、スマホあるから両親とは連絡いつでも出来るよ」
「じゃあ一緒に行こうぜ!」
そこから私は甚太と一緒に動物園を見て回った。キリンは見上げるほど大きいし、ゾウが鼻を器用に使ってリンゴを食べているところは何か面白くて笑ってしまった。サイは檻に向かって突進してきて、檻と私たちがいる場所の間に堀があって良かったぁ、って思うし、すごい迫力だ。
甚太はふと、
「やっぱり真奈と一緒は楽しいなぁ!」
と言ってくれて、何だかちょっとだけドギマギしてしまったが、
「真奈のツッコミはやっぱり面白い! 今度本当に一緒にM-1出ようぜ!」
と言って、何か、なんというか拍子抜けして、ズッコケそうになりつつ、
「ツッコミって何さ、早さと言葉数がウリじゃないよ」
「まさにその出てくる言葉がまた面白いんだよなぁ」
「女子が面白くてどうする、モデルのように手品見た程度で『面白い人ですー』とか言ってるヤツのほうがいいでしょ」
「それはもうディスが強いじゃんっ」
と何だかんだ笑い合った。
ちょっと休憩しようとなり、ベンチに座ったところで甚太が「あ、お姉ちゃんだ」と苦々しい声を出した。
私はやっぱりと思って、
「甚太の勘違いかもしれないし、何かのっぴきならない事情があるのかもだからさ、お姉ちゃんと仲直りしなよ」
真剣な面持ちで甚太の瞳を見ると、甚太は深く唸ってから、
「分かった。このままお姉ちゃんとずっと喧嘩も嫌だし、何か、本当にプロの空き巣とかかもだから、仲直りするよ。でも……」
そう何かを言いかけた甚太は、まるで意を決したような表情になり、
「俺、真奈に言われたからそうするんだ」
私は吹き出して笑ってしまい、
「何そのボケ! 私は担任の先生じゃないから!」
甚太は何故か少しだけ引きつるように笑ってから、近くを歩いている甚太のお姉ちゃんに話し掛けた。
すると、甚太は甚太のお姉ちゃんと一緒にこっちへ来て、甚太のお姉ちゃんが、
「甚太がお世話になっています。一個上の姉の千紗です」
そう言って頭を下げた。私は挨拶されたので、
「私は真奈、浅田真奈です」
と返すと、甚太のお姉ちゃん・千紗さんは、
「邪魔じゃなかったら一緒に動物園見て回っていいかな? 急にその、甚太とまた一緒というのも気まずいからっ」
甚太は不服そうに、
「だから許すって言ったじゃん!」
甚太のお姉ちゃん改め、千紗さんは、
「許すとか何もだからアタシが盗んだわけじゃないし、本当にプロの空き巣なんじゃないのっ?」
甚太は小さく頷きながら、
「まあそうなんだろうけどさ」
私は二人が言い合いになりそうな気配を抱いたので、
「私はむしろお姉さんと一緒のほうが安心しますっ」
と答えると、千紗さんが、
「甚太、信用されてなーい」
と笑って、甚太はムッとしながら、
「大人が一人いると心が楽って意味だろ! なぁ! 真奈もそうだよなぁ! まあお姉ちゃん一個上程度で全然大人じゃないけども!」
私も言い方ミスったと思いながら、
「いや本当に甚太の言う通りです! 大人がいたほうがいいなぁってだけです! 甚太のことも信頼しています!」
甚太はムフーッと鼻息を出してから、
「ほらな! 俺は信頼されているんだ!」
と言うと、千紗さんは「あっ」と斜め上を見ながら、
「でも甚太って小学一年生の頃に銭湯でなぁー?」
と声を上げながら言うと、甚太は顔を真っ赤にして、めっちゃ慌てながら、
「その話は絶対すんなぁぁああー! もう六年前だろぉぉおお!」
と大声を出すと、近くのゾウが大きめにパオンと声を荒らげて、千紗さんが爆笑した。
千紗さんのことをたまに中学校で見掛けることがあって、長い黒髪のポニーテールでシャンと背筋を伸ばして歩いているので、凛とした素敵なお方だと思っていたけども、こう話してみると、何だか気さくな人だと思った。だから、なんというか、逆に甚太のへそくりをちょっとかっぱらったかもとは思ってしまった。かっぱらいそうなイメージではある。
ただ馴染むことは本当に出来たので、そこからまるで三人姉弟のように仲良く動物園を回ることが出来た。ちなみに甚太と千紗さんの保護者であるお母さんは動物園ガチ勢で、自分のペースで一人で回ることが苦ではない、むしろ良いまであるらしい。
動物の檻も二周したところで、お土産屋さんへ行くことになった。でも私は友達との会話についていくために買っている雑誌やサブスクだけで、もうお小遣いは限度額いっぱいで、何も買うことが出来ないので、正直つまんない流れになったなと思っていた。
