君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 馬車の扉が開いた。逆光の中に、二年ぶりの彼の姿があった。

 「……リリー」

 冷徹な仮面の下から溢れ出た、生々しい感情。この男が、北の白い宮殿の王太子だ。ノアが馬車に乗り込んできた。白い手が、リリーの頬を包み込むように触れた。

 「……無事で」

 掠れた声だった。安堵と後悔と言葉にできない感情が喉の奥で絡み合い、それ以上の言葉を紡げない。彼はゆっくりと腕を回し、リリーの華奢な身体を抱き寄せた。

 二年ぶりの腕の中は、以前よりも広く硬く、そしてどこか危うい熱を帯びている。鼻先に触れる革の匂い。この人は、自分を探してくれていたのだと、脈打つ音だけで理解できた。

 ノアの指が、リリーの左側頭部へと触れる。

 「……髪を」

 低い声が、苦痛に歪む。切り取られた一房の栗色。自責の念が、灼熱の刃となって内側から臓腑を切り裂いていく。

 「俺が……俺のせいで」

 リリーは静かに首を横に振った。ノアの胸に額を押し当てたまま、震える指先で彼の上衣をぎゅっと握る。

 「髪は……また伸びるから」

 その声は、ひどく穏やかだった。恨みも責めも、恐怖の名残すらもない。ただノアを案ずる優しさだけが、そこにあった。

 彼はリリーの背中に回した腕に、ありったけの力を込めた。

 「……守れなかった」

 「ううん。来てくれた」

 二年という歳月が、二人の間に横たわっていたはずだった。

 「……もう、離さない」

 王太子としての立場を捨てる覚悟。身分違いという名の断崖を、二人は今飛び越えようとしていた。
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