断罪された悪役令嬢ですが、神様のハッピーエンドなんてお断りです〜私を救ったのは死神公爵でした〜
1.悪役令嬢
「ラピラス侯爵令嬢アズリア、貴女との婚約を破棄します」
シャンデリアが眩いばかりの光を散らし、貴族たちの着飾った装いが華やかに彩るエメラルディス公爵家の邸宅で、その婚約破棄は行われた。宣言した青年たちを見ながら、名前を呼ばれたアズリアは首を傾げた。紺碧の髪が、さらりと揺れる。
(……ラピラス侯爵令嬢アズリア?)
呼ばれた彼女は、その名を知っていた。けれどそれは彼女自身の名前ではなかった。
(それって乙女ゲーム『聖女リリアと光の福音』の悪役令嬢、だよね?)
侯爵令嬢で攻略対象エメラルディス公爵令息の婚約者。他の攻略対象とも幼馴染や兄妹の間柄で、メインヒーローの王子に恋をしていて、だいたいどのルートでも悪役令嬢として登場し、ヒロインのリリアの邪魔をする……それが悪役令嬢アズリアだ。
彼女は困惑した表情でエメラルディス公爵令息に庇われているヒロインのリリアを見た。その周りにはリリアを守るようにしてアズリアの兄と幼馴染がいる。
(……変だな)
婚約破棄されるのは理解できる。だいたい、どのルートでもアズリアは婚約破棄され、見捨てられて終わるのだ。けれど、こんな婚約破棄は彼女の記憶にはなかった。
(あのゲームは何回も遊んだけど……アズリアがエメラルディス公爵邸の夜会で婚約破棄されるのは、エメラルディス公爵子息のルートだけのはず)
けれど、そのルートだとアズリアの兄と幼馴染がリリアの横にいないはずだ。攻略対象の5人が揃い、王城で婚約破棄される大団円エンドもあったが、それにしては場所も人数も違う。
(……変なのは、それだけじゃない)
彼女は、このゲームを確かに遊んだ記憶がある。なのに、それ以外の記憶を思い出せないのだ。かといってアズリア自身として生きた記憶もない。今の彼女に分かるのは自分がアズリアと呼ばれ、冷たい視線に晒されていることだけだった。
その瑠璃色の瞳に、ただ困惑を映してアズリアはリリア達を見つめた。
「なら、俺が彼女を貰い受けよう」
静まり返った広間に、低くよく通る声がした。貴族たちが、その声の主のために道を開ける。カツリカツリと足音を鳴らし、現れたのは黒い髪と紫の瞳を持つ長身の美丈夫だった。
(ルキフェル・オニキス公爵……)
アズリアは彼のことも知っていた。ゲームの悪役兼、隠しキャラで、その戦功から英雄とも死神公とも恐れられる人物だ。
ルキフェルは切れ長の瞳が貴族達を鋭く睨みつけ、アズリアを背中に隠す。アズリアの中では疑問が募った。
(……どうしてルキフェルがここにいて、アズリアを庇っているんだろう?)
