君だけに奏でる愛のカノン〜世界的ピアニストの甘い溺愛〜
「馬鹿なことを。自分のしたことの責任を取るのと、許されることは別の話だよ」
「そんな!」
「私が泣きわめかないからって交渉の余地があると思うなら、それは間違いだよ」

 黙り込む二人とこれ以上過ごしてももう意味はないと思った。

「すみれが署名しようがしまいが、この書面通りに蹴りをつけるから」

 私はそう言うと、紙を自分のバッグにしまった。

「あ、そうだ。最後になるから聞いておきたいんだけど」

 私がそう言うと、すみれが顔を上げた。

「大学の卒業演奏会で、私が一緒にピアノを弾いた人が、連絡先のメモを託したんだって?」

 その言葉を投げかけた時の表情で、すみれが故意に渡さなかったことが私にはわかってしまった。

「何のこと……? そんなの覚えてないよ」
「私のものを奪うのが趣味みたいね」
「そんなことない! 花音が私が手にするはずだったものを先に奪ったんじゃない!」

 あまりにも陳腐な理由で、話にならなかった。

「今回、私はたくさんのものを失ったけど、すみれと縁が切れることだけは、将来のためになることだった」

 私は、そう言うと席を立った。

 すみれがわざとらしく声を上げて泣いたけれど、もうどうでもいい。

 私は、やるべきことをやった。

 あとは、前進するだけ。

 カフェを出て駅構内に入ると、柱に設置されたデジタルサイネージの全てに、同じ映像が流れ出した。

 ピアノの音――奏だ。

 奏のピアノを弾く指先が映し出された後は、目を閉じた奏の顔がアップになる。

 オールバックに髪を整え、タキシードを着た彼は、全く別人に見えた。

 なるほど、これだったのか。

 私は、昨日感動の再会を果たしたばかりの奏が、本当にすごい人なのだと……改めて実感した。

 そう言えば、海外から逆輸入された美貌のピアニストって話題になっていたかも。

 もっと早く気付きたかった……。

 でも、前髪ボサボサの姿しか知らなかったんだもの、仕方ないわよね。

 私は、あの二人といた時の重苦しい気持ちがいつの間にか吹き飛んでいたことに気付いた。

 これは、奏マジックね。

 私は、スマホを取り出して、その映像を撮影すると、奏に送った。

 見たよ。カッコいい! とメッセージを付けて。

 すぐに返信が来る。

 ありがとう。花音にそう言われると照れるね。って。

**

 あれやこれやと奔走した結果、結婚式の中止に伴う各種手続きも、なんとか終わった。

 正直なところ、もううんざり。

 誰も彼もが、結婚が破談になった私を嘲笑うような気がする。そんなことあるはずないのは、頭ではわかっているのだけれど。

 東京にいることすら、閉じ込められているように感じる。どこか遠くへ行きたい。誰も私を知らないところへ。

 そんな時、全国ツアー中の奏が、次の開催地である北海道へ招待してくれた。
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