きみの青春に、私もいたい。
日曜日、午前八時五十分。
市民球場の入口で、私はスマートフォンを握りしめていた。
「……早く来すぎた」
集合時間まで、あと十分。
初めての球場。
初めての場内アナウンス。
緊張しないわけがない。
「小鳥遊さん!」
顔を上げると、ユニフォーム姿の瀬名先輩が走ってきた。
「おはよ! 早いね!」
「……おはようございます」
「もしかして、緊張してる?」
「……少し」
「大丈夫! 俺も最初の試合、めっちゃ緊張したから!」
「先輩でも?」
「うん! 緊張しすぎて、左右違う靴下履いてきた!」
「……それ、緊張のせいですか?」
「えっ、違う!?」
思わず笑ってしまった。
先輩は満足そうに頷く。
「よし。ちょっと笑った!」
……また、それ。
*
放送室は、球場の二階にあった。
窓の向こうには、広いグラウンド。
いつもの学校の放送室とは、何もかも違う。
「小鳥遊さん、こちらが進行表ね」
顧問の先生から資料を受け取る。
私は何度も目を通した。
選手紹介。
守備位置。
交代のアナウンス。
……覚えること、いっぱい。
「じゃあ、そろそろ始めようか」
「……はい!」
マイクのスイッチを入れる。
一度、深呼吸。
『本日は、市民球場へお越しいただき、ありがとうございます』
自分の声が、球場全体に広がった。
……大丈夫。
いつも通り。
『それでは、両チームのスターティングメンバーをご紹介します』
一人ずつ、名前を読み上げていく。
そして。
『三番、ショート。瀬名晴臣くん』
その名前を口にした瞬間。
グラウンドにいた先輩が、こちらを見上げた。
……え?
帽子のつばに手を当て、にっと笑う。
私は慌てて原稿へ視線を戻した。
……仕事中なんですけど!
*
試合は三回まで、両チーム無得点。
私は選手交代の原稿を確認していた。
そのとき。
「あっ!」
机の端に置いた紙コップが倒れた。
「……うそ!」
水が進行表に広がっていく。
慌てて持ち上げたけれど、文字がにじんでしまった。
しかも、ちょうど選手交代の連絡が入る。
「小鳥遊さん、次のアナウンスお願い!」
「……はい!」
返事をしたものの、手が震えた。
……読めない。
選手の背番号も、名前も。
どうしよう。
「……先生、すみません」
声が小さくなる。
そのとき、隣にいた記録係の先生が気づいてくれた。
「大丈夫。こっちの控えを使おう」
新しい進行表が差し出される。
「焦らなくていいよ」
「……ありがとうございます」
私は息を整え、マイクに向き直った。
『選手の交代をお知らせいたします』
少しだけ声が震えた。
でも、最後まで読み切れた。
……よかった。
*
試合終了後。
放送室を出ると、階段の下に瀬名先輩がいた。
「小鳥遊さん!」
「……先輩。お疲れさまです」
「お疲れ! アナウンス、すごいよかった!」
「……途中、失敗しかけました」
「えっ、そうなの?」
私は紙コップのことを話した。
すると先輩は、少し驚いたあと笑った。
「全然分かんなかった!」
「……本当ですか?」
「うん。いつも通り、聞きやすかったよ」
その言葉に、肩の力が抜けた。
「……よかった」
思わず呟く。
先輩は私の顔を見て、少しだけ笑った。
「……あのさ」
「はい?」
「今日、俺も緊張してたんだよね」
「……試合ですか?」
「うん。それもあるけど」
先輩は帽子を脱いで、髪をかいた。
「小鳥遊さんに、変なプレー見せたくないなって」
「……え?」
「せっかく来てくれたし!」
……そんなこと、考えてたんだ。
私は少し迷ってから、答えた。
「……先輩、かっこよかったですよ」
「…………」
先輩が固まった。
「……え?」
「守備のとき、すごかったです」
「……あ、うん」
いつもなら、すぐに笑って何か言うのに。
今日は、なぜか黙っている。
「……先輩?」
「……ごめん」
先輩は帽子で顔を隠した。
「今の、ちょっと嬉しすぎた」
……え。
よく見ると。
帽子の下から覗く耳が、少し赤い。
私は初めて見たその反応に、何も言えなくなった。
すると先輩は、照れくさそうに笑った。
「……ねえ、小鳥遊さん」
「はい?」
「今日のお礼、させてよ」
「……お礼?」
「うん。駅前に美味しいアイス屋さんあるんだ」
先輩は、いつもの明るい声に戻った。
「一緒に食べて帰らない?」
私は少し考えた。
そして。
「……じゃあ、ひとつだけ」
そう答えた。
先輩の顔が、ぱっと明るくなる。
「やった!」
……本当に。
この人は、分かりやすい。
けれど。
さっき赤くなった耳のことだけは。
