君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
◇
政務室は静寂に包まれていた。ハルバートは、積み上げられた書類の中に埋もれていた。王太子補佐官として帰還したノアを支えるのが、彼の役目だった。だが今日一日で処理すべき書類は、山積みでそのどれもが簡単なものではなかった。
ペンを走らせる手をふと止め、彼は一枚の書類に目を留めた。宰相ギゼルからの提出書類。グレンフォード王国に利益をもたらすはずだ。だが、ハルバートの目は、行間に潜む不穏な影を見逃さなかった。
(……何かおかしい)
ギゼルは前王の時代から宰相の座にある古狸だ。表向きはルナール王に忠誠を誓っているが、その肚の中は誰にも分からない。ノアの人質時代も、彼は何かと便宜を図るような素振りを見せていた。
ハルバートは書類を机に置き深く息を吐いた。
殿下が脱走したあの時。追っ手が驚くほど早く動いた。まるで最初から殿下が逃げることを知っていたかのように。そして殿下を見つけ出したのは、他でもない自分だった。だがもし自分が間に合わなければ……あるいは自分以外の誰かが先に見つけていたら?
背筋に冷たいものが走った。
(ギゼル……お前は何を企んでいる)
ハルバートは窓の方へ目を向けた。殿下は南でのことを一切語らない。聞けば、殿下の心が壊れてしまうような気がしたからだ。
守らねばならない。主君だけでなく、その心をも。
政務室は静寂に包まれていた。ハルバートは、積み上げられた書類の中に埋もれていた。王太子補佐官として帰還したノアを支えるのが、彼の役目だった。だが今日一日で処理すべき書類は、山積みでそのどれもが簡単なものではなかった。
ペンを走らせる手をふと止め、彼は一枚の書類に目を留めた。宰相ギゼルからの提出書類。グレンフォード王国に利益をもたらすはずだ。だが、ハルバートの目は、行間に潜む不穏な影を見逃さなかった。
(……何かおかしい)
ギゼルは前王の時代から宰相の座にある古狸だ。表向きはルナール王に忠誠を誓っているが、その肚の中は誰にも分からない。ノアの人質時代も、彼は何かと便宜を図るような素振りを見せていた。
ハルバートは書類を机に置き深く息を吐いた。
殿下が脱走したあの時。追っ手が驚くほど早く動いた。まるで最初から殿下が逃げることを知っていたかのように。そして殿下を見つけ出したのは、他でもない自分だった。だがもし自分が間に合わなければ……あるいは自分以外の誰かが先に見つけていたら?
背筋に冷たいものが走った。
(ギゼル……お前は何を企んでいる)
ハルバートは窓の方へ目を向けた。殿下は南でのことを一切語らない。聞けば、殿下の心が壊れてしまうような気がしたからだ。
守らねばならない。主君だけでなく、その心をも。