君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 人質として過ごしてきた二年間、他人の善意に触れたことなど一度もない。彼に向けられるのは、蔑みか、利用価値があるかどうかを測る視線ばかりだった。

 「……君に、何の得がある」

 ノアは低い声で問いかけた。見ず知らずの自分を助けたところで、彼女には何の利益もない。少女は一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐに真剣な眼差しに戻った。

 「得とか、そういうことじゃないよ。目の前で誰かが死にそうなのに、放っておけないもの」

 「……俺が、悪い人間かもしれないだろう」

 「それでも、今は怪我をしてる人でしょう?」

 そう答えた少女は、彼の身体を支えようと細い腕を回した。うまくいかないことは明白だったが、彼女は諦めようとしない。

 「立てる? すぐそこに物置小屋があるの。雨だけでもしのごう」

 ノアは拒もうとした。彼女を巻き込めば危険だと分かっていた。それでも、少女の小さな肩を押しのけることができなかった。

 「……死なせないからね」

 誰にも望まれなかった人質王子が、初めて聞いた言葉だった。路地裏から小さな物置小屋までの道のりは、ノアにとって永遠のように長く感じられた。少女はノアを古びた藁の上に座らせると、手早く古布を集め始めた。

 「傷、見せて」

 沁みるような痛みが走るが、彼女の手は慎重で、優しかった。

 「……ひどい」

 次に、彼女は小瓶を取り出した。中に入っていたのは、薬草をすり潰した軟膏だろう。ひんやりとした感触のあと、じわりと沁みる痛みが走ったが、それは不思議と嫌な痛みではなかった。

 何度も何度も、きつすぎず緩すぎず、ちょうどいい加減を確かめながら巻いていく。手を差し伸べる彼女の無垢な行動が、ノアには不思議でならなかった。
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