すると甚太が、
「俺さ、動物園用にお小遣いもらったんだけども、なんつーか、そんなだから、真奈にそのお金でぬいぐるみ買ってやるわ」
私は口からヨダレが出そうになりながら、
「えっ? いいのっ! 私そういうの断らないよ! いいのっ?」
「俺が言い出したんだから良いに決まってるだろ、でも千円未満の小さいヤツにしろよ」
「そうする!」
私はこんな機会ほとんど無いので必死で、どれがいいか選んでいると千紗さんが近付いてきて、
「どうしたの、そんな血眼でぬいぐるみ見て」
「甚太がぬいぐるみプレゼントしてくれるって言ってくれて」
千紗さんはクスッと笑うと、甚太を呼び寄せて、
「じゃあ甚太の分はアタシが買うから、甚太とお揃いにしたらいーじゃん」
甚太は首を横に振って、
「いや同級生の男子とお揃いとかキモイだろ、なぁ? 真奈」
でも私は、
「でも学校に持って行くわけでもないから、家で大切に保管するだけだからキモくないけど、えっ、甚太が嫌ってこと?」
「俺は別に嫌じゃないけども! じゃじゃあ! 自分の分も自分で出すわ! そうしないと、お姉ちゃんが真奈にプレゼントしたみたいになるじゃん!」
千紗さんは頷きながら「なるほど」と言ってから「じゃあ甚太がどのぬいぐるみにするか選びなよ」と言ったので、私は、
「それがいいです! もう選択肢あり過ぎて私選べない!」
と正直に述べると、甚太は「えーいや、えー」と言いながら、目の前にあったゾウのぬいぐるみを指差しながら、
「俺、ゾウ好きなんだけども、どうかな」
「私もゾウ好き!」
と答えると、甚太は二つ持って、レジに向かい、本当に買ってくれた。
買ったゾウの、手のひら大のぬいぐるみを渡してくれた。千紗さんは少し不満そうに、
「真奈ちゃんの分はプレゼント用に包んでもらうんだよ、気が利かない男子だなぁ」
と言い、甚太もすぐさま「ゴメン!」と言ったんだけども、私は、
「でも甚太とお揃いってことがちゃんと分かって、こっちのほうがいいよ、有難う」
甚太はお姉ちゃんのほうを自信満々に見ながら「ほらぁっ」と言って、何かおかしくて笑ってしまった。
お土産屋さんから出てきたところで、私の家族とばったり会ったわけだけども、お父さんもお母さんも疲れ果てているようだった。
するとギョッとした顔をした千紗さんが、
「え、将斗、くん……?」
と兄貴を指差すと、兄貴はニヤッとしてから、千紗さんのスカートをめくりながら、
「パァンツ!」
と叫んだんだけども、千紗さんは呆然とするだけで、スカートめくりに対してはもはや無反応。
兄貴はつまらなそうに舌打ちしてから、
「恥じらいの無い女は美人でもアウトだね」
と言いながら、こちらを見て、今度は飛び掛かるようにこっちへ近付いてきて、
「虫がついてっぞ! チョップ!」
と言って私の手を強く叩いて、なんと甚太からもらったゾウのぬいぐるみは叩き落されてしまったのだ。
晴れの日のアスファルトに転がったから、別に汚くないので、すぐに拾ってポケットに入れると、お父さんが、
「おい真奈、万引きしたのか?」
とドスの効いた声で私を睨むと、それを上回るような低い声で、
「友達の俺が真奈にプレゼントしたんです。真奈は大切な友達なんで」
とお父さんを眼光鋭く睨んだ。
お父さんのほうが甚太よりもずっと身長は高いけども、怖気づいたように、
「あ、いやぁー、それならいいんだがーなー」
と言いながら、兄貴の手を握って引っ張って、そのままエントランスのほうに踵を返して、こっちを見ずに「真奈も帰るぞー!」と言った。ダッサぁ。
するとお母さんが小声で、
「本当将斗が突然いなくなっちゃって、探すの大変だったんだからぁ」
と言って、肩を余計に落とした。
私は甚太へ、
「千紗さんにも説明しておいて」
甚太は小声で「え」って言ってから、
「いいのか?」
「いいに決まってるでしょ、だってどう考えても不可解なんだから説明しないとおかしいでしょ」
「分かった」
私は甚太と千紗さんとはそこでバイバイして、お母さんと一緒にお父さんと兄貴の後ろを追いかけた。
車内では兄貴がしきりに、
「で、アイツのこと好きなん?」
とかイジってきて、めっちゃウザかった。好きとかそういうのじゃないし。甚太は。ただの友達だし。
・【04 これからのこと】
・
