君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 王宮という冷徹な世界で生きる者の視点から出た言葉だった。

 「アリーナ様……」

 アリーナは一歩下がり、広間に集う貴族たちへと視線を向けた。

 「皆様」

 「わたくし、アリーナ・ヴァイスベルクは、この婚約を心より祝福いたします」

 公爵令嬢が、王太子妃候補と噂された当の本人が、平民上がりの令嬢を祝福する。

 「殿下が五年間、敵地で人質として過ごされたご苦労を、わたくしは忘れておりません。そして……その苦難の中で、ただ一人殿下を支えた方がリリー様でいらっしゃる」

 アリーナの灰色がかった青の瞳が、真っ直ぐにリリーを捉えた。

 「王宮に必要なのは、血筋ではなく……殿下の心を理解し、支える強さを持つ方です。リリー様は、その強さをお持ちの方。わたくしは、心からそう信じております」

 静かな、しかし揺るぎない言葉だった。貴族たちの間に、微かなざわめきが広がる。それは反発ではなく、納得の色を帯びていた。公爵家の令嬢が、自らの立場を賭けてまで太鼓判を押したのだ。誰も、それ以上異を唱えることはできなかった。

 ノアは、アリーナの横顔を見つめていた。深い青の瞳に、微かな敬意が宿る。彼女がこの場で、どれほどの覚悟をもってこの言葉を紡いだのか。政略の道具としてではなく、一人の人間としてノアとリリーの未来を守ろうとしている。

 リリーの目が潤んでいた。薔薇園の午後、交わした言葉が蘇る。--『薔薇は薔薇、百合は百合』互いを競う必要などない、と。

 アリーナは、最後にリリーへと微笑みかけた。

 「リリー様。どうか……殿下を、お幸せに」

 その一言が、広間の空気を優しく包み込んだ。広間に拍手が起こった。貴族たちの眼差しから、値踏みや警戒の色が消えていく。

 リリーは深くお辞儀をした。
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