きみの青春に、私もいたい。
「……先輩、そっちじゃないです」

「え?」

「駅、反対方向です」

「……あれ?」

試合帰りの午後三時。

瀬名先輩は、堂々と道を間違えていた。

「おかしいな。何回も来てるのに」

「……方向音痴なんですか?」

「いや、普段はちゃんとしてる!」

「普段も心配になってきました」

「小鳥遊さん、今日ちょっと厳しくない!?」

先輩が笑う。

私も、つられて笑ってしまった。

*

駅前の小さなアイスクリーム店。

「俺、チョコミント!」

「……私はバニラで」

「えー! 冒険しないタイプ?」

「バニラに失礼ですよ」

「確かに!」

二人で店の外のベンチに座った。

六月の風が、少しだけ暑い。

「……今日、ありがとね」

先輩がぽつりと言った。

「さっきも聞きましたよ」

「何回でも言いたいじゃん」

「……そういうものですか?」

「そういうもの!」

先輩はアイスをひと口食べた。

「俺さ、試合中に小鳥遊さんの声聞こえるの、なんか新鮮だった」

「……変じゃなかったですか?」

「全然。むしろ安心した」

「安心?」

「うん。いつもの声だなーって」

先輩は何でもないように笑った。

……いつもの声。

私にとっては、少し嬉しい言葉だった。

*

「……あっ」

先輩が突然、声を上げた。

「どうしました?」

「アイス落ちる!」

見ると、チョコミントが今にもコーンから滑り落ちそうになっていた。

「……早く食べてください!」

「待って、これどうすれば!?」

「傾けないで!」

「あっ、やばっ!」

ぽとっ。

チョコミントが、先輩の膝に落ちた。

「…………」

「…………」

数秒の沈黙。

そして。

「……ふふっ」

耐えきれず、笑ってしまった。

「ちょっ、笑わないで!」

「だって……先輩、さっきまでかっこよかったのに」

「えっ」

先輩が顔を上げる。

「……今、かっこよかったって言った?」

「……言ってません」

「言ったよね!?」

「アイス、拭いた方がいいですよ」

「話そらした!」

私は鞄からティッシュを取り出した。

先輩はそれを受け取りながら、まだ笑っている。

……本当に。

試合中とは、別人みたい。

*

帰り道。

駅の改札が見えてきた頃、先輩が口を開いた。

「……小鳥遊さん」

「はい?」

「ひとつ、お願いしてもいい?」

「……何ですか?」

先輩は少しだけ迷ってから言った。

「今日、俺がアイス落としたこと」

「……はい」

「颯太には内緒にして!」

「……え?」

「絶対いじられるから!」

あまりにも真剣な顔で言うものだから、思わず吹き出した。

「……そんなことですか?」

「そんなことじゃない! 俺の威厳が!」

「……威厳」

「お願い!」

私は少し考えるふりをした。

「……どうしようかな」

「ええっ!?」

「冗談です。言いませんよ」

「ほんと!?」

「はい」

先輩はほっとしたように笑った。

「よかったぁ」

そして、小指を差し出してきた。

「じゃあ、約束!」

「……小学生ですか?」

「いいじゃん!」

仕方なく、小指を絡める。

ほんの一瞬。

先輩の指が、私の指に触れた。

……あ。

思っていたより、少し硬い。

野球をしている手なんだ。

そんなことを考えていると、先輩が笑った。

「これで、二人だけの秘密ね!」

「……大げさです」

「でも、なんかいいじゃん」

先輩は小指を離した。

「小鳥遊さんと俺しか知らないこと」

……それは。

確かに、そうだけど。

「……先輩」

「ん?」

「アイス落としただけですよ?」

「だから、それが大事なの!」

私はまた笑ってしまった。

*

帰宅してから。

スマートフォンに、莉子からメッセージが届いた。

『今日どうだった!? 野球部!!』

私は少し考えてから返信する。

『アナウンス、無事に終わったよ』

『それだけ!? 瀬名先輩とは!?』

……う。

指が止まる。

アイスを食べたこと。

先輩が道を間違えたこと。

二人で笑ったこと。

……全部、話してしまおうか。

でも。

『普通に話したよ』

そう送った。

『えー! 詳しく聞きたい!』

私はスマートフォンを伏せた。

……ごめん、莉子。

今日のことは。

もう少しだけ、自分の中にしまっておきたい。

窓の外では、夕焼けがゆっくり沈んでいた。

先輩と交わした、小さな約束。

誰にも言えないほど大きな秘密じゃない。

それなのに。

なぜか、少しだけ特別なものに思えた。
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