金庫の中の兄貴
【08 疾走】
・
・【08 疾走】
・
急いで出てきたので、お母さんが洗濯物を干す時に使う健康サンダルで外に出てきてしまった。健康サンダルのボツボツが若干痛いけども、そんなことよりもまずは逃げなきゃと思って、私は全力で走った。
夏とは言え、夜は幾分涼しくて、多分浜風のおかげだとは思うんだけども、でもどこか気味の悪い怪異的な、背筋が凍るイメージがまとわりついていて。
純然たる汗というよりは、冷や汗のような恐々とした汗をじっとりと、かいているような気がする。
蝉の鳴き声は妙に少なくて、夜にトイレへ行くと網戸からはもっと聞こえてきていたような気がするのに、今日は妙な静けさで気持ち悪い。
街灯のおかげで迷わず進むことが出来ているけども、街灯の無い狭間の場所は闇に心も身体も吸い込まれそうだ。
あぁ、兄貴が帰ってきたせいで、私たちの家族はおかしくなってしまった。絶対小学三年生のままなんてありえないのに。でも兄貴がずっと何の鍵か教えてくれなかった謎の鍵を使って、金庫から兄貴を出現させたのは、この私だ。全部全部私が悪かったんだ、と思ったら、涙が止まらなくて。
私のせいで家族が壊れちゃった。これからどうすればいいんだろう、と、まだ涙がボロボロ零れている状態で、甚太の家の前に着いてしまった。
人感センサーのライトが付き、このままずっと立っていたら、不審者スポットライトみたいになってしまう。もうなっているんだろうけども。
とにかく涙を抑えてから、抑えてから……チャイムを鳴らすということ? ダメだ、スマホも自分の部屋に置いてきたから、甚太に先に連絡みたいなことが出来ない。
でも確か、甚太って一階に甚太の部屋があって、小学生の頃に何度か甚太の部屋へは行ったから甚太の部屋の位置は覚えている、と思いながら、甚太の家の外周を歩き、確かここが甚太の部屋のはず、と思ったところはまだ電気がついていたので、思い切って窓を叩くと、急に電気が消えてしまい、タイミング・ギリ遅かったぁ! と思った。
でもまだ起きているはずと思って、何度も何度も窓を叩いたんだけども、反応は無くて。もしかすると三十分タイマーで電気が消えたのかもと思って、帰ろうとしたその時だった。
私は急に懐中電灯に顔を照らされて「わ!」と言ってしまうと、デカい声で、
「どうした! 真奈ぁ!」
という甚太の声が聞こえてきて、その懐中電灯はすぐに持ち主たちを照らし、そこには甚太と多分甚太のお父さんが立っていた。
甚太は即座に私の足元を照らして、
「何かあったんだな! 早く俺の家へ入れ!」
と声を荒らげると、甚太のお父さんと思われる男性が、
「こら甚太、そんな言い方するんじゃない。貴方が真奈さんですね、何があったかはおうちの中でじっくり話してください。どうぞ、おうちへ」
そう紳士的に一礼してくださった。
私は甚太が照らす足元をしっかり見ながら、甚太の家へ入っていった。
話によれば、あそこは甚太のお姉ちゃん・千紗さんの部屋で、千紗さんは『犯罪者が来た』と思って、まずは電気を消して身を隠し、家族に知らせて、千紗さんと甚太のお母さんは千紗さんの部屋で待機し、甚太と甚太のお父さんで確保に向かったらしい。なんたるチームプレー、完全な家族で羨ましい。
私は甚太の家族に、やっぱりあの兄貴はおかしいということを話すと、甚太のお父さんが、
「今日も明日も、何ならずっと、ここにいてもいいですからね。もし危険と感じたら、室井さんのところでもいいと思います」
私は駐在所の室井さんのところを失念していた。どうしようと思った時、裕子の次に浮かんだのが甚太だったから。
すると甚太が、
「まあ今日は遅いから、お姉ちゃん、真奈と一緒に寝てくれないか」
千紗さんは大きく頷いて「勿論!」と答えてくださった。
なんて優しい家族なんだろううか。私はこの家に生まれたかった、と思ったところで、玄関のチャイムが鳴った。
甚太のお父さんがすぐに立ち上がって、インターホンを確認した。
すると甚太のお父さんが、
「真奈さん、貴方も来てください」
と言うので、一体何だろうと思っていると、なんと目を泣きはらしたお母さんで「真奈ぁ! ゴメンねぇ! 真奈ぁ! ここにいたのねぇ!」と言いながら、すぐに私に抱きついてきた。お母さんは土足で甚太のおうちに上がっていた。
甚太のお父さんが優しい声で、
「大丈夫ですよ、真奈さんは冷静です」
と言ったんだけども、お母さんは全然冷静じゃないようで、
「真奈ぁ! 真奈ぁ! 真奈ぁぁあああ!」
と近所迷惑でしょってくらい叫んでいた。
なんとか落ち着いたお母さんには靴を脱いでもらい、まずは甚太のおうちの居間に招き入れた。まだぐすぐすいいつつも、お母さんはLINEでお父さんに連絡しているようだった。
お母さんは小声で「申し訳無い、恥ずかしい」と言っているわけだけども、甚太のお母さんが優しく背中を撫でている。
すると立ち上がったと思った甚太がすぐに戻ってきて、麦茶を私とお母さんに出してくれた。
お母さんは「そんな」と言ったんだけども、甚太のお父さんが「飲んでください」と言うと、会釈してから飲みだしたので、私も飲むことにした。ミネラルが汗を補完してくれる。
甚太のお母さんはちょっと興奮するような大きな声で、
「何かされた? 大丈夫っ?」
と私というより、お母さんに対して言っているようだった。
お母さんは甚太のお母さんのほうを向きながら、私がゲンコツで殴られたことを話すと、甚太のお母さんはへの字口になり、
「何それ! だからあの男は良くないと思ったんだよ! カナッペ! 離婚しな!」
と声を荒らげて、お母さんは甚太のお母さんに「いやちょっと、多分家で反省しているからっ」と答えて、甚太のお父さんはおろおろし始めた。
千紗さんは私へ、
「真奈ちゃんのお母さんとアタシのお母さんって幼馴染なんだよ、知らなかった?」
私と甚太は目を丸くして驚き、甚太も知らなかったんだと思った。
でもカナッペは昔馴染みの呼び方過ぎるし、そうなんだろうな。お母さんの本名は加奈子だ。
甚太のお母さんは止まらない。
「本当カナッペは優し過ぎるんだから! 家族ぐるみで育てる! ハイ! これで解決!」
甚太のお父さんは困った顔で、
「いつも千鶴枝は極論過ぎる」
甚太のお母さんはその勢いのまま、
「貴方は悠長よ!」
お母さんはもう泣いている暇が無くなり、甚太の両親の言い合いを止めることに精を出していた。
小声で千紗さんが「もう大丈夫そう」と言うと、甚太が「うちがおかしくなりそうだよ」と笑った。
私は改めて、といった感じに柏手一発叩くと、甚太の両親はピタッと止まったので、私は喋り出すことにした。
