君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
「食べて。少しでも食べないと、治らないから」
リリーは小さな声で言った。
(……これは、彼女の食事ではないのか)
脇腹に鈍い痛みが走るが、昨夜よりは幾分ましだった。リリーが慌てて肩を支えてくれた。近づいた彼女から、微かなハーブの香りがした。
「……名前は」
ノアは掠れた声で問いかけた。この少女を、名もなき存在のままにしておくことが、どうしてもできなかった。リリーは一瞬手を止め、それから静かに答えた。
「リリー。あなたは?」
その問い返しに、ノアは言葉に詰まった。
ノア・レイ・グレンフォード。北の白い宮殿を治めるグレンフォード王家の世継ぎ。この少女が自分を知れば、敵地の人質という立場が彼女を巻き込む。ただでさえ、このアッシュワの地でグレンフォードの名を持つことは、死刑宣告に等しい。
「……」
「……言えないの?」
リリーは困ったように小首を傾げると、小さく言った。
「じゃあ、旅人さんって呼ぶね」
旅人。王族でも人質でもない、ただの――誰か。自分が敵国の人質であることも、グレンフォードの血を引く者であることも。彼女が「旅人さん」と呼んでくれたその響きが、ノアの乾いた心に沁みた。そして同時に、ノアと彼女の間に越えられない壁を作っている。
リリーはそれきり何も言わず、問いかけもせず、ただ静かに傍らに座っていた。
リリーは小さな声で言った。
(……これは、彼女の食事ではないのか)
脇腹に鈍い痛みが走るが、昨夜よりは幾分ましだった。リリーが慌てて肩を支えてくれた。近づいた彼女から、微かなハーブの香りがした。
「……名前は」
ノアは掠れた声で問いかけた。この少女を、名もなき存在のままにしておくことが、どうしてもできなかった。リリーは一瞬手を止め、それから静かに答えた。
「リリー。あなたは?」
その問い返しに、ノアは言葉に詰まった。
ノア・レイ・グレンフォード。北の白い宮殿を治めるグレンフォード王家の世継ぎ。この少女が自分を知れば、敵地の人質という立場が彼女を巻き込む。ただでさえ、このアッシュワの地でグレンフォードの名を持つことは、死刑宣告に等しい。
「……」
「……言えないの?」
リリーは困ったように小首を傾げると、小さく言った。
「じゃあ、旅人さんって呼ぶね」
旅人。王族でも人質でもない、ただの――誰か。自分が敵国の人質であることも、グレンフォードの血を引く者であることも。彼女が「旅人さん」と呼んでくれたその響きが、ノアの乾いた心に沁みた。そして同時に、ノアと彼女の間に越えられない壁を作っている。
リリーはそれきり何も言わず、問いかけもせず、ただ静かに傍らに座っていた。