君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜

4 雷雨に揺れる想い


 市場の喧騒は、いつだって暴力めいた響きを持っている。泥にまみれた靴で石畳を叩く労働者たち。その荒削りな世界の片隅で、リリーの露店だけが異質なほど穏やかな空気を纏っていた。

 ノアは、市場から一本裏に入った廃ビルの影から、ただじっと彼女を見つめていた。脇腹の傷はまだ引き攣るように痛むが、歩行に支障はないほどに回復していた。

 木箱の上に並べられた野菜の色どり。客と会話する時の柔らかな笑顔。そのすべてが灰色の街の中で唯一色彩を持って見えた。

 ふと、リリーが手を止め、市場の入り口の方へ顔を向けた。まるで不可視の糸に引かれたかのように、彼女の視線がノアの潜む影の近くを掠めた。それなのに彼女は決して直接目を合わせようとはせず、ただ穏やかに微笑んだまま再び作業に戻った。

 拒絶されないという安心感と、決して触れられないという焦燥感。背中で語り合うような奇妙な共犯関係が喉を渇かせた。

 空は急速に鉛色に染まり、大粒の雨が降り出したかと思うか、間もなく激しい暴風雨へと変わった。

 市場の人々は悲鳴を上げて荷物をまとめ散っていく。リリーも急いで残りの野菜を籠に放り込み軒下へと走った。雨足は強まる一方で帰ることもできずに立ち尽くしていると頭上から雨音が遮られた。

 「……こっちだ」

 振り返ると、濡れたプラチナブロンドの髪を額に貼り付けたノアが立っていた。彼の手がリリーの手首を掴み、路地裏へと引き込む。
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