君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 ◇

 三日目の夜、リリーは物置小屋の古びた木戸をそっと開けた。湿った空気と共に、藁の上に横たわる少年の姿が目に入る。暗闇の中で見る彼は、まるで壊れかけの人形のようだった。汗で張り付いたプラチナブロンドの髪。

 (また、熱が出たのかしら)

 リリーは水瓶の水で布を湿らせると、恐る恐る彼に近づいた。しかしそのたび彼は意識が混濁しており、リリーの存在に気づいていないようだった。そっと枕元に膝をつき、震える指先で汗ばんだ頬へ布を押し当てようとした――その瞬間。ノアの手が、リリーの手首を強く掴んだ。

 「……行くな……」

 手首を握る指先の震えが伝わってくる。

 「……大丈夫。ここにいるよ」

 小さく囁いてみたが、ノアの手は緩む気配がない。それどころか、さらに力が込められ、リリーの手を自分の頬へと引き寄せた。

 リリーはただ呆然と、薄明かりの中で彼の苦悶の表情を見つめていた。逃げようと思えば引き剥がすこともできたかもしれない。けれど、彼の手首から伝わる切実なまでの孤独が、リリーの足を完全に縫い止めていた。

 やがてノアの呼吸が少しずつ穏やかになっていく。だが手だけは、リリーの手首を離すことはなかった。
< 8 / 44 >

この作品をシェア

pagetop