君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 ケルビンの声が僅かに震えた。リリーの手首を掴む指先に力がこもる。離さないという意志だけが手のひらから伝わってくる。

 リリーは唇を噛みしめた。ただ、灰色の瞳を見つめたまま、唇を微かに震わせるだけだった。

 ケルビンには、その沈黙が答えだった。答えないということが、即ち肯定であることを、彼は幼い頃から知っていた。

 ケルビンの身体が、さらに近づいた。胸が触れ合うほどの距離。ケルビンの体温が、服越しに伝わってくる。厚い胸板の硬さ。男の身体の重み。

 リリーは壁際で身を強張らせたまま、動けなかった。ケルビンの息遣いが、額にかかる。

 「……俺じゃ、だめなの」



 その声は、ひどく寂しかった。

 「俺、ずっと好きだったんだよ」

 小さい頃から押し殺してきた想いが、堰を切って溢れ出す。リリーの瞳が潤んだ。けれど、それはケルビンに対する恋慕の涙ではない。ただ、どうしようもない悲しみの涙だった。

 「……ケルビン」

 小さく名前を呼んだ。幼馴染を傷つける言葉が出てこなかった。けれど、それは受け入れたということではなかった。

 ケルビンの顔が近づいた。リリーは拒むことができなかった。ケルビンの唇が、リリーの唇に重なった。

 リリーは驚きに目を見開いた。ノアとは、あの夜も触れ合う寸前で止まっていた。あの夜、あと数ミリの距離で止まったまま、二度と近づかなかった。けれど今、この瞬間――ケルビンの唇が、リリーの唇を奪った。
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