君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 「怖くないのか」

 「……少し。でも、放って帰るほうが嫌だから」

 「……」

 その答えはあまりにも単純で、ノアは目を伏せた。

 「……ありがとう」

 ノア自身、最後に誰かに感謝したのがいつだったのかさえ覚えていない。だが、今この瞬間、彼女の優しさに対して、感謝したかった。

 少女はふわりと微笑んだ。

 「お薬、効いてるといいな」

 雨音はまだ激しく降り続いている。ノアの心はまだ激しく波打っていたが、少女の存在だけが、確かな足場のように感じられた。

 雨音が静かに屋根を叩く中、ノアは藁の上に身を横たえていた。脇腹の痛みは鈍く脈打つが、不思議と先ほどまでの冷え切った絶望感だけは消えていた。

 (……放っておけない、だと)

 敵国の地で、誰の助けも期待せず、ただ死を待つだけだった自分。その自分に手を差し伸べた少女は、怪我をした野良猫でも拾うかのような無防備さで、目の前の命を救ったのだ。

 意識の端が溶け出し、泥のように重いまどろみがノアを深淵へと引きずり込もうとしていた。脇腹の痛みは遠のき、代わりに熱を持ったような鈍い感覚だけが残る。

 その手つきは、宮殿の侍女たちよりもずっと慎重だった。心配そうに眉尻を下げたその表情には一片の偽りもなく、ただ目の前の傷ついた生命を慈しむ色だけが浮かんでいた。

 (……なんて、無防備な)

 王族である自分を知らぬとはいえ、正体不明の危険な男にこれほど肉薄し、その細い指で触れるなど。だがその無警戒さこそが、ノアの乾ききった魂に染み入るように心地よかった。

 その微かな触れ合いだけで、ノアの胸の奥底で封印していた何かが音を立てて軋んだ。

 (……君は、誰だ)
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