君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 扉が開く。暗い部屋。ただ窓から差し込む月光だけが、白く床を縁取っている。

 部屋の奥へと押し込まれる。ノアの両手が、リリーの両側の壁につかれた。腕で囲い込むように、逃げ道を塞ぐ。

 吐息が触れるほど近い。深い青の瞳が、至近距離でリリーを見下ろしている。

 「二度と」

 押し殺した響きの中に、切実な懇願が滲んでいる。

 「俺の前から消えようなどと考えるな」

 命令ではなく、願いだった。

 「……頼むから」

 声が震えた。

 「俺を試さないでくれ」

 沈黙が、二人の間に降りた。ノアの呼吸が荒い。胸の起伏が、シャツの布越しにリリーの目の高さで揺れている。月光に照らされた白いシャツの胸元が、上下に動くたびに微かに開く。



 リリーは壁に押し付けられたまま、動けなかった。逃げ場など最初からなかった。

 「なぜ……鍵を置いた」

 掠れた声が、暗い部屋に落ちた。ノアの片手が、壁から離れた。リリーの頬に触れる。

 「……俺が……何をした」

 リリーは喉の奥が熱くて、声が出ない。

 「君に……鍵を置いてくれと、言った覚えはない」

 二年間彼が心臓に一番近い場所にしまい込んできた鍵。それを――自分は机の上に置いてしまった。

 置くことで伝えようとした。もう、離れますと。あなたの足枷にはなりませんと。けれどその行為が、ノアにどれほどの傷を与えたか――今、この指先の震えが語っていた。

 「ノア……ごめん」

 唇が、重なった。

 「……っ」

 ノアの片手が、リリーの項に回った。指が栗色の髪に埋まる。背中に回した手が、リリーの華奢な腰を引き寄せる。唇が、離れない。

 リリーの全身に電流が走った。シャツ越しに伝わる心臓の鼓動。

 ノアの唇が、リリーの唇から離れた。互いの吐息が混ざり合う。熱い。甘い。痺れるような感触が、唇から全身へと広がっていく。
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