君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 「……ここがグレンフォードだ」

 ノアの声は穏やかだった。

 「南とは違う。空も風も街も……すべてが」

 リリーは眼下に広がる街並みを見下ろした。白い壁に赤い屋根。尖塔と街の時計塔。運河に架かる石橋。

 美しかった。自分が足を踏み入れていい世界ではないような気がして、リリーは無意識にノアの手を強く握った。ノアはリリーの手を引き自分の方へ向かせた。

 「……リリー」

 「俺は……君にこの国を歩いてほしい。俺の隣で」

 リリーは目を見開いた。

 「この街を見て、この風を感じて、この空を見上げてほしい」

 ノアの手がリリーの頬に触れた。

 「君が南で見てきた空とは違うかもしれない。だが……俺はこの空の下で君と共に生きたい」

 青い瞳の奥で、灼熱の焔が静かに燃え上がっている。

 「……俺の妃になってほしい」

 飾り気のない率直な言葉。プロポーズの言葉。

 「……ノア」

 リリーの目から涙が溢れた。嬉しさと切なさと言いようのない感情が混ざり合って、声にならない嗚咽が漏れる。

 「私なんかで……いいの」

 ただ彼女を引き寄せ強く抱きしめた。

 「……君以外いない」

 耳元で囁かれた声は、掠れていたけれど、何よりも確かだった。

 王太子の妃。

 「身分を整える道は、用意する。手続きには時間がかかるが……必ず」

 迷いのない、静かで重い響き。

 「……はい」

 小さく頷いた。その一言に、五年分の想いが込められていた。ノアの腕が、リリーを包み込んだ。
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