駐在所に着くと、すぐさま室井さんが交番スペースに招き入れてくれた。室井さんは奥のほうに何か声を掛けると、すぐに戻ってきて、私が喋るよりも先に、
「様子はどうですか?」
「何だかもう溺愛って感じで、私が無視されているようです」
「まあそれはそうなっちゃうかもしれませんね、でも絶対におかしいですよね」
「はい、おかしいと思います」
室井さんがしっかりおかしいと述べてくれることがどれほど嬉しいことか。やっぱり室井さんは昔から本当に頼りになる。私の初恋の人だ。
そんなことを思ったタイミングで、室井さんのパートナー・静子さんが顔を出して、
「真奈ちゃん、クッキー焼いたから食べてくれる?」
「! はい! 頂きます!」
静子さんのクッキーは絶品で、食べる機会がある時は必ずその場にいる誰よりも食べるようにしている。静子さんは本当に優しくて料理が上手くて、そんな静子さんに室井さんを取られるなら、それはもう仕方ないことだと割り切れる。まあ年齢が全然違うわけだけども。
静子さんがテーブルにクッキーが入った缶を置いてくださって、静子さんはニッコリと笑ってからまた奥に戻って行った。私は会釈してから迷わず食べることにした。
室井さんは深く呼吸をすると、
「まずは事を荒立てるよりも、観察したほうがいいかもしれないですね。ちょうど夏休みですからね」
「えっとぉ、つまりなんというか、公(おおやけ)にしないということですか?」
「そう。その何でしょうか、当時はマスコミが加熱しておかしなことになりましたからね……」
私たちの家族が叩かれたことを思い出しているようだった。
でもまあ確かに両親が写真を撮らない派なのは本当に何なんだと、家族旅行とかしている時も当時から思っていたので、マスコミが全て悪いとかは思わない。別に私はテレビだって観るし。
室井さんは思案している面持ちで、
「でも何か危険な行動をし始めたら、すぐに連絡してください。というかその、将斗くんは昔から暴力的ですが、チカラはどういった感じでしょうか?」
「いや本当に小学三年生のままで、今は私のほうが身体能力が高そうです」
「では今は普通の小学三年生ということですね、でも豹変とかするかもですから、かわせる時はかわしたほうがいいと思いますよ」
「そんな、無敵なキャラクターは初手受け止める傾向があるから、一撃必殺系の能力者には弱いみたいな話、漫画じゃないんですからっ」
室井さんは真面目な面持ちでじっとこっちを見てくる。
でも確かに、
「兄貴って、化け物が化けている可能性もあるという、ことですか……?」
私は生唾を飲み込んだ。
室井さんはこくりと頷いてから、
「現実としてありえないことが起きています。何が起きても不思議じゃないということです。僕は真奈ちゃんの両親には言いませんが、真奈ちゃんの家の周辺のパトロールを強化しようと思っています。秘密裏に、信頼出来る後輩に連絡し、パトロールをしてもらおうと思っています」
「そんなっ、大げさなっ」
と乾いた笑いが出てしまったんだけども、室井さんは真剣に、
「僕は真奈ちゃんが心配なんです。これだけは覚えていてください。真奈ちゃんの味方はたくさんいます。僕はその中の一人です」
そう言われた時、涙が出そうなくらい嬉しかった。
その後、私は室井さんとバイバイする時に、また静子さんが来てくださって、クッキーを缶ごと頂いた。
私が家に戻ると、まだ誰も帰ってきていなくて、二階の自分の部屋へ戻って、宿題をしながら、クッキーをサクサク食べていた。
次に帰ってきたのは、兄貴とお父さんだった。
兄貴とお父さんが居間でデカい声で「あの姉ちゃん可愛かったなぁ!」とか言って最悪。
私は一応、室井さんからのアドバイスを簡易的に伝えようと、一階の居間にやって来ると、なんと兄貴とお父さんは豪華なショートケーキを食べていたのだ。
「ケーキ!」
と私が指を差して言うと、兄貴がふんぞり返りながら、
「これはダメなんだわ! おれが大嫌いな風呂に入ったご褒美のケーキだから、真奈の分はねぇんだわ!」
私は「えっ!」と声を上げてしまうと、お父さんが後ろ頭を掻きながら、
「まあ今まで真奈にも誕生日の時とかケーキあげていたし、今日は真奈の分はいいかなって……家にいるとも思わなかったし……」
とバツが悪そうにそう言った。自分の分は買ってきているのに。というか私、誕生日にしかケーキ食べたことないけども? ご褒美とかないけども?
