君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 ◇

 どれほど走ったのだろう。

 やがて石畳を叩いていた音が変わり、馬車の揺れが大きくなる。街を離れたのだと、それだけは分かった。しばらくして、馬車が止まった。

 扉が開く。冷たい夜気が流れ込み、リリーは外へ連れ出された。目の前にあったのは、人気のない粗末な建物だった。中へ入れられる。窓はなく、薄暗い室内を小さな灯りだけが照らしている。

 一人の男が近づいてきた。その手には鋏があった。リリーの顔から血の気が引く。

 「なにを……」

 男が、栗色の髪を一房手に取る。シャキン。乾いた音がした。

 「……っ」

 肩のそばへ、切られた髪が落ちる。リリーは呆然とした。痛みはない。それでも、自分の髪を勝手に切られたことに、言いようのない恐怖が込み上げた。

 男は切り取った髪を布に包んだ。

 (……これを、誰かに送るの?)

 「……まさか」

 切り取った髪を持った一人が、そのまま部屋を出ていった。扉が閉じる。残されたリリーは、壁際に座り込んだ。

 「……ノア」
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