君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 ◇

 路地裏の入り口に、ハルバートの大柄な影が現れた。

 「……殿下。お時間です」

 ノアは、腕の中の温もりを、最後にもう一度感じた。そして――ゆっくりと、腕を解いた。静かに、一歩退いた。

 緑色の瞳が、ノアを捕らえて離さない。答えを求めている。

 「また会える」という一言を、待っている。

 彼女の涙を、親指で拭った。一雫ずつ。慈しむように。

 ノアは踵を返そうとする。リリーは手が、無意識に動いた。ノアの腕を掴み、引き留めた。袖を掴む指先の力が、微かに震えていた。
 朝日が昇り始めていた。路地裏の石畳が、白く染まっていく。

 リリーは、手を離した。ノアは歩き出した。路地の角を曲がる。プラチナブロンドの髪が、朝の光に掠れて、消えた。

 その背中が見えなくなるまで、リリーは立ち尽くしていた。

 「……行かないで」

 小さな声が零れた。誰にも届かない声だった。

 リリーの膝が折れた。石畳に跪く。冷たい石の感触が肌を刺す。けれど胸の奥が痛かった。ぽっかりと空洞になった胸に、涙だけが溢れ続けた。

 朝の光が、リリーの小さな影を石畳に落とす。銀の髪飾りが、光を受けて微かに瞬いていた。青い石が、ノアの瞳と同じ色で、静かに光り続けていた。
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