君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 ◇

 リリーの教育は翌朝から始まった。

 「礼儀作法の指南は、私が担当いたします」

 老執事マロンが自ら手を挙げた。夜遅くまで鏡の前で歩き方を反復し、朝早くからマロンの指導を受ける。社交術と教養については、ハルバートが手配した女性家庭教師が務めた。

 社交界デビューの夜が来た。リリーは、王宮の舞踏庁の入り口で足を止めた。

 「……大丈夫だ」

 耳元で、ノアの低い声がした。振り返ると、深い青の瞳が真っ直ぐにリリーを見つめていた。白を基調とした正装に、金糸の紋章。

 リリーは小さく頷いた。その手をノアがそっと握り、広間へと導く。二人が現れた瞬間、貴族たちの視線が一斉に集まった。

 「こちらは、リリー・クロイド嬢です」

 ノアはリリーを広間の中央へと導き、集まった貴族たちへ彼女を紹介した。

 「私の命を救ってくれた、大切な恩人です」

 その声には、揺るぎない敬意と誇りが込められていた。リリーは、深くお辞儀をした。最初に声をかけたのは、中年の侯爵夫人だった。

 「初めまして、クロイド伯爵令嬢」

 鋭い眼差しでリリーのドレスや髪飾りを一瞥し、やがて緩く頷く。

 「殿下が選ばれた方とお見受けします。……お強い方なのですね」

 「お言葉ありがとうございます。未熟な者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

 掠れそうになる声を必死に抑え、深く頭を下げた。その素直さが、侯爵夫人の瞳の冷たさをわずかに溶かした。広間の隅で、ノアはリリーを見守っていた。レオンが隣に立っている。

 「……よくやっている」

 レオンが低く呟いた。ノアはリリーに視線を向けたまま、頷いた。

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