君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 ノアは、その髪飾りを見つめた。

 「よく似合っている」

 「……ありがとう。大切にする」

 ノアが踵を返そうとした時、リリーの手はノアの袖を掴んでいた。

 「……これを」

 リリーの手で握ったのは、小さな古い鍵だった。真鍮がくすみ、ところどころ黒ずんでいる。

 「……持ってて」

 差し出した手が、かすかに震える。ノアは、目を見開いた。鍵を見つめている。その意味を理解してしまったからだ。

 これは、物置小屋の鍵。

 「これを見たら……思い出せるでしょう? ここで過ごしたこと」

 リリーは微笑もうとした。けれど、うまく笑えなかった。

 「私が……あなたを待っていたこと」

 リリーは、そんなノアを見つめたまま続けた。

 「……帰ってきて、とは言えないの」

 彼には、彼の未来がある。だからこそ、引き留める言葉は口にできなかった。

 「あなたを待っている、とも……言えない」

 リリーの手が、ノアの手を取った。鍵をそっと握らせる。冷たい金属が触れた。

 「だから……これだけは、持ってて」

 リリーの声は、涙声だった。けれど、はっきりと言った。ノアは、鍵を見つめた。今、この手の中にあるものほど欲しかったものはない。

 「リリー……ありがとう」

 ノアは、鍵を懐にしまい込んだ。心臓に、一番近い場所に。

 そして――背を向けた。

 リリーは、物置小屋の扉に手をかける。胸の奥に、一つの石が加わった。小さく、硬く、けれど重さがある。髪飾りの青い石が、夜の闇の中で微かに光っていた。

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