「そもそもさ、お母さん、あの兄貴を本物の兄貴だと判定しちゃうと私たちの前提がおかしくなっちゃうよ、覚えていない? ずっと言っていた前提」
お母さんはピンときていないようなので、私はそのまま続けた。
「兄貴は実は生きていて、記憶喪失のまま成長していってて。だからあの小学三年生のままの兄貴を容認すると、兄貴は死んだことになっちゃうんだよ。それは嫌でしょ?」
お母さんはハッとした顔を浮かべた。どうやら今までずっと家族と喋っていたこの前提のことがすっぽり抜け落ちていたらしい。
そりゃまあ兄貴が姿を見せたら、そんなこと忘れちゃうことも道理だけども、私はやっぱりこの説を推したい。
甚太のお父さんは、
「それはそうですね、真奈さんの言う通りです」
と同調してくださると、それを皮切りに、甚太の家族が口々に、
「そうだよな、真奈の言う通りだよ」
「真奈ちゃん、絶対合ってると思う」
「さすがカナッペ! じゃなくて真奈ちゃん!」
甚太のお母さんが言い間違えたことで笑いが生まれて、お母さんも心に、本当に余裕が出来たようで、
「確かにその通りだよね、真奈の言う通りだ。将斗は生きているんだから、今は高校一年生のはずだよね」
「もう一回お父さんを説得しに行こうよ」
「うん、というか多分大丈夫だと思うわ、お酒も抜けただろうし」
とお母さんが言うと、甚太のお母さんは不機嫌そうに「お酒で殴ったのっ? サイテー!」と子供のように言い放ち、甚太のお父さんが嗜めていた。
私はお母さんと一緒に甚太のおうちから出て行く時、家族総出で見送ってくださって、甚太は、
「真奈、何かあったら絶対駆けつけるから。俺じゃ物足りないかもだけど、話くらいは聞くから」
千紗さんは「アタシもだよ!」と優しく微笑んでくださって、甚太のお父さんは「みんなみんな味方ですから」と言い、甚太のお母さんは、
「カナッペ! 真奈ちゃん! いつでも養う!」
と叫び、千紗さんから軽く小突かれていた。
私とお母さんは意気揚々と自分の家へ戻って行った。
あんなに暗いと思った夜道も、よくよく見ると、月光に照らされてそんなに暗くないし、相変わらず蝉は騒々しかった。
おうちに戻ると、居間に電気がついていたので、入ると、お父さんがそこで正座をしていて、私を見るなり、その態勢のまま、深々と頭を下げた。
お父さんが顔を上げる前に、お母さんと一緒にソファーへ座ると、お父さんは顔を上げてキョロキョロしてから、こちらに体(たい)を向けて、正座のまま喋り出した。
「真奈、本当に悪かった。将斗のことで頭に血が上ってしまった。俺は本当にやってはいけないことをした。許さなくてもいいから、今後も話だけは聞いてほしい」
私は深く呼吸してから、
「いいよ、もう。お父さん、兄貴が戻って来てからずっと変だったもん。ずっとお父さんじゃなかったみたい」
「本当に悪かった……ここぞという時にこんな人間になるなんて、本当に自分が恥ずかしい……」
私がまた喋ろうとしたところでお母さんが私を制止して、お母さんが私の考え方を話してくれた。多分またお父さんがキレた時、矛先が自分へ向くようにだろう。
最後まで話し、お父さんが激昂しなかったところで「というのが真奈の冷静な考え方です」と付け加えてくれた。
さて、兄貴が生きているとしたら、小学三年生のままの兄貴なのはおかしいという考え方を聞いて、お父さんはどう思うだろうか。
するとお父さんはうんと深く頷いて、
「真奈の言う通りだ。だって将斗はまだ生きているんだから」
と一瞬半べそのような声で答えてくれた。
でも、
「そもそも私が民宿黒田の金庫で、兄貴が大切にしていた鍵で金庫を開けたせいだよね、ゴメンなさい、私が全ての元凶でした」
そう自分で言うと、何だかものすごく悲しくなってきて、涙が溢れてくると、お母さんがすぐさま、
「真奈ぁ! 泣かないで! 絶対真奈のせいじゃないから!」
お父さんも矢継ぎ早に、
「そうだぞっ、真奈は手掛かりを探そうとしただけじゃないかっ、真奈が苦しむ必要は何も無いんだぞっ」
私はなんとか泣くのを堪えていると、お父さんが、
「でも手掛かりという観点は重要だ。明日は四人で民宿黒田さんの金庫を見に行こうじゃないか。何かヒントがあるかもしれない。仕事も休もう」
お母さんはうんうん何度も頷いて、
「ええ、そうしましょう、手掛かりを探って答えを見つけましょう」
私は何度もあの金庫を見たけども、手掛かりになりそうなところは何も無かった。本当に何の変哲も無いオンボロ金庫。でも大人が見たら何か変わるかもしれない。
「うん、みんなで行こう」
そう言って、今日はそれぞれの部屋で寝ることになった。
私はいろいろあったので、過覚醒しちゃったかなと思っていたけども、疲れが上回ったみたいで、すぐに寝れた。
次の日、面倒クサそうな兄貴を自動車に押し込んで、お父さんの運転で民宿黒田に横付けした。
お父さんは兄貴をしっかりホールドするように、後ろから兄貴を掴むように一緒に歩き、まるで二人羽織だ。でもこうやってスーパーを練り歩く親子を見たことあるので、みんなするんだろうな。
私が率先して金庫があったところへ足を運んだんだけども、金庫が無くなっていて、目を丸くしてしまった。
兄貴も驚いたようで、
「金庫が無い!」
と叫ぶと、急いでお母さんが民宿のチャイムを鳴らした。民宿黒田の店主・臼田さんが顔を出して、
「いかがしましたか?」
私は即座に、
「金庫どこにいきましたか!」
と聞くと、臼田さんは口を手で覆いながら、
「金庫はですね、もう人間が出るなんて気持ち悪いですから、捨てましった」
と妙に言葉を弾ませながら、そう言った。
お父さんはいぶかしげに、
「本当ですか?」
と聞くと、臼田さんは目を泳がせながら、
「えぇもう解体しちゃいましったっ」
と明らかに平常心じゃない感じで言い、お父さんは追及する声で、
「金庫って解体出来るものなんですか?」
「だってボロボロだったんでっ、ノコギリですぐでっすって」
「金庫ってノコギリじゃ切れませんよね?」
「木製だったんって」
私は割って入って、
「いや、ちゃんと鉄製でした」
臼田さんは高速で「いやいやいやいやいやいやいや」と言ってから、
「そう見えましたが、実っはっ、ハハッ!」
と掠れ笑いを上げた。
すると今度は兄貴が、
「ちゃんとめっちゃ鉄クサかったけど、中ぁ」
と言うと、臼田さんはもう完全に無視をした。
お父さんは臼田さんの目を見ながら、
「本当に無いんですか?」
と聞くと、臼田さんはバッと目を逸らすように、後ろを向いて、空だと思われる口の開いた段ボールを持って、靴箱の上にただ乗せて、まるで作業しているフリをしながら、