お父さんは申し訳無さそうに、
「俺の残りだけど……いるか?」
と言ったんだけども、勿論お父さんの食べかけなんていらないし、ケーキを包んでいたと思われるセロハンはベロベロに舐められていて、そのセロハンとケーキが隣り合っているので絶対嫌だし。
すると兄貴がデカい声で、
「じゃあオヤジの残りはおれがもらうよ!」
と言うと、お父さんは笑顔で「おお、いいぞーっ」と言って、私の誕生日でもそんなことは無いのにと思ってしまった(勿論食べかけは食べないけども)。
ケーキを頬張る兄貴にお父さんは、
「というかお風呂のこと、まだ嫌いかぁ?」
と兄貴にだけ聞こえればいいみたいな声量で言い、兄貴は「やっぱ風呂は嫌だー!」と無駄にデカい声でそう言った。
いやとりあえず、室井さんの話をしなきゃ。兄貴が化け物かもという話は兄貴が今いるのでしないとして、
「室井さんと相談したんだけども、兄貴のことは事を荒立てないで、まずは観察したほうがいいって。ちょうど夏休みだし」
するとお父さんは「おっ」と言ってから、
「真奈は本当に室井さんのことが好きだなぁ! このまま室井さんの家にホームステイでもするか!」
と調子良さそうに言って、何かもう本当に嫌悪感が止まらなかった。
兄貴からは、
「あんなガキのこと好きなのかよー!」
とか言われて、最悪で。
私は無言で自分の部屋へ戻って、静子さんのクッキーをかじった。いいもん、私には静子さんのクッキーがあるから。ケーキなんていらないし。絶対静子さんのクッキーのほうが美味しいし。
その後、お母さんが帰ってきたことは、居間でのデカい声で分かった。でも私はもう居間へ行くことを辞めた。どうせ私のことなんて誰も見てくれないし。
晩御飯の時間になり、居間へ行くと、なんとめっちゃ豪華というか、私の誕生日のちょうど五倍みたいな感じだった。
兄貴は目を輝かせながら、
「これも! あれも! それも! 全部おれの好きな食べ物!」
と喜んでいた。まあそうすることは必然だけども、問題は私に全然目が向かないこと。
それともう一つ。
なんと両親が兄貴のことをスマホで撮影しまくっているのだ。あんなに『思い出は瞳に焼きつけろ』派だったのに。しかも二人揃って。
確かにお母さんの手料理は美味しいけども、全部兄貴に向けたみたい味で、あんまり心は踊らなかった。
兄貴はお母さんのスマホにピースしたところで、こっちをチラリと向き、勝ち誇ったような表情をして本当に腹が立つ。なんというか、あの頃と変わらず生意気だし。
食が進まなくて、ボソボソと食べていると、兄貴が先にお腹いっぱいになって、
「もう昼に風呂入ったから風呂入んねー!」
と言ったところで、お父さんが、
「じゃあ明日は仕事も休んで! 動物園に三人で行くか!」
と言い出して、ギョッとしてしまった。
すると即座にお母さんが私の表情に気付いて、慌てるように、
「三人じゃなくて四人ね! ほら! 今までずっとわたしとお父さんと真奈の三人だったから! 間違って三人って言ってしまっただけで!」
お父さんはキョトンとしながら、
「え、真奈も行くのか? あんま興味無いんじゃないか? 連れてってくれも言ったことないし」
私はつい大きな声で、
「連れてってって言ったよ! もっと子供の時に! でもどこも連れてってくれないから諦めていただけ!」
すると兄貴が即座に「今も子供だろっ?」と笑ったんだけども、それは無視して、私は続ける。
「三人って何! 私をのけ者にしないでよ!」
お父さんは少し面倒クサそうに溜息をつき、お母さんは大げさな身振り手振りで、
「いや四人のほうが楽しいもんね! 四人でいきましょう! 四人で!」
お父さん、そんな露骨に私が邪魔みたいな反応しないでよ……私は本当に胸が詰まり、もうご飯なんて食べられる状態じゃなくなったので、
「お風呂入ります」
と言って立ち上がり、食器を流し台に置いて、そのまま自分の部屋へ戻り、ちょっとだけ涙を流してしまった。
鏡を見ると、意外と目を赤く腫らすほどに泣いていたことに気付き、誰とも顔を合わせないように、一階の脱衣所に行き、またそこでもシャワーを流しながら泣いてしまって、あんま今日水分とっていないのに、まだこんな出るんだ、と他人事のように思ってしまった。
そりゃ兄貴に再会出来たのは嬉しいけども、正直怪しいが勝つし、何よりも家族が私のことをのけ者みたいに扱うことがすごくつらい。ずっと子供は私一人だったのに。
無理やり反抗期にさせられそうな感じになっている。いや動物園は行きたいから行くけども、どうして私一人の時は一度も連れてってくれなかったのかな?
