君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 「いていい」と許可された場所など一度もなかった。

 人質として部屋は与えられていた。だが、居場所を与えられたことはなかった。誰も彼を望まなかった。父王も、叔父も、アッシュワの人々も。ただ政治的な駒として、そこに在ることを許されただけ。

 ノアは天井の古い木目を見つめたまま、静かに呼吸を繰り返した。彼女は何気なく温もりを差し出す。その一つ一つが、ノアの固く閉ざした心を少しずつほどいていく。

 自分が北の敵国の王族であることも、傷を負った理由も、追っ手がいずれこの街にまで及ぶことも。もしこの少女が真実を知ったなら、あの微笑みは一瞬で消えるだろう。

 触れるか触れないかの指先から伝わった微かな温もり。まるで渇ききった大地が雨水を貪るように、ノアは彼女の存在を全身で吸い込んでいた。

 誰にも心を許さずに育ってきた自分が、たった数日間で一人の少女に心を奪われるなど。あってはならないことだ。

 王族である自分と、この街で生きるリリー。その間に簡単には越えられないものがあることを、ノア自身も分かっていた。近づけば、彼女を危険に巻き込むかもしれない。

 この温もりを手放したくない。この光から離れたくない。しかし、去らなければならない時は必ず来る。
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