君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
14 王太子の邸宅で、町娘の生活
王太子邸での生活は、リリーにとって広すぎる空間と距離感の中で孤独を抱える日々だった。
リリーが歩くたびに、使用人たちは一斉に立ち止まり深く頭を垂れた。彼女たちにとってリリーは「殿下がお連れになった大切な客人」であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。市場の喧騒の中で野菜を売り声を張り上げていた自分とは、あまりにも縁遠い世界だ。
客室の窓辺に座り、ふと庭師が棘のある薔薇の枝を剪定しているのが目に入った。リリーは立ち上がり、庭へと降りた。
「……私がやります」
驚く庭師から鋏を借り受け、薔薇の棘を丁寧に取り除いていく。植物に触れる手触り。土の匂い。その微かな感触だけが、リリーの心を少しだけ落ち着かせた。
「リリー様。そのようなお仕事は……」
メイドが駆け寄り、震える手で鋏を取り上げた。
「……すみません」
リリーは小さく謝り、再び客室へと戻った。