お風呂から上がったらサバンナを走り抜けるヌーのように、家族から逃げて自分の部屋へ閉じこもり、静子さんのクッキーを一口食べた。あんなに甘くて優しい味だったのに、少しだけしょっぱい。いっそのこと私は室井さんの子供になったほうがいいのだろうか。
相変わらず、一階の居間は騒がしくて「お風呂入ったほうがいいよ」とか「入らなくていい!」とか「将斗の好きでいいよっ」って優しい言葉で喋っている。私にはいつも命令形なのに。普段は付けないヘッドフォンをつけて、その日は過ごした。
次の日、朝からお父さんが張り切っちゃって、動物園にはデカい水筒を持って行くらしい。現地で飲み物を買えばいいのに、やっぱり基本ケチだよなぁ、と思う。
出掛けるとなった時、いつも私が学校で使っているスタイリッシュな水筒を持つと、お父さんが、
「そっちを将斗が良いって言ったから、それは将斗の。真奈はこっちのゴレン仮面のにしなさい」
と言いながら、私の水筒を奪うようにし、私にはダサい、小学生低学年用の特撮アニメが描かれた水筒を渡された。私は即座に、
「そのスタイリッシュな水筒は私が中学へ上がる時に、お母さんと選んだ水筒!」
お父さんはムッとしながら、
「でも今、将斗がそれを選んだから!」
「私嫌だよ! あんなダサい水筒! 持って行きたくない!」
「駄々をこねるな! 中学生だろ!」
私は、自分の中でも違和感があるから言わないようにしていたけども、とっさにこの言葉が出た。
「兄貴は兄貴じゃん!」
お父さんは呆れるように、
「でも将斗は今、小学三年生だろ。もう真奈のほうが年上なんだ」
「じゃあいいよ! 私お小遣いでジュースとか買うから水筒いらない!」
すると兄貴が、
「お小遣い? 今はお小遣いくれんのっ? おれもほしい!」
お母さんは少し困惑しながら、
「うちは中学生になったらお小遣いをあげるというルールにしていて。真奈は中学生だからお小遣いがあるのよっ」
でもそんなことを聞いて止まる兄貴ではなくて、
「いや! おれもお小遣いほしい! だっておれ! 真奈の兄貴なんだからお小遣いあってもおかしくないだろ!」
お母さんは眉毛を八の字にして、私とお父さんを交互に見ている。
お父さんはうんと強く頷いてから、
「分かった! 今月良い子にしていたら来月からお小遣いを出す!」
と言って、兄貴はバンザイして、私はギリギリ口からは出なかったけども、マンキンの『はぁ?』が浮かんだ。
私だってやっと中学生になって、お小遣いをもらえたのに。お小遣いをもらえて四ヶ月目なのに。
うちの両親の言い分としては、スマホもパソコンも小学生から持たせるから、その分、お小遣いは無しって話だったのに。
兄貴はキャッキャッと騒ぎながら、
「一万円か? 一万円かっ!」
と言うと、お父さんは笑顔で、
「まだ子供だからな、五千円だ」
と言うと、私とお母さんの「え!」という声がユニゾンした。何故なら五千円というお金は私のお小遣いと一緒だったからだ。
何で小学三年生の兄貴が中学一年生の私と同じお小遣いなんだ! 信じられない! でもお父さんは満足げに頷き、私はお母さんのほうを見ると、お母さんは私に申し訳無さそうな顔をしてから俯いた。
こんなん最悪過ぎる……と、気持ちが落ち込んだ状態で車に乗り込み、お父さんが運転手、兄貴が助手席、私とお母さんで後部座席に座った。
そこでは終始お父さんと兄貴が大きな声で会話して、そこに時折お母さんが入るみたいな感じ。私はずっと黙っていると、お母さんがそっと私の手を握ってきて、優しく微笑んでくれた。
その時に、あぁ、お母さんは私のことを忘れていないんだと思って、心がすごく温まった。
動物園に着き、エントランスをくぐると早速兄貴は走り回り始めて、お父さんは兄貴を追いかけて、お母さんも一緒になって兄貴を追いかける。あっという間に一人になってしまった私。
ちょっと立ち止まって、お母さんは戻って来るかなと思っていると、遠くのほうでお父さんとお母さんが兄貴を挟むようにそれぞれの手を繋いでいたので、こっちにはもう来ないんだ、と悲しくなった。
