君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 けれどリリーは顔を上げなかった。ノアの表情を見るのが怖かった。

 「……断れなかった。ケルビンは優しかった。ずっと隣にいてくれた。……でも」

 声が掠れる。

 「……でも、毎晩思っていたの」

 リリーの指先が、膝の上で震えていた。

 「……このまま結婚して、誰かの妻になって……それでも、あなたのことしか考えられない自分がいるって」

 ようやく、顔を上げた。

 「私は……ただ一人だけを想ってきた」

 潤んだ緑色の瞳が、ノアを真っ直ぐに見つめていた。深い青の底で、何かが激しく崩れ落ちていくのが見えた。ノアはリリーの華奢な肩を引き寄せ、腕の中に深く閉じ込めた。

 「リリー」

 抱きしめる腕に、わずかに力がこもる。白いシャツ越しに伝わる高鳴る鼓動が、リリーの頬を直接叩く。速い。強い。痛いほどに。

 「君をあの街へ帰すことだけは……俺にはできない」

 ずっと冷静だった彼の声が、今だけはひどく切実だった。王太子としての言葉でもない。ノアが自分に縋るように告げた言葉だった。

 リリーの細い身体が、ノアの広い胸にすっぽりと埋まる。プラチナブロンドの髪がリリーの首筋にかかり、絹のように滑らかな感触が肌を撫でた。白いシャツを握ったまま、小さく呟いた。

 「……私も、あなたのそばにいたい」

 ノアの掌が、リリーの背中を包み込むように広がった。華奢な肩甲骨が、掌の中に収まる。リリーの存在を、確かめるように。

 夜の静寂が二人の吐息だけを拾い上げていく。吸い寄せられるように、二人の唇が重なった。ノアの手が、リリーの細い腰をゆっくりと引き寄せた。彼女の身体が自然に彼の胸へと吸い込まれていく。

 角度を変えて、何度もキスを繰り返した。唇が触れ合うたびに、何年もの間押し殺してきた飢えと熱情が、解き放たれていく。

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