「今忙しいんです。用が無いなら帰ってください」
と言い、お父さんもお母さんも、兄貴も不満そうな顔をした。
すると兄貴が、
「ババアのパンツを手に入れることに精を出してんじゃねぇの!」
と叫ぶと、臼田さんは後ろを向いたまま、
「うるせぇ! 不法侵入で警察呼ぶぞ! あぁん!」
と言いながら、民宿の奥に走って逃げていった。普通、胸倉掴んでメンチ切るヤツでしょ、今の台詞は。
お父さんは小声で、
「もう帰ろう」
と言い、兄貴を操作するように、兄貴の身体を外に向かせて、お母さんも私もすごすごと車の中に戻った。
車内に戻り、お母さんがすぐさま「絶対隠しているし、悪用しているわっ」と言い、お父さんも「絶対そうだな」と言った。私もそう思う。
手掛かりが完全に無くなったところで兄貴が、
「で、金庫で何を出したかったんだ?」
と言った。そうだ、兄貴には何で金庫を見に行ったのかの説明はしていなかったんだった。
するとお母さんが、
「将斗、歩いて帰りましょうか。お父さんと真奈は駐在所へ行くみたいですよ」
兄貴は即座に、
「真奈を連行するの?」
と言うと、お父さんが、
「いいや、俺と将斗が車に乗って帰るぞ。お母さん、頼むぞ」
と言うと、私も流れでお母さんと一緒に車から降りて、お父さんと兄貴を乗せた車は多分そのまま家へ戻って行った。
私はお母さんへ、
「どういうこと?」
「昨日の夜、お父さんと話していたんだけども、もういっそのこともう一度、警察を頼ってみようって話をしていたのよ」
でもそんなことしても、何も変わらないんじゃ、六年前と一緒なんじゃと思ったが、とりあえず駐在所へ歩いて行った。
駐在所に着くと、ちょうど室井さんが不在だったようで、静子さんが私たちの対応をしてくれた。
「今日はちょうど良かった! ケーキを焼いたんです!」
と静子さんが言うと、缶詰の桃が乗ったショートケーキを出してくださった。というか桃以外、本格的過ぎる。
お母さんは何度か拒否していたけども、最後は食べることにして、私よりも嬉しそうに食べていた。私はなんせちょっと慣れているので。
三十分後、しっかり作り置きのクッキーももらったところで、室井さんが帰ってきて、
「今日はお母さんも一緒で。どうしたんですか?」
と言いながら、いつもの定位置に座った。
お母さんは矢継ぎ早に、
「改めて、将斗の情報を公開したいんです」
「な、る、ほ、どー……」
室井さんはでも即決といった感じじゃなくて、斜め上のほうを見た。
眉毛のあたりを掻いてから、
「でもマスコミを使うことは止めましょう」
お母さんはすぐさま、
「ダメですかっ」
室井さんはう~んと唸ってから、
「ダメじゃないというか、まあダメと言えばダメですね。前回というか六年前のことがありますし。その、なんというか、あの時は大変だったじゃないですか」
お母さんは「はい」と応えてから、
「バッシングの件ですよね」
室井さんは少し言いづらそうに、
「まあそうです。今更、将斗、くんの写真を公開したら、なおさら奇異な目で見られるはずです」
そうか、今は兄貴の写真をいっぱい撮ってあるから、兄貴の写真があるんだ。
室井さんは耳元を掻いてから、
「だからSNSを使いましょう。ネットで、全く別の失踪事件のように振る舞うんです。真奈ちゃんの家だと思われないように。バレないように」
「じゃあ早速!」
と言ってお母さんがスマホを取り出したんだけども、室井さんが制止のポーズをとりながら、
「僕がやります!」
と、焦っていたのかちょっとデカい声を出した。
室井さんはコホンと一息ついてから続けた。
「こういうのは意図しない誹謗中傷も送られてくるので、僕が検閲してお知らせします。僕に任せてください。一番情報がもらえるような書き方をします」
私もお母さんも室井さんのことを信頼しているので、室井さんに任せることにした。お父さんに連絡して、室井さんのスマホに写真をいっぱい送った。
その中から室井さんが選んで、一番良い画像や動画をネット上にアップロードするらしい。
さらに自分の友達で拡散力のある人に頼んで、拡散してもらうという話で落ち着いた。
「後は平常心でお過ごしください」
そう言って、私とお母さんとバイバイした室井さん。
家に戻ってからお母さんはすぐにスーパーへ買い出しに行き、お父さんは兄貴と一緒に遊んで、私は自分の部屋で宿題をしていた。
その晩は普通にオヤスミとなり、事件は翌日に起きた。
なんと兄貴が忽然と消えていて、私とお父さんとお母さんで必死に家中を探したけども、どこにもいなかったのだ。
実はお父さんが二日前に、家の玄関に監視カメラを設置していて、その監視カメラで玄関を映していたんだけども、兄貴はそこにも映っていなかった。
お父さんはその日、昼まで町中を探して、完全にいなくなったと知ると、夕方からお酒を浴びるように飲み始めて、
「全ては幻だったんだぁ!」
と泣き叫んだ。逆にお母さんはいつもお父さんが夜に帰ってきたところで晩酌の付き合いをするのにお酒を一切飲まず、じっと居間に座っていた。多分知らせがあれば車で飛んでいく気らしい。
今まで、兄貴の偽物だと思われるヤツがずっと家にいて、ソワソワしていたけども、いざいなくなると本当に悲しくて、もう自分が制御出来なくて訳が分からない。
これで良かったはず、でも急にどうして、と思っていると、午後七時に玄関のチャイムが鳴り、誰よりも早くお母さんが玄関の扉を開けると、お母さんから悲しい「はい……」の声が聞こえてきたので、兄貴ではなかったらしい。
でも私はちょっと心が躍ってしまった。何故なら、裕子と甚太と甚太のお姉ちゃん・千紗さんだったからだ。
裕子は靴を急いで脱ぐと、すぐさま私を抱き締めて、
「ゴメン! やっぱり真奈と仲違いしたくないよ!」
甚太は優しい声で、
「LINE既読も無いし、何かあったんだなと思ってさ、裕子にも声を掛けて」
「アタシはアタシで行く気だったし!」
と私の耳元で裕子がデカい声を出した。
千紗さんは落ち着いた声で、
「夜に遊びに来ちゃったけども、いいですか、ね……?」
とお母さんに対して言って、お母さんはなんとか笑みを作って、
「勿論いいわよ! 泊まっていってもいいのよ!」
とサムアップしたんだけども、どう見ても作り笑顔だった。
居間でお酒をたらふく飲んでいたお父さんは恥ずかしそうに、自分の部屋へ行き、私と裕子と甚太と千紗さんとお母さんで居間に入った。
お母さんは一旦窓を開けて、部屋を換気し、アルコール臭を飛ばそうとしている。
私は改めて、
「裕子、本当に有難う。だってずっと裕子とは友達でいたいから」
と言うと、裕子が少し瞳を潤ませながら、