どうしても、頭から離れなかった。
市民球場の入口で、私はスマートフォンを握りしめていた。
「……早く来すぎた」
集合時間まで、あと十分。
初めての球場。
初めての場内アナウンス。
緊張しないわけがない。
「小鳥遊さん!」
顔を上げると、ユニフォーム姿の瀬名先輩が走ってきた。
「おはよ! 早いね!」
「……おはようございます」
「もしかして、緊張してる?」
「……少し」
「大丈夫! 俺も最初の試合、めっちゃ緊張したから!」
「先輩でも?」
「うん! 緊張しすぎて、左右違う靴下履いてきた!」
「……それ、緊張のせいですか?」
「えっ、違う!?」
思わず笑ってしまった。
先輩は満足そうに頷く。
「よし。ちょっと笑った!」
……また、それ。
*
放送室は、球場の二階にあった。
窓の向こうには、広いグラウンド。
いつもの学校の放送室とは、何もかも違う。
「小鳥遊さん、こちらが進行表ね」
顧問の先生から資料を受け取る。
私は何度も目を通した。
選手紹介。
守備位置。
交代のアナウンス。
……覚えること、いっぱい。
「じゃあ、そろそろ始めようか」
「……はい!」
マイクのスイッチを入れる。
一度、深呼吸。
『本日は、市民球場へお越しいただき、ありがとうございます』
自分の声が、球場全体に広がった。
……大丈夫。
いつも通り。
『それでは、両チームのスターティングメンバーをご紹介します』
一人ずつ、名前を読み上げていく。
そして。
『三番、ショート。瀬名晴臣くん』
その名前を口にした瞬間。
グラウンドにいた先輩が、こちらを見上げた。
……え?
帽子のつばに手を当て、にっと笑う。
私は慌てて原稿へ視線を戻した。
……仕事中なんですけど!
*
試合は三回まで、両チーム無得点。
私は選手交代の原稿を確認していた。
そのとき。
「あっ!」
机の端に置いた紙コップが倒れた。
「……うそ!」
水が進行表に広がっていく。
慌てて持ち上げたけれど、文字がにじんでしまった。
しかも、ちょうど選手交代の連絡が入る。
「小鳥遊さん、次のアナウンスお願い!」
「……はい!」
返事をしたものの、手が震えた。
……読めない。
選手の背番号も、名前も。
どうしよう。
「……先生、すみません」
声が小さくなる。
そのとき、隣にいた記録係の先生が気づいてくれた。
「大丈夫。こっちの控えを使おう」
新しい進行表が差し出される。
「焦らなくていいよ」
「……ありがとうございます」
私は息を整え、マイクに向き直った。
『選手の交代をお知らせいたします』
少しだけ声が震えた。
でも、最後まで読み切れた。
……よかった。
*
試合終了後。
放送室を出ると、階段の下に瀬名先輩がいた。
「小鳥遊さん!」
「……先輩。お疲れさまです」
「お疲れ! アナウンス、すごいよかった!」
「……途中、失敗しかけました」
「えっ、そうなの?」
私は紙コップのことを話した。
すると先輩は、少し驚いたあと笑った。
「全然分かんなかった!」
「……本当ですか?」
「うん。いつも通り、聞きやすかったよ」
その言葉に、肩の力が抜けた。
「……よかった」
思わず呟く。
先輩は私の顔を見て、少しだけ笑った。
「……あのさ」
「はい?」
「今日、俺も緊張してたんだよね」
「……試合ですか?」
「うん。それもあるけど」
先輩は帽子を脱いで、髪をかいた。
「小鳥遊さんに、変なプレー見せたくないなって」
「……え?」
「せっかく来てくれたし!」
……そんなこと、考えてたんだ。
私は少し迷ってから、答えた。
「……先輩、かっこよかったですよ」
「…………」
先輩が固まった。
「……え?」
「守備のとき、すごかったです」
「……あ、うん」
いつもなら、すぐに笑って何か言うのに。
今日は、なぜか黙っている。
「……先輩?」
「……ごめん」
先輩は帽子で顔を隠した。
「今の、ちょっと嬉しすぎた」
……え。
よく見ると。
帽子の下から覗く耳が、少し赤い。
私は初めて見たその反応に、何も言えなくなった。
すると先輩は、照れくさそうに笑った。
「……ねえ、小鳥遊さん」
「はい?」
「今日のお礼、させてよ」
「……お礼?」
「うん。駅前に美味しいアイス屋さんあるんだ」
先輩は、いつもの明るい声に戻った。
「一緒に食べて帰らない?」
私は少し考えた。
そして。
「……じゃあ、ひとつだけ」
そう答えた。
先輩の顔が、ぱっと明るくなる。
「やった!」
……本当に。
この人は、分かりやすい。
けれど。
さっき赤くなった耳のことだけは。
どうしても、頭から離れなかった。