君を帰すことだけはできない〜北の王太子が五年越しに愛した南の町娘〜
 ◇

 グレンフォード王国の法に則り、書類が整えられ署名が交わされる。

 「……リリー・クロイド」

 リリーは書類を見つめたまま言った。

 「名前だけだ。中身は変わらない」

 ノアはリリーの手を強く握った。

 「俺が知っているのは、一緒に星空を見上げたリリーだ。名前も身分も関係ない」

 「……ノア」

 「明日……王宮へ行くぞ」

 ◇

 王宮の謁見室は、白い大理石と金糸の装飾に満ちていた。ノアは部屋の中央、玉座の前に立っていた。隣にはリリーがいる。養女の手続きを終えた彼女は、質素だが品位ある薄藍色のドレスを纏っていた。

 「ノア」

 王は、静かに甥を見下ろしていた。

 「正式な謁見を求めた理由を、聞こう」

 ノアは一歩前に出た。王族の礼をもって、片膝をつく。

 「叔父上……いえ、国王陛下」

 謁見室の空気が、張り詰める。

 「私は、この女性――リリー・クロイドを、妃として迎えたいと願っております」

 ルナール王はの瞳が、リリーへと向けられる。平民として育った少女が、王の前で跪いている。王は、再びノアへと視線を戻した。

 「ハルバート・クロイドの養女として迎え入れたことは聞いている」

 「はい」

 「しかし、元はアッシュワの町娘。我が国の貴族社会において、前例のない婚姻だ」

 「承知しております」

 ノアの声は、揺るがなかった。

 「だが、彼女は私の命を救った。それだけではない。五年間の人質生活の中で、私が人間として生きる意味を見出せたのは、彼女がいたからです」

 王の眉が、微かに動いた。

 「……続けよ」
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