「アタシだってそうだよ! それにもう大丈夫! アタシは真奈と甚太を応援する!」
甚太は恥ずかしそうにし、千紗さんはハハッと快活に笑った。
裕子が何気ない感じで、
「でもアタシの恋は破れてばっかだなぁ」
と言うと、甚太がギョッとして、裕子を見ると、裕子もハッとした顔をした。
あぁ、そうか、裕子は甚太に好きって伝えていないわけだから、今の台詞はまあそうなるよなぁ。
甚太は少し申し訳無さそうに、
「ゴメン、俺、真奈のことが好きだから、さ……」
裕子はあわあわしつつ、
「いやいやいや! アタシの話はどうでもいいし! 甚太もいつも通り友達でいよっ!」
「も、勿論……」
と少し気まずそうに頷いた甚太。
すると千紗さんが、
「で、破れてばっかってどういう意味ぃっ?」
と聞いてきて、何か分からんけどもメンタル強いなぁ、と思った。
裕子はガハッと笑ってから「聞くんですか!」と叫び、千紗さんは「お姉さん、気になっちゃった」と舌を出した。
裕子は遠い目をしながら、
「ゴメンね、真奈。真奈との友情は一生だと思うけども、本当は真奈との友情じゃなくて将斗さんへの愛情が先なんだ」
今までずっとぼんやりしていたお母さんがバッとこっちを向いた。
裕子は続ける。
「実はアタシにとって初恋の人が真奈のお兄ちゃんの、将斗さんで、最初は将斗さん目当てで真奈と一緒に遊んでいて……でも本当に真奈のことも大好きになったよ」
千紗さんは小声で「恋多き女ねぇ」と言うと、裕子は吹き出して笑った。
お母さんはその勢いで立ち上がり、全員分のジュースを用意してくれ始めた、ところまでは見えていたんだけども、私の視界はどんどんぼんやりしていき、
「ワガママで、喧嘩ばっかで、戻って来ても、同じようにで、でも、でも、私にとっては、唯一の兄妹で、大切な、兄貴だったん、だ……」
私の瞳からはボロボロと涙が零れ落ちていた。俯いていたので、頬を伝うこともなく、そのままカーペットの上を濡らしている。
「みんな、みんなはずっといてくれるよね、私を一人にしないよね、私、私ぃっ」
と気付いた時には私は左隣にいた裕子に抱きついていた。
すると裕子は私の右隣に座っていた甚太に向かって、
「ゴメンね! 真奈が抱きつくのはまだアタシが先なんだわ! こっから頑張っていってね!」
と言い、甚太は「俺も信頼感厚くするぞー!」と言い、千紗さんは軽い感じで「ファイト!」って言っていて、何だか笑ってしまった。
まだ涙は流れているけども、みんながいてくれるなら大丈夫だと、本当に想った。
結局遊びに来てくれた三人はそのままうちで泊まっていくことになって、ずっと心が温まった。
次の日の早朝、三人というか私を入れた四人で、裕子の家のお寺に行って、兄貴の無事を願いに行った。
四人で並んで、鈴を鳴らして、手を合わせて願っていたその時だった。
お母さんから連絡が入り、
『室井さんから連絡があって見つかったって!』
私は三人とはその場で別れようとしたら、裕子が甚太の背中を思いきり叩いて、
「駐在所まで見送ってやりなよ!」
と言い、甚太は明らかに痛がりながらも、
「行くか、真奈」
「うん! 有難う!」
と言うと、裕子はニカッと笑って、千紗さんはサムアップした。
私と甚太は走って駐在所へ向かった。本当は甚太、駐在所の室井さんが苦手みたいだけども、そんなことを気にする素振りは一切見せなかった。
別に私の中では、まだ甚太と付き合うとは決めていないけども、これなら付き合ってもいいかなと思っている。
まだ早朝ということもあり、風は爽やかで、追い風だったので、ぐんぐん進むことが出来ている。
このまま全てが上手くいけばいいのに、そんなことを思いながら駐在所に着くと、室井さんはガラス戸越しに私へ手を振った。
甚太は駐在所の前で止まり、
「じゃあ俺は帰るから」
と言ったので、何だか心細く感じてしまい、
「どうせならいてよ!」
と言うと、甚太は満面の笑みになり、
「おうよ!」
と言って、二人で駐在所の中に入った。
もうお父さんもお母さんもいて、室井さん側には静子さんもいた。
室井さんは即座に、
「向こうかたは夏休み中に済ませたいらしく、今日でもいいという話です」
済ませたいという言葉に突っかかってしまう自分がいた。室井さんがそんな言い方をするなんてと思っていると、
「会うは会うけども、真奈ちゃんちの家族として戻る気は無いらしいです」
と神妙な面持ちで室井さんは言った。そういうことか、だから済ませたいなのか、お父さんとお母さんは頭を抱えた。
でも、それも兄貴の人生だと思うので、
「分かりました。で、記憶喪失なんですか?」
「その通りです。記憶喪失で今の両親に拾われたって昨日告げられたらしいです。正直、今の将斗の両親は人さらいで犯罪です。でも将斗はそれでもいいって、公(おおやけ)にしたくないって。出来ることなら今の両親の元で生きていきたいと。まあ育ててもらった恩があり、真奈ちゃんちに何の記憶も無くてってところですね」
するとお母さんが叫びたい気持ちを押し殺すような声で、
「それでも、会いたいです……」
と言い、お父さんもそれに同調した。
室井さんは、
「ではいつ会う算段にしましょうか」
と言うと、お父さんもお母さんもすぐに会いたいと答えた。
というわけで、室井さんにやり取りをしてもらって、午後三時に、〇〇駅という中間の駅で落ち合うことになった。〇〇駅は比較的大きな駅で、ちゃんと駅前に喫茶店などもあるらしい。
私たち家族は一旦家に戻ることになった。甚太とは結局たいして会話出来なかったけども、甚太がいてくれただけで、幾分落ち着けて、
「甚太、有難う」
「いつでも頼ってほしい、でも一旦じゃあな。お寺で真奈とお兄ちゃんが一緒に住めるようにって願ったから!」
と言って甚太とはバイバイした。
私はお父さんの運転する車に乗せられて、家に戻り、兄貴に会う準備をした。
時間になり、午後三時の二十分前に〇〇駅へ着くように家を出て、電車に乗った。
私たち家族は無言だった。これからやっと成長した、高校一年生の兄貴と会えるというのに、まるでお通夜だった。
電車の時間の関係上で二十分前に着き、私たちはソワソワしながら、電車のホームにいた。お父さんはずっと歩いていた。
兄貴側の電車から、大勢の人々が降りてきたんだけども、あれが兄貴だって、すぐに分かった。
兄貴もこちらを見るなり、室井さんとのやり取りで私たち家族の写真を送っていたので、分かったみたいで、一礼してから、こちらへ近付いてきて、
「貴方たちが、僕の元・家族だったんですね。佐川将斗です。よろしくお願い致します」
兄貴とは思えないほど、丁寧な口調の高校生だった。
この苗字の違いに、心と物理的な遠さを感じた。
