君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 ◇

 窓の外で、雨が降り始めた。静かな雨音が、部屋を包み込む。

 重厚な扉が、静かに閉まった。王太子邸の最奥、寝室。祝宴の喧騒が遠のき、二人だけの静寂が満ちていく。

 ノアは無言で、自分の胸元に手を入れた。シャツの内側、心臓に一番近い場所から取り出したのは、小さな古びた鍵。三年間、彼が握りしめ続けてきた物置小屋の鍵。

 ノアは寝室の隅に置かれた小箱へ歩み寄った。蓋を開け、鍵をそっと納める。金属が木に触れる、微かな音。それきり、蓋を閉じた。
 苦難の日々が、今ここで終わる。新たな絆が、ここから始まる。ノアは振り返った。

 「……リリー」

 リリーは、ドレスのまま部屋の中央に立っていた。白い絹が、華奢な身体を包んでいる。ノアの視線が、リリーのうなじへと落ちる。ドレスの襟元から覗く、柔らかな肌の曲線。

 深い青の瞳が、暗く燃える。鋭く、艶やかに。獲物を前にした捕食者の眼差し。けれどその奥にあるのは、長い年月を越えた深い愛おしさだった。

 緑色の瞳が、ノアを見つめ返す。その瞳に宿る覚悟を、ノアは感じ取った。彼女もまた、この瞬間を選んだのだ。身分を越え、恐怖を越え、すべてを越えて。

 ノアの手が伸び、リリーの肩にそっと触れた。

 「……何年も、この瞬間だけを想って生きてきた」

 リリーは小さく頷き、ノアの胸に額を預けた。指がノアのシャツをそっと掴む。ノアの喉が鳴った。理性のタガが、音を立てて外れる。

 ノアの手が、リリーの項へ回った。結い上げられた髪に指が埋まる。留め具が外れ、栗色の束が崩れ落ちていく。肩へ、背中へ、流れるように。
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