君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
アリーナは深々と礼を取り、踵を返した。ノアはその背中を一瞬だけ見送った。
アリーナの言葉は、確かに殊勝だった。尊敬という響きも、偽りではないと分かった。だが――彼女は知らない。ノア・レイ・グレンフォードという人間の残骸を拾い上げ、命を吹き込んでくれた少女のことを。名も名乗れず、ただ「旅人」と呼ばれながら、誰かに必要とされたあの日々のことを。アリーナが尊敬する「一人で生き抜いた殿下」は、実際には一人では生きていなかった。
ノアは立ち上がった。広間を出た瞬間、冷たい空気が頬を打った。ハルバートがで背後に続く。
「殿下、公爵家の令嬢について、何かお考えは」
政治的な問いだった。王太子の妃として、これ以上の相手はない。ルナール王も、臣下たちも、その婚姻を望んでいるはずだった。
「ない」
どんなに相応しい相手が現れようと、ノアの心に灯るのは一つの色だけだった。
ノアは懐の鍵を握りしめた。この鍵が開ける扉は、今も南の街にある。けれど――鍵はここにある。
アリーナの言葉は、確かに殊勝だった。尊敬という響きも、偽りではないと分かった。だが――彼女は知らない。ノア・レイ・グレンフォードという人間の残骸を拾い上げ、命を吹き込んでくれた少女のことを。名も名乗れず、ただ「旅人」と呼ばれながら、誰かに必要とされたあの日々のことを。アリーナが尊敬する「一人で生き抜いた殿下」は、実際には一人では生きていなかった。
ノアは立ち上がった。広間を出た瞬間、冷たい空気が頬を打った。ハルバートがで背後に続く。
「殿下、公爵家の令嬢について、何かお考えは」
政治的な問いだった。王太子の妃として、これ以上の相手はない。ルナール王も、臣下たちも、その婚姻を望んでいるはずだった。
「ない」
どんなに相応しい相手が現れようと、ノアの心に灯るのは一つの色だけだった。
ノアは懐の鍵を握りしめた。この鍵が開ける扉は、今も南の街にある。けれど――鍵はここにある。