・【08 疾走】
・
急いで出てきたので、お母さんが洗濯物を干す時に使う健康サンダルで外に出てきてしまった。健康サンダルのボツボツが若干痛いけども、そんなことよりもまずは逃げなきゃと思って、私は全力で走った。
夏とは言え、夜は幾分涼しくて、多分浜風のおかげだとは思うんだけども、でもどこか気味の悪い怪異的な、背筋が凍るイメージがまとわりついていて。
純然たる汗というよりは、冷や汗のような恐々とした汗をじっとりと、かいているような気がする。
蝉の鳴き声は妙に少なくて、夜にトイレへ行くと網戸からはもっと聞こえてきていたような気がするのに、今日は妙な静けさで気持ち悪い。
街灯のおかげで迷わず進むことが出来ているけども、街灯の無い狭間の場所は闇に心も身体も吸い込まれそうだ。
あぁ、兄貴が帰ってきたせいで、私たちの家族はおかしくなってしまった。絶対小学三年生のままなんてありえないのに。でも兄貴がずっと何の鍵か教えてくれなかった謎の鍵を使って、金庫から兄貴を出現させたのは、この私だ。全部全部私が悪かったんだ、と思ったら、涙が止まらなくて。
私のせいで家族が壊れちゃった。これからどうすればいいんだろう、と、まだ涙がボロボロ零れている状態で、甚太の家の前に着いてしまった。
人感センサーのライトが付き、このままずっと立っていたら、不審者スポットライトみたいになってしまう。もうなっているんだろうけども。
とにかく涙を抑えてから、抑えてから……チャイムを鳴らすということ? ダメだ、スマホも自分の部屋に置いてきたから、甚太に先に連絡みたいなことが出来ない。
でも確か、甚太って一階に甚太の部屋があって、小学生の頃に何度か甚太の部屋へは行ったから甚太の部屋の位置は覚えている、と思いながら、甚太の家の外周を歩き、確かここが甚太の部屋のはず、と思ったところはまだ電気がついていたので、思い切って窓を叩くと、急に電気が消えてしまい、タイミング・ギリ遅かったぁ! と思った。
でもまだ起きているはずと思って、何度も何度も窓を叩いたんだけども、反応は無くて。もしかすると三十分タイマーで電気が消えたのかもと思って、帰ろうとしたその時だった。
私は急に懐中電灯に顔を照らされて「わ!」と言ってしまうと、デカい声で、
「どうした! 真奈ぁ!」
という甚太の声が聞こえてきて、その懐中電灯はすぐに持ち主たちを照らし、そこには甚太と多分甚太のお父さんが立っていた。
甚太は即座に私の足元を照らして、
「何かあったんだな! 早く俺の家へ入れ!」
と声を荒らげると、甚太のお父さんと思われる男性が、
「こら甚太、そんな言い方するんじゃない。貴方が真奈さんですね、何があったかはおうちの中でじっくり話してください。どうぞ、おうちへ」
そう紳士的に一礼してくださった。
私は甚太が照らす足元をしっかり見ながら、甚太の家へ入っていった。
話によれば、あそこは甚太のお姉ちゃん・千紗さんの部屋で、千紗さんは『犯罪者が来た』と思って、まずは電気を消して身を隠し、家族に知らせて、千紗さんと甚太のお母さんは千紗さんの部屋で待機し、甚太と甚太のお父さんで確保に向かったらしい。なんたるチームプレー、完全な家族で羨ましい。
私は甚太の家族に、やっぱりあの兄貴はおかしいということを話すと、甚太のお父さんが、
「今日も明日も、何ならずっと、ここにいてもいいですからね。もし危険と感じたら、室井さんのところでもいいと思います」
私は駐在所の室井さんのところを失念していた。どうしようと思った時、裕子の次に浮かんだのが甚太だったから。
すると甚太が、
「まあ今日は遅いから、お姉ちゃん、真奈と一緒に寝てくれないか」
千紗さんは大きく頷いて「勿論!」と答えてくださった。
なんて優しい家族なんだろううか。私はこの家に生まれたかった、と思ったところで、玄関のチャイムが鳴った。
甚太のお父さんがすぐに立ち上がって、インターホンを確認した。
すると甚太のお父さんが、
「真奈さん、貴方も来てください」
と言うので、一体何だろうと思っていると、なんと目を泣きはらしたお母さんで「真奈ぁ! ゴメンねぇ! 真奈ぁ! ここにいたのねぇ!」と言いながら、すぐに私に抱きついてきた。お母さんは土足で甚太のおうちに上がっていた。
甚太のお父さんが優しい声で、
「大丈夫ですよ、真奈さんは冷静です」
と言ったんだけども、お母さんは全然冷静じゃないようで、
「真奈ぁ! 真奈ぁ! 真奈ぁぁあああ!」
と近所迷惑でしょってくらい叫んでいた。
なんとか落ち着いたお母さんには靴を脱いでもらい、まずは甚太のおうちの居間に招き入れた。まだぐすぐすいいつつも、お母さんはLINEでお父さんに連絡しているようだった。
お母さんは小声で「申し訳無い、恥ずかしい」と言っているわけだけども、甚太のお母さんが優しく背中を撫でている。
すると立ち上がったと思った甚太がすぐに戻ってきて、麦茶を私とお母さんに出してくれた。
お母さんは「そんな」と言ったんだけども、甚太のお父さんが「飲んでください」と言うと、会釈してから飲みだしたので、私も飲むことにした。ミネラルが汗を補完してくれる。
甚太のお母さんはちょっと興奮するような大きな声で、
「何かされた? 大丈夫っ?」
と私というより、お母さんに対して言っているようだった。
お母さんは甚太のお母さんのほうを向きながら、私がゲンコツで殴られたことを話すと、甚太のお母さんはへの字口になり、
「何それ! だからあの男は良くないと思ったんだよ! カナッペ! 離婚しな!」
と声を荒らげて、お母さんは甚太のお母さんに「いやちょっと、多分家で反省しているからっ」と答えて、甚太のお父さんはおろおろし始めた。
千紗さんは私へ、
「真奈ちゃんのお母さんとアタシのお母さんって幼馴染なんだよ、知らなかった?」
私と甚太は目を丸くして驚き、甚太も知らなかったんだと思った。
でもカナッペは昔馴染みの呼び方過ぎるし、そうなんだろうな。お母さんの本名は加奈子だ。
甚太のお母さんは止まらない。
「本当カナッペは優し過ぎるんだから! 家族ぐるみで育てる! ハイ! これで解決!」
甚太のお父さんは困った顔で、
「いつも千鶴枝は極論過ぎる」
甚太のお母さんはその勢いのまま、
「貴方は悠長よ!」
お母さんはもう泣いている暇が無くなり、甚太の両親の言い合いを止めることに精を出していた。
小声で千紗さんが「もう大丈夫そう」と言うと、甚太が「うちがおかしくなりそうだよ」と笑った。
私は改めて、といった感じに柏手一発叩くと、甚太の両親はピタッと止まったので、私は喋り出すことにした。
