君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
これが彼女を守る唯一の方法だ。そう自分に言い聞かせる。言い聞かせながら、ノアは彼女の背中を見つめていた。
遠ざかる栗色の髪。夜気に溶けていく小さな影。もうすぐ路地の角を曲がる。そうなれば、この光は自分の世界から消える。
「……リリー」
その瞬間、名を呼んでいた。リリーの足が止まり、振り返る。
ノアが二歩で距離を詰め、リリーの細い身体を抱きしめた。強く。腕の中に閉じ込める。
「……っ」
リリーが息を呑む音が聞こえた。震える体から熱が伝わる。心臓の鼓動が、服越しにリリーへと叩きつけられるように響いた。
ドクン、ドクン、ドクン。速く、強く、痛いほどに。
やがて、彼女の手がゆっくりと動いた。細い指が、彼のシャツを掴む。ぎゅっと。
ノアの中で張り詰めていたものが、ふっと途切れた。守るためには離れなければならない。そう思っていた。だがこの温もりに触れてしまえば、もう戻れない。
「……俺の名前」
囁くような声だった。リリーの耳元で、低く、掠れてそれでいて確かな響きで。
「……ノアだ」
自分の名を告げた。
(……これが、最後になるかもしれない)
そう思っても、腕を緩めることはできなかった。
「ノア……」
その響きが、鼓膜を震わせる。世界が音を立てて崩れ落ちた気がした。この名前を、彼女の声で呼ばれる日が来るなどと思っていなかった。人質として生きる自分に、名前を呼ぶ資格などないと諦めていた。
(ああ、もう駄目だ)
腕の中のリリーを、さらに強く抱きしめる。このまま一緒に逃げられたら。このまま抱え上げ、城の馬に乗せ、国境を越えて逃げてしまおう。叶うはずのない願いが、一瞬だけ胸をよぎった。
彼女の服を掴む指先に、痛いほどの力が込もる。その衝動を必死に押し殺した。
遠ざかる栗色の髪。夜気に溶けていく小さな影。もうすぐ路地の角を曲がる。そうなれば、この光は自分の世界から消える。
「……リリー」
その瞬間、名を呼んでいた。リリーの足が止まり、振り返る。
ノアが二歩で距離を詰め、リリーの細い身体を抱きしめた。強く。腕の中に閉じ込める。
「……っ」
リリーが息を呑む音が聞こえた。震える体から熱が伝わる。心臓の鼓動が、服越しにリリーへと叩きつけられるように響いた。
ドクン、ドクン、ドクン。速く、強く、痛いほどに。
やがて、彼女の手がゆっくりと動いた。細い指が、彼のシャツを掴む。ぎゅっと。
ノアの中で張り詰めていたものが、ふっと途切れた。守るためには離れなければならない。そう思っていた。だがこの温もりに触れてしまえば、もう戻れない。
「……俺の名前」
囁くような声だった。リリーの耳元で、低く、掠れてそれでいて確かな響きで。
「……ノアだ」
自分の名を告げた。
(……これが、最後になるかもしれない)
そう思っても、腕を緩めることはできなかった。
「ノア……」
その響きが、鼓膜を震わせる。世界が音を立てて崩れ落ちた気がした。この名前を、彼女の声で呼ばれる日が来るなどと思っていなかった。人質として生きる自分に、名前を呼ぶ資格などないと諦めていた。
(ああ、もう駄目だ)
腕の中のリリーを、さらに強く抱きしめる。このまま一緒に逃げられたら。このまま抱え上げ、城の馬に乗せ、国境を越えて逃げてしまおう。叶うはずのない願いが、一瞬だけ胸をよぎった。
彼女の服を掴む指先に、痛いほどの力が込もる。その衝動を必死に押し殺した。