君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 ◇

 王都の外れに建つ古びた建物は、長らく人の気配が絶えていた場所だった。

 扉を開けた先薄暗い室内にギゼルはいた。宰相の位に似合わぬ質素な椅子に腰かけ、白髪混じりの髪を撫でつけ、ノアを待っていた。

 「殿下、お早いお越しだ」

 ギゼルは薄い唇を歪め、猫が獲物を玩ぶような眼差しを向けていた。

 「条件を飲む」

 ノアは前置きもなく告げた。

 ギゼルの目が微かに見開かれた。王太子権限の一部譲渡と軍再編への介入権限の制限。王太子としての権力を大幅に削ぐ条件だ。この男は、即座に拒むと思っていた。

 「……よろしいのですか」

 「だが一つだけ」

 ノアは一歩踏み出した。その眼差しはもはや交渉者のそれではなく、獲物を屠る捕食者のものだった。

 「彼女に髪以外の傷が一つでもあれば……俺はこの命が尽きるまで貴様を追い詰める」

 ギゼルは一瞬だけ息を呑みそれから大袈裟に肩をすくめた。

 「交渉は成立した。……担保の身柄は、追って解放する」

 「今すぐだ」

 ギゼルは一瞬息を呑んだ。この若者が、かつてアッシュワで人質として飼い殺されていた少年と同じ人物とは思えなかった。
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