「そもそもさ、お母さん、あの兄貴を本物の兄貴だと判定しちゃうと私たちの前提がおかしくなっちゃうよ、覚えていない? ずっと言っていた前提」
お母さんはピンときていないようなので、私はそのまま続けた。
「兄貴は実は生きていて、記憶喪失のまま成長していってて。だからあの小学三年生のままの兄貴を容認すると、兄貴は死んだことになっちゃうんだよ。それは嫌でしょ?」
お母さんはハッとした顔を浮かべた。どうやら今までずっと家族と喋っていたこの前提のことがすっぽり抜け落ちていたらしい。
そりゃまあ兄貴が姿を見せたら、そんなこと忘れちゃうことも道理だけども、私はやっぱりこの説を推したい。
甚太のお父さんは、
「それはそうですね、真奈さんの言う通りです」
と同調してくださると、それを皮切りに、甚太の家族が口々に、
「そうだよな、真奈の言う通りだよ」
「真奈ちゃん、絶対合ってると思う」
「さすがカナッペ! じゃなくて真奈ちゃん!」
甚太のお母さんが言い間違えたことで笑いが生まれて、お母さんも心に、本当に余裕が出来たようで、
「確かにその通りだよね、真奈の言う通りだ。将斗は生きているんだから、今は高校一年生のはずだよね」
「もう一回お父さんを説得しに行こうよ」
「うん、というか多分大丈夫だと思うわ、お酒も抜けただろうし」
とお母さんが言うと、甚太のお母さんは不機嫌そうに「お酒で殴ったのっ? サイテー!」と子供のように言い放ち、甚太のお父さんが嗜めていた。
私はお母さんと一緒に甚太のおうちから出て行く時、家族総出で見送ってくださって、甚太は、
「真奈、何かあったら絶対駆けつけるから。俺じゃ物足りないかもだけど、話くらいは聞くから」
千紗さんは「アタシもだよ!」と優しく微笑んでくださって、甚太のお父さんは「みんなみんな味方ですから」と言い、甚太のお母さんは、
「カナッペ! 真奈ちゃん! いつでも養う!」
と叫び、千紗さんから軽く小突かれていた。
私とお母さんは意気揚々と自分の家へ戻って行った。
あんなに暗いと思った夜道も、よくよく見ると、月光に照らされてそんなに暗くないし、相変わらず蝉は騒々しかった。
おうちに戻ると、居間に電気がついていたので、入ると、お父さんがそこで正座をしていて、私を見るなり、その態勢のまま、深々と頭を下げた。
お父さんが顔を上げる前に、お母さんと一緒にソファーへ座ると、お父さんは顔を上げてキョロキョロしてから、こちらに体(たい)を向けて、正座のまま喋り出した。
「真奈、本当に悪かった。将斗のことで頭に血が上ってしまった。俺は本当にやってはいけないことをした。許さなくてもいいから、今後も話だけは聞いてほしい」
私は深く呼吸してから、
「いいよ、もう。お父さん、兄貴が戻って来てからずっと変だったもん。ずっとお父さんじゃなかったみたい」
「本当に悪かった……ここぞという時にこんな人間になるなんて、本当に自分が恥ずかしい……」
私がまた喋ろうとしたところでお母さんが私を制止して、お母さんが私の考え方を話してくれた。多分またお父さんがキレた時、矛先が自分へ向くようにだろう。
最後まで話し、お父さんが激昂しなかったところで「というのが真奈の冷静な考え方です」と付け加えてくれた。
さて、兄貴が生きているとしたら、小学三年生のままの兄貴なのはおかしいという考え方を聞いて、お父さんはどう思うだろうか。
するとお父さんはうんと深く頷いて、
「真奈の言う通りだ。だって将斗はまだ生きているんだから」
と一瞬半べそのような声で答えてくれた。
でも、
「そもそも私が民宿黒田の金庫で、兄貴が大切にしていた鍵で金庫を開けたせいだよね、ゴメンなさい、私が全ての元凶でした」
そう自分で言うと、何だかものすごく悲しくなってきて、涙が溢れてくると、お母さんがすぐさま、
「真奈ぁ! 泣かないで! 絶対真奈のせいじゃないから!」
お父さんも矢継ぎ早に、
「そうだぞっ、真奈は手掛かりを探そうとしただけじゃないかっ、真奈が苦しむ必要は何も無いんだぞっ」
私はなんとか泣くのを堪えていると、お父さんが、
「でも手掛かりという観点は重要だ。明日は四人で民宿黒田さんの金庫を見に行こうじゃないか。何かヒントがあるかもしれない。仕事も休もう」
お母さんはうんうん何度も頷いて、
「ええ、そうしましょう、手掛かりを探って答えを見つけましょう」
私は何度もあの金庫を見たけども、手掛かりになりそうなところは何も無かった。本当に何の変哲も無いオンボロ金庫。でも大人が見たら何か変わるかもしれない。
「うん、みんなで行こう」
そう言って、今日はそれぞれの部屋で寝ることになった。
私はいろいろあったので、過覚醒しちゃったかなと思っていたけども、疲れが上回ったみたいで、すぐに寝れた。
次の日、面倒クサそうな兄貴を自動車に押し込んで、お父さんの運転で民宿黒田に横付けした。
お父さんは兄貴をしっかりホールドするように、後ろから兄貴を掴むように一緒に歩き、まるで二人羽織だ。でもこうやってスーパーを練り歩く親子を見たことあるので、みんなするんだろうな。
私が率先して金庫があったところへ足を運んだんだけども、金庫が無くなっていて、目を丸くしてしまった。
兄貴も驚いたようで、
「金庫が無い!」
と叫ぶと、急いでお母さんが民宿のチャイムを鳴らした。民宿黒田の店主・臼田さんが顔を出して、
「いかがしましたか?」
私は即座に、
「金庫どこにいきましたか!」
と聞くと、臼田さんは口を手で覆いながら、
「金庫はですね、もう人間が出るなんて気持ち悪いですから、捨てましった」
と妙に言葉を弾ませながら、そう言った。
お父さんはいぶかしげに、
「本当ですか?」
と聞くと、臼田さんは目を泳がせながら、
「えぇもう解体しちゃいましったっ」
と明らかに平常心じゃない感じで言い、お父さんは追及する声で、
「金庫って解体出来るものなんですか?」
「だってボロボロだったんでっ、ノコギリですぐでっすって」
「金庫ってノコギリじゃ切れませんよね?」
「木製だったんって」
私は割って入って、
「いや、ちゃんと鉄製でした」
臼田さんは高速で「いやいやいやいやいやいやいや」と言ってから、
「そう見えましたが、実っはっ、ハハッ!」
と掠れ笑いを上げた。
すると今度は兄貴が、
「ちゃんとめっちゃ鉄クサかったけど、中ぁ」
と言うと、臼田さんはもう完全に無視をした。
お父さんは臼田さんの目を見ながら、
「本当に無いんですか?」
と聞くと、臼田さんはバッと目を逸らすように、後ろを向いて、空だと思われる口の開いた段ボールを持って、靴箱の上にただ乗せて、まるで作業しているフリをしながら、
「今忙しいんです。用が無いなら帰ってください」