私もその輪に入ればいいのだろうか。でも何か、一緒にまわる気にはなれなくて。するとお母さんは手を離して写真撮影係のようになり、お父さんと兄貴のツーショット写真をいっぱい撮っているようだった。気付いた時には角を曲がり、私からは見えなくなっていた。遠い存在だ。
動物園は特有の獣臭がする。でもそれが自然だし、全然嫌というわけではなく、その非日常感は普通なら高揚するものだ。でも一人だとこんなに寂しいんだということが分かった。
檻の中の動物たちも常に複数いる。檻の無い世界の私はたった一人で呆然自失。確かに家族三人で行ってもらったほうが良かったのかもしれない。
自販機で適当にジュースを買って、ベンチに座ろうかなと思っていると、聞き覚えのある声がした。
「え、真奈? 真奈か……真奈だ! 奇遇じゃん! 真奈!」
なんと俯いた私の目の前に甚太が立っていて、甚太が嬉しそうに、
「こういうところで会うのって珍しいな! 一緒に見て回ろうぜ!」
「え、あぁ、うん……甚太は一人で動物園?」
「いや! お母さんとお姉ちゃんと一緒! でもまあなんつーかお姉ちゃんとは喧嘩中で、お母さんもお姉ちゃんの肩を持っちゃって、居づらくて一人で見ていたんだ。元々の予定だったし、俺って動物園が好きだから一人で回るとしても来たくてさっ」
甚太のお姉ちゃんは確か一個上で、中学校では吹奏楽部の次期部長とか言って、甚太が自慢していたような。
前に甚太の家へ遊びに行った時も、中学校内でも甚太と甚太のお姉ちゃんは仲良しそうだったのに喧嘩するなんて、どういうことだろうと思い、
「何で喧嘩しているの? 仲良いんじゃないの?」
「昨日まではね! でもお姉ちゃん最悪で! 俺のへそくりのお金勝手に全部使っちゃったんだよ! どうやって取り出したかは分からないけども、何か鍵開けてさぁ!」
「何それ、そんなことするぅ? 甚太のお姉ちゃん優しそうだよねっ」
「だってへそくりのお金が全部無いんだもん、お姉ちゃんしかいないでしょ」
でも、私はそれでもこのことを言うことにした。
「私はそれでも喧嘩しないほうがいいと思うな、だって昨日までいたはずの家族がいなくなることもあるんだから」
甚太は神妙な面持ちになり、
「そう言えば、その、真奈の兄貴のことだけども、その、何なんだ、あれは一体?」
私がそう言ったことにより、私の兄貴が失踪したことにより二度と会えなくなってしまったこと、そして昨日、金庫から出現したことを思い出したみたいだ。
甚太は続ける。
「真奈、大丈夫か、魂吸われていないか? 元気無いけども」
「怪物系だと思っているわけ?」
「だってそうじゃん、現に真奈が全然元気無くて心配だよ」
私のことを心配してくれる人が室井さんだけじゃないってことが、何だかすごく嬉しかったので、
「そうやって心配してくれる人、室井さんと甚太くらいだよ」
と言うと、またあの時みたいに甚太が「いっ!」と声を出した。何だか室井さんという言葉に反応しているみたい。何か因縁あるのかな? 警察と因縁とか穏やかじゃないけども、まあ今はそっちの話はいいとして、
「魂は吸われていないと思う。元気が無いのは、お母さんもお父さんも兄貴が何なのか深く考えないまま付きっ切りになって、寂しいやら、なんというか、怪しいやら」
「怪しいやら」
と甚太がオウム返しして、同調するように頷いた。
甚太は「よしっ」と言うと、
「まあこっからは俺と一緒に見ていけば回ればいいだけだからさ! いざとなったら真奈もスマホあるだろ? 真奈は小学生の頃からスマホ持ってたもんな!」
「うん、スマホあるから両親とは連絡いつでも出来るよ」
「じゃあ一緒に行こうぜ!」
そこから私は甚太と一緒に動物園を見て回った。キリンは見上げるほど大きいし、ゾウが鼻を器用に使ってリンゴを食べているところは何か面白くて笑ってしまった。サイは檻に向かって突進してきて、檻と私たちがいる場所の間に堀があって良かったぁ、って思うし、すごい迫力だ。
甚太はふと、
「やっぱり真奈と一緒は楽しいなぁ!」
と言ってくれて、何だかちょっとだけドギマギしてしまったが、
