君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
◇
リリーは門の近くにいた。正確には、門の外へ出ようとした。
南への街道は遠い。歩いて帰れる距離ではない。けれどここに留まるわけにもいかなかった。自分がノアの足枷になるかもしれないのだ。
自分が消えれば、ノアは王太子として生きられる。正室を迎え、国を支え、民を守る。
鉄の扉を押した。一歩――足が出た。門の外の石畳に、靴底が触れた。けれど――次の一歩が出なかった。
足が震えた。扉にかけた指が離れなかった。
(帰らなきゃ)
父が待っている。弟が待っている。市場が、日常が、あるべき場所が待っている。けれど――あの人を置いていけるはずがなかった。
今朝、ノアが出かける前に額に落としていった口づけの感触が、まだ肌に残っている。リリーは扉の前で立ち尽くした。出ていくことも、戻ることもできずに。
(……戻ろう)
そう思った時には、足が門の中へ向いていた。逃げられなかった。身分違いだと分かっていても、足枷だと分かっていても――
煉瓦塀の内側に入った瞬間、館の灯りが遠くで揺れているのが見えた。門の前に、誰かが立っていた。リリーの足が止まった。
走ってきたのか、肩が上下に揺れている。上着の前ボタンが外れ、白いシャツの胸元が乱れている。王太子としての威厳はどこにもなかった。
リリーはノアの姿を見て、立ち止まったまま動けなかった。逃げようとした自分を見られた。鍵を置いていった自分を見られた。
「……ノア」
ノアの瞳はリリーの姿を捉えた。一歩ずつ、近づいてきた。近づくにつれ、彼の暗い表情が鮮明になる。
リリーの手首が掴まれた。強い力で、逃げられないほどに。
「……っ」
ノアはリリーの手首を掴んだまま、歩き出した。廊下を通り、階段を上がり、客室へと引きずるように連れて行った。
リリーは門の近くにいた。正確には、門の外へ出ようとした。
南への街道は遠い。歩いて帰れる距離ではない。けれどここに留まるわけにもいかなかった。自分がノアの足枷になるかもしれないのだ。
自分が消えれば、ノアは王太子として生きられる。正室を迎え、国を支え、民を守る。
鉄の扉を押した。一歩――足が出た。門の外の石畳に、靴底が触れた。けれど――次の一歩が出なかった。
足が震えた。扉にかけた指が離れなかった。
(帰らなきゃ)
父が待っている。弟が待っている。市場が、日常が、あるべき場所が待っている。けれど――あの人を置いていけるはずがなかった。
今朝、ノアが出かける前に額に落としていった口づけの感触が、まだ肌に残っている。リリーは扉の前で立ち尽くした。出ていくことも、戻ることもできずに。
(……戻ろう)
そう思った時には、足が門の中へ向いていた。逃げられなかった。身分違いだと分かっていても、足枷だと分かっていても――
煉瓦塀の内側に入った瞬間、館の灯りが遠くで揺れているのが見えた。門の前に、誰かが立っていた。リリーの足が止まった。
走ってきたのか、肩が上下に揺れている。上着の前ボタンが外れ、白いシャツの胸元が乱れている。王太子としての威厳はどこにもなかった。
リリーはノアの姿を見て、立ち止まったまま動けなかった。逃げようとした自分を見られた。鍵を置いていった自分を見られた。
「……ノア」
ノアの瞳はリリーの姿を捉えた。一歩ずつ、近づいてきた。近づくにつれ、彼の暗い表情が鮮明になる。
リリーの手首が掴まれた。強い力で、逃げられないほどに。
「……っ」
ノアはリリーの手首を掴んだまま、歩き出した。廊下を通り、階段を上がり、客室へと引きずるように連れて行った。