と言い、お父さんもお母さんも、兄貴も不満そうな顔をした。
すると兄貴が、
「ババアのパンツを手に入れることに精を出してんじゃねぇの!」
と叫ぶと、臼田さんは後ろを向いたまま、
「うるせぇ! 不法侵入で警察呼ぶぞ! あぁん!」
と言いながら、民宿の奥に走って逃げていった。普通、胸倉掴んでメンチ切るヤツでしょ、今の台詞は。
お父さんは小声で、
「もう帰ろう」
と言い、兄貴を操作するように、兄貴の身体を外に向かせて、お母さんも私もすごすごと車の中に戻った。
車内に戻り、お母さんがすぐさま「絶対隠しているし、悪用しているわっ」と言い、お父さんも「絶対そうだな」と言った。私もそう思う。
手掛かりが完全に無くなったところで兄貴が、
「で、金庫で何を出したかったんだ?」
と言った。そうだ、兄貴には何で金庫を見に行ったのかの説明はしていなかったんだった。
するとお母さんが、
「将斗、歩いて帰りましょうか。お父さんと真奈は駐在所へ行くみたいですよ」
兄貴は即座に、
「真奈を連行するの?」
と言うと、お父さんが、
「いいや、俺と将斗が車に乗って帰るぞ。お母さん、頼むぞ」
と言うと、私も流れでお母さんと一緒に車から降りて、お父さんと兄貴を乗せた車は多分そのまま家へ戻って行った。
私はお母さんへ、
「どういうこと?」
「昨日の夜、お父さんと話していたんだけども、もういっそのこともう一度、警察を頼ってみようって話をしていたのよ」
でもそんなことしても、何も変わらないんじゃ、六年前と一緒なんじゃと思ったが、とりあえず駐在所へ歩いて行った。
駐在所に着くと、ちょうど室井さんが不在だったようで、静子さんが私たちの対応をしてくれた。
「今日はちょうど良かった! ケーキを焼いたんです!」
と静子さんが言うと、缶詰の桃が乗ったショートケーキを出してくださった。というか桃以外、本格的過ぎる。
お母さんは何度か拒否していたけども、最後は食べることにして、私よりも嬉しそうに食べていた。私はなんせちょっと慣れているので。
三十分後、しっかり作り置きのクッキーももらったところで、室井さんが帰ってきて、
「今日はお母さんも一緒で。どうしたんですか?」
と言いながら、いつもの定位置に座った。
お母さんは矢継ぎ早に、
「改めて、将斗の情報を公開したいんです」
「な、る、ほ、どー……」
室井さんはでも即決といった感じじゃなくて、斜め上のほうを見た。
眉毛のあたりを掻いてから、
「でもマスコミを使うことは止めましょう」
お母さんはすぐさま、
「ダメですかっ」
室井さんはう~んと唸ってから、
「ダメじゃないというか、まあダメと言えばダメですね。前回というか六年前のことがありますし。その、なんというか、あの時は大変だったじゃないですか」
お母さんは「はい」と応えてから、
「バッシングの件ですよね」
室井さんは少し言いづらそうに、
「まあそうです。今更、将斗、くんの写真を公開したら、なおさら奇異な目で見られるはずです」
そうか、今は兄貴の写真をいっぱい撮ってあるから、兄貴の写真があるんだ。
室井さんは耳元を掻いてから、
「だからSNSを使いましょう。ネットで、全く別の失踪事件のように振る舞うんです。真奈ちゃんの家だと思われないように。バレないように」
「じゃあ早速!」
と言ってお母さんがスマホを取り出したんだけども、室井さんが制止のポーズをとりながら、
「僕がやります!」
と、焦っていたのかちょっとデカい声を出した。
室井さんはコホンと一息ついてから続けた。
「こういうのは意図しない誹謗中傷も送られてくるので、僕が検閲してお知らせします。僕に任せてください。一番情報がもらえるような書き方をします」
私もお母さんも室井さんのことを信頼しているので、室井さんに任せることにした。お父さんに連絡して、室井さんのスマホに写真をいっぱい送った。
その中から室井さんが選んで、一番良い画像や動画をネット上にアップロードするらしい。
さらに自分の友達で拡散力のある人に頼んで、拡散してもらうという話で落ち着いた。
「後は平常心でお過ごしください」
そう言って、私とお母さんとバイバイした室井さん。
家に戻ってからお母さんはすぐにスーパーへ買い出しに行き、お父さんは兄貴と一緒に遊んで、私は自分の部屋で宿題をしていた。
その晩は普通にオヤスミとなり、事件は翌日に起きた。
なんと兄貴が忽然と消えていて、私とお父さんとお母さんで必死に家中を探したけども、どこにもいなかったのだ。
実はお父さんが二日前に、家の玄関に監視カメラを設置していて、その監視カメラで玄関を映していたんだけども、兄貴はそこにも映っていなかった。
お父さんはその日、昼まで町中を探して、完全にいなくなったと知ると、夕方からお酒を浴びるように飲み始めて、
「全ては幻だったんだぁ!」
と泣き叫んだ。逆にお母さんはいつもお父さんが夜に帰ってきたところで晩酌の付き合いをするのにお酒を一切飲まず、じっと居間に座っていた。多分知らせがあれば車で飛んでいく気らしい。
今まで、兄貴の偽物だと思われるヤツがずっと家にいて、ソワソワしていたけども、いざいなくなると本当に悲しくて、もう自分が制御出来なくて訳が分からない。
これで良かったはず、でも急にどうして、と思っていると、午後七時に玄関のチャイムが鳴り、誰よりも早くお母さんが玄関の扉を開けると、お母さんから悲しい「はい……」の声が聞こえてきたので、兄貴ではなかったらしい。
でも私はちょっと心が躍ってしまった。何故なら、裕子と甚太と甚太のお姉ちゃん・千紗さんだったからだ。
裕子は靴を急いで脱ぐと、すぐさま私を抱き締めて、
「ゴメン! やっぱり真奈と仲違いしたくないよ!」
甚太は優しい声で、
「LINE既読も無いし、何かあったんだなと思ってさ、裕子にも声を掛けて」
「アタシはアタシで行く気だったし!」
と私の耳元で裕子がデカい声を出した。
千紗さんは落ち着いた声で、
「夜に遊びに来ちゃったけども、いいですか、ね……?」
とお母さんに対して言って、お母さんはなんとか笑みを作って、
「勿論いいわよ! 泊まっていってもいいのよ!」
とサムアップしたんだけども、どう見ても作り笑顔だった。
居間でお酒をたらふく飲んでいたお父さんは恥ずかしそうに、自分の部屋へ行き、私と裕子と甚太と千紗さんとお母さんで居間に入った。
お母さんは一旦窓を開けて、部屋を換気し、アルコール臭を飛ばそうとしている。
私は改めて、
「裕子、本当に有難う。だってずっと裕子とは友達でいたいから」
と言うと、裕子が少し瞳を潤ませながら、