「真奈のツッコミはやっぱり面白い! 今度本当に一緒にM-1出ようぜ!」
と言って、何か、なんというか拍子抜けして、ズッコケそうになりつつ、
「ツッコミって何さ、早さと言葉数がウリじゃないよ」
「まさにその出てくる言葉がまた面白いんだよなぁ」
「女子が面白くてどうする、モデルのように手品見た程度で『面白い人ですー』とか言ってるヤツのほうがいいでしょ」
「それはもうディスが強いじゃんっ」
と何だかんだ笑い合った。
ちょっと休憩しようとなり、ベンチに座ったところで甚太が「あ、お姉ちゃんだ」と苦々しい声を出した。
私はやっぱりと思って、
「甚太の勘違いかもしれないし、何かのっぴきならない事情があるのかもだからさ、お姉ちゃんと仲直りしなよ」
真剣な面持ちで甚太の瞳を見ると、甚太は深く唸ってから、
「分かった。このままお姉ちゃんとずっと喧嘩も嫌だし、何か、本当にプロの空き巣とかかもだから、仲直りするよ。でも……」
そう何かを言いかけた甚太は、まるで意を決したような表情になり、
「俺、真奈に言われたからそうするんだ」
私は吹き出して笑ってしまい、
「何そのボケ! 私は担任の先生じゃないから!」
甚太は何故か少しだけ引きつるように笑ってから、近くを歩いている甚太のお姉ちゃんに話し掛けた。
すると、甚太は甚太のお姉ちゃんと一緒にこっちへ来て、甚太のお姉ちゃんが、
「甚太がお世話になっています。一個上の姉の千紗です」
そう言って頭を下げた。私は挨拶されたので、
「私は真奈、浅田真奈です」
と返すと、甚太のお姉ちゃん・千紗さんは、
「邪魔じゃなかったら一緒に動物園見て回っていいかな? 急にその、甚太とまた一緒というのも気まずいからっ」
甚太は不服そうに、
「だから許すって言ったじゃん!」
甚太のお姉ちゃん改め、千紗さんは、
「許すとか何もだからアタシが盗んだわけじゃないし、本当にプロの空き巣なんじゃないのっ?」
甚太は小さく頷きながら、
「まあそうなんだろうけどさ」
私は二人が言い合いになりそうな気配を抱いたので、
「私はむしろお姉さんと一緒のほうが安心しますっ」
と答えると、千紗さんが、
「甚太、信用されてなーい」
と笑って、甚太はムッとしながら、
「大人が一人いると心が楽って意味だろ! なぁ! 真奈もそうだよなぁ! まあお姉ちゃん一個上程度で全然大人じゃないけども!」
私も言い方ミスったと思いながら、
「いや本当に甚太の言う通りです! 大人がいたほうがいいなぁってだけです! 甚太のことも信頼しています!」
甚太はムフーッと鼻息を出してから、
「ほらな! 俺は信頼されているんだ!」
と言うと、千紗さんは「あっ」と斜め上を見ながら、
「でも甚太って小学一年生の頃に銭湯でなぁー?」
と声を上げながら言うと、甚太は顔を真っ赤にして、めっちゃ慌てながら、
「その話は絶対すんなぁぁああー! もう六年前だろぉぉおお!」
と大声を出すと、近くのゾウが大きめにパオンと声を荒らげて、千紗さんが爆笑した。
千紗さんのことをたまに中学校で見掛けることがあって、長い黒髪のポニーテールでシャンと背筋を伸ばして歩いているので、凛とした素敵なお方だと思っていたけども、こう話してみると、何だか気さくな人だと思った。だから、なんというか、逆に甚太のへそくりをちょっとかっぱらったかもとは思ってしまった。かっぱらいそうなイメージではある。
ただ馴染むことは本当に出来たので、そこからまるで三人姉弟のように仲良く動物園を回ることが出来た。ちなみに甚太と千紗さんの保護者であるお母さんは動物園ガチ勢で、自分のペースで一人で回ることが苦ではない、むしろ良いまであるらしい。
動物の檻も二周したところで、お土産屋さんへ行くことになった。でも私は友達との会話についていくために買っている雑誌やサブスクだけで、もうお小遣いは限度額いっぱいで、何も買うことが出来ないので、正直つまんない流れになったなと思っていた。
すると甚太が、
「俺さ、動物園用にお小遣いもらったんだけども、なんつーか、そんなだから、真奈にそのお金でぬいぐるみ買ってやるわ」