「アタシだってそうだよ! それにもう大丈夫! アタシは真奈と甚太を応援する!」
甚太は恥ずかしそうにし、千紗さんはハハッと快活に笑った。
裕子が何気ない感じで、
「でもアタシの恋は破れてばっかだなぁ」
と言うと、甚太がギョッとして、裕子を見ると、裕子もハッとした顔をした。
あぁ、そうか、裕子は甚太に好きって伝えていないわけだから、今の台詞はまあそうなるよなぁ。
甚太は少し申し訳無さそうに、
「ゴメン、俺、真奈のことが好きだから、さ……」
裕子はあわあわしつつ、
「いやいやいや! アタシの話はどうでもいいし! 甚太もいつも通り友達でいよっ!」
「も、勿論……」
と少し気まずそうに頷いた甚太。
すると千紗さんが、
「で、破れてばっかってどういう意味ぃっ?」
と聞いてきて、何か分からんけどもメンタル強いなぁ、と思った。
裕子はガハッと笑ってから「聞くんですか!」と叫び、千紗さんは「お姉さん、気になっちゃった」と舌を出した。
裕子は遠い目をしながら、
「ゴメンね、真奈。真奈との友情は一生だと思うけども、本当は真奈との友情じゃなくて将斗さんへの愛情が先なんだ」
今までずっとぼんやりしていたお母さんがバッとこっちを向いた。
裕子は続ける。
「実はアタシにとって初恋の人が真奈のお兄ちゃんの、将斗さんで、最初は将斗さん目当てで真奈と一緒に遊んでいて……でも本当に真奈のことも大好きになったよ」
千紗さんは小声で「恋多き女ねぇ」と言うと、裕子は吹き出して笑った。
お母さんはその勢いで立ち上がり、全員分のジュースを用意してくれ始めた、ところまでは見えていたんだけども、私の視界はどんどんぼんやりしていき、
「ワガママで、喧嘩ばっかで、戻って来ても、同じようにで、でも、でも、私にとっては、唯一の兄妹で、大切な、兄貴だったん、だ……」
私の瞳からはボロボロと涙が零れ落ちていた。俯いていたので、頬を伝うこともなく、そのままカーペットの上を濡らしている。
「みんな、みんなはずっといてくれるよね、私を一人にしないよね、私、私ぃっ」
と気付いた時には私は左隣にいた裕子に抱きついていた。
すると裕子は私の右隣に座っていた甚太に向かって、
「ゴメンね! 真奈が抱きつくのはまだアタシが先なんだわ! こっから頑張っていってね!」
と言い、甚太は「俺も信頼感厚くするぞー!」と言い、千紗さんは軽い感じで「ファイト!」って言っていて、何だか笑ってしまった。
まだ涙は流れているけども、みんながいてくれるなら大丈夫だと、本当に想った。
結局遊びに来てくれた三人はそのままうちで泊まっていくことになって、ずっと心が温まった。
次の日の早朝、三人というか私を入れた四人で、裕子の家のお寺に行って、兄貴の無事を願いに行った。
四人で並んで、鈴を鳴らして、手を合わせて願っていたその時だった。
お母さんから連絡が入り、
『室井さんから連絡があって見つかったって!』
私は三人とはその場で別れようとしたら、裕子が甚太の背中を思いきり叩いて、
「駐在所まで見送ってやりなよ!」
と言い、甚太は明らかに痛がりながらも、
「行くか、真奈」
「うん! 有難う!」
と言うと、裕子はニカッと笑って、千紗さんはサムアップした。
私と甚太は走って駐在所へ向かった。本当は甚太、駐在所の室井さんが苦手みたいだけども、そんなことを気にする素振りは一切見せなかった。
別に私の中では、まだ甚太と付き合うとは決めていないけども、これなら付き合ってもいいかなと思っている。
まだ早朝ということもあり、風は爽やかで、追い風だったので、ぐんぐん進むことが出来ている。
このまま全てが上手くいけばいいのに、そんなことを思いながら駐在所に着くと、室井さんはガラス戸越しに私へ手を振った。
甚太は駐在所の前で止まり、
「じゃあ俺は帰るから」
と言ったので、何だか心細く感じてしまい、
「どうせならいてよ!」
と言うと、甚太は満面の笑みになり、
「おうよ!」
と言って、二人で駐在所の中に入った。
もうお父さんもお母さんもいて、室井さん側には静子さんもいた。
室井さんは即座に、
「向こうかたは夏休み中に済ませたいらしく、今日でもいいという話です」
済ませたいという言葉に突っかかってしまう自分がいた。室井さんがそんな言い方をするなんてと思っていると、
「会うは会うけども、真奈ちゃんちの家族として戻る気は無いらしいです」
と神妙な面持ちで室井さんは言った。そういうことか、だから済ませたいなのか、お父さんとお母さんは頭を抱えた。
でも、それも兄貴の人生だと思うので、
「分かりました。で、記憶喪失なんですか?」
「その通りです。記憶喪失で今の両親に拾われたって昨日告げられたらしいです。正直、今の将斗の両親は人さらいで犯罪です。でも将斗はそれでもいいって、公(おおやけ)にしたくないって。出来ることなら今の両親の元で生きていきたいと。まあ育ててもらった恩があり、真奈ちゃんちに何の記憶も無くてってところですね」
するとお母さんが叫びたい気持ちを押し殺すような声で、
「それでも、会いたいです……」
と言い、お父さんもそれに同調した。
室井さんは、
「ではいつ会う算段にしましょうか」
と言うと、お父さんもお母さんもすぐに会いたいと答えた。
というわけで、室井さんにやり取りをしてもらって、午後三時に、〇〇駅という中間の駅で落ち合うことになった。〇〇駅は比較的大きな駅で、ちゃんと駅前に喫茶店などもあるらしい。
私たち家族は一旦家に戻ることになった。甚太とは結局たいして会話出来なかったけども、甚太がいてくれただけで、幾分落ち着けて、
「甚太、有難う」
「いつでも頼ってほしい、でも一旦じゃあな。お寺で真奈とお兄ちゃんが一緒に住めるようにって願ったから!」
と言って甚太とはバイバイした。
私はお父さんの運転する車に乗せられて、家に戻り、兄貴に会う準備をした。
時間になり、午後三時の二十分前に〇〇駅へ着くように家を出て、電車に乗った。
私たち家族は無言だった。これからやっと成長した、高校一年生の兄貴と会えるというのに、まるでお通夜だった。
電車の時間の関係上で二十分前に着き、私たちはソワソワしながら、電車のホームにいた。お父さんはずっと歩いていた。
兄貴側の電車から、大勢の人々が降りてきたんだけども、あれが兄貴だって、すぐに分かった。
兄貴もこちらを見るなり、室井さんとのやり取りで私たち家族の写真を送っていたので、分かったみたいで、一礼してから、こちらへ近付いてきて、
「貴方たちが、僕の元・家族だったんですね。佐川将斗です。よろしくお願い致します」
兄貴とは思えないほど、丁寧な口調の高校生だった。
この苗字の違いに、心と物理的な遠さを感じた。