私は口からヨダレが出そうになりながら、
「えっ? いいのっ! 私そういうの断らないよ! いいのっ?」
「俺が言い出したんだから良いに決まってるだろ、でも千円未満の小さいヤツにしろよ」
「そうする!」
私はこんな機会ほとんど無いので必死で、どれがいいか選んでいると千紗さんが近付いてきて、
「どうしたの、そんな血眼でぬいぐるみ見て」
「甚太がぬいぐるみプレゼントしてくれるって言ってくれて」
千紗さんはクスッと笑うと、甚太を呼び寄せて、
「じゃあ甚太の分はアタシが買うから、甚太とお揃いにしたらいーじゃん」
甚太は首を横に振って、
「いや同級生の男子とお揃いとかキモイだろ、なぁ? 真奈」
でも私は、
「でも学校に持って行くわけでもないから、家で大切に保管するだけだからキモくないけど、えっ、甚太が嫌ってこと?」
「俺は別に嫌じゃないけども! じゃじゃあ! 自分の分も自分で出すわ! そうしないと、お姉ちゃんが真奈にプレゼントしたみたいになるじゃん!」
千紗さんは頷きながら「なるほど」と言ってから「じゃあ甚太がどのぬいぐるみにするか選びなよ」と言ったので、私は、
「それがいいです! もう選択肢あり過ぎて私選べない!」
と正直に述べると、甚太は「えーいや、えー」と言いながら、目の前にあったゾウのぬいぐるみを指差しながら、
「俺、ゾウ好きなんだけども、どうかな」
「私もゾウ好き!」
と答えると、甚太は二つ持って、レジに向かい、本当に買ってくれた。
買ったゾウの、手のひら大のぬいぐるみを渡してくれた。千紗さんは少し不満そうに、
「真奈ちゃんの分はプレゼント用に包んでもらうんだよ、気が利かない男子だなぁ」
と言い、甚太もすぐさま「ゴメン!」と言ったんだけども、私は、
「でも甚太とお揃いってことがちゃんと分かって、こっちのほうがいいよ、有難う」
甚太はお姉ちゃんのほうを自信満々に見ながら「ほらぁっ」と言って、何かおかしくて笑ってしまった。
お土産屋さんから出てきたところで、私の家族とばったり会ったわけだけども、お父さんもお母さんも疲れ果てているようだった。
するとギョッとした顔をした千紗さんが、
「え、将斗、くん……?」
と兄貴を指差すと、兄貴はニヤッとしてから、千紗さんのスカートをめくりながら、
「パァンツ!」
と叫んだんだけども、千紗さんは呆然とするだけで、スカートめくりに対してはもはや無反応。
兄貴はつまらなそうに舌打ちしてから、
「恥じらいの無い女は美人でもアウトだね」
と言いながら、こちらを見て、今度は飛び掛かるようにこっちへ近付いてきて、
「虫がついてっぞ! チョップ!」
と言って私の手を強く叩いて、なんと甚太からもらったゾウのぬいぐるみは叩き落されてしまったのだ。
晴れの日のアスファルトに転がったから、別に汚くないので、すぐに拾ってポケットに入れると、お父さんが、
「おい真奈、万引きしたのか?」
とドスの効いた声で私を睨むと、それを上回るような低い声で、
「友達の俺が真奈にプレゼントしたんです。真奈は大切な友達なんで」
とお父さんを眼光鋭く睨んだ。
お父さんのほうが甚太よりもずっと身長は高いけども、怖気づいたように、
「あ、いやぁー、それならいいんだがーなー」
と言いながら、兄貴の手を握って引っ張って、そのままエントランスのほうに踵を返して、こっちを見ずに「真奈も帰るぞー!」と言った。ダッサぁ。
するとお母さんが小声で、
「本当将斗が突然いなくなっちゃって、探すの大変だったんだからぁ」
と言って、肩を余計に落とした。
私は甚太へ、
「千紗さんにも説明しておいて」
甚太は小声で「え」って言ってから、
「いいのか?」
「いいに決まってるでしょ、だってどう考えても不可解なんだから説明しないとおかしいでしょ」
「分かった」
私は甚太と千紗さんとはそこでバイバイして、お母さんと一緒にお父さんと兄貴の後ろを追いかけた。
車内では兄貴がしきりに、
「で、アイツのこと好きなん?」
とかイジってきて、めっちゃウザかった。好きとかそういうのじゃないし。甚太は。ただの友達だし。