ルキフェルは隠しキャラでアズリアの断罪シーンに出てくることは、ほぼない。例外は大団円ルートと彼自身のルートだ。まぁ、彼自身のルートでもアズリアはルキフェルに一目惚れをして、悪役令嬢としてリリアの邪魔をする訳だが。
(……まぁ、一目惚れするのも分かるよねぇ)
鋭い双眸と整った鼻梁を持つ精悍な顔立ちの男性だ。このゲームの中で彼女の推しでもある。見た目も好きだが、低く響く美声や、普段そっけない彼がリリアに恋した後、優しくなるギャップが凄く好きだった。
(そのために、このゲームを周回したからね……隠しキャラだけあって彼は、難易度が高いんだよね)
「用は済んだ。行くぞ、アズリア」
「え……あ、はい」
手を取られ、有無を言わさぬ様子でルキフェルがアズリアを連れて歩き出す。ざわめく貴族たちを背後に置いて、彼はそのまま馬車に向かいアズリアを乗せた。ルキフェルは、彼女の向かいに腰を下ろす。
黒塗りの馬車が静かに走り出す。窓の外では、エメラルディス公爵家の屋敷が遠ざかっていった。
(……ええと)
アズリアは、そっと向かいの男性を見上げて、驚くほど近くにあった美貌から、目を逸らした。
馬車の中、向かい合って座ればこの距離になるのは当然だ。けれど、ゲーム画面越しに何度も見つめた距離と今の距離を、どうしても比べてしまって、その近さに落ち着かない。推しが目の前にいると思うだけでソワソワしてしまうのに……。
しかも彼は先ほどから一言も話さないのだ。沈黙が重く感じられた。
(どうしよう、何か話した方がいいのかな? でも何を?)
ゲームの中のルキフェルも、口数が少ない人物だった。攻略中も最初は、必要最低限のことしか話さない。愛想笑いなど滅多に見せず、甘い言葉を囁くこともほとんどない。
それなのに、ひとたび心を許した相手には、驚くほど甘くなる。
——そのギャップが、彼女は、たまらなく好きだった
(……いやいや、落ち着こう。今は推しとの夢のような時間を楽しんでいる場合じゃないよね?)
落ち着くために、彼女は思考を巡らせた。そうすると、浮かれていた心が少し落ち着きを取り戻した。
(そもそも、どうしてアズリアを連れ去ったのだろう。……婚約破棄されたアズリアを憐れんだ、とか? いや、彼はそんなタイプじゃないか)
浮かんできた答えを、彼女は即座に却下した。
(そもそも、どうして婚約破棄の場に、ルキフェルが?)
思考は、再び違和感を掬い上げる。
(ここは、そもそも、ゲームの中の、どのルートなんだろう)
少しでも情報が欲しいとアズリアが意を決して声をかけると、紫色の瞳がこちらを向いた。
「あの……」
「なんだ」
「なぜ、あの場に、いたんですか?」
元々のストーリーでは、彼は、辺境の地に出征していて、あの夜会には不参加だったはずだ。
「国中の貴族が招待されていた夜会に、俺が参加するのが変か?」
「いえ……。では……私を、どこへ連れていくつもりですか?」
「俺の領地だ」
「……オニキス公爵領へ?」
「そうだ」
思ったよりも簡潔な返答にアズリアは、ますます首を傾げる。確か隣国との国境の近くにある領地で、ルキフェルはその国との戦いで英雄と——死神公と呼ばれるようになったのだったなと彼女は思い出す。アズリアは、緩く首を傾げながら問いを重ねた。
「……どうして、私を助けてくれたんですか?」
ルキフェルは答えず、ただ、彼女を見つめた。
その紫色の瞳が、何かを堪えるように歪んだ。けれど、ほんの一瞬で、その表情は消える。
「……あの場に、お前を置いておくわけにはいかなかった」
「それは、どういう……」
「今はまだ、知らなくていい」
静かな声だった。拒絶というよりも、これ以上は話せないと告げているように聞こえた。
(知らなくていい、か……)
アズリアは小さく息を吐いた。
ゲームの知識を持つ彼女にとって、ルキフェルはよく知っている人物のはずだった。けれど、それはあくまでもゲームの中の彼だ。目の前にいる彼が何を考え、何を望んでいるのか……それが分からない。彼はもうゲームの中のキャラクターではなく、生きている。だから、それが当然なのだと彼女は、ようやく理解し始めていた。
「……分かりました」
そう答えると、ルキフェルはわずかに目を伏せた。
「すまない」
「え?」
「説明できないことばかりで、悪いと思っている」
思いがけない言葉に、アズリアは目を瞬かせた。
(ルキフェルが悪役令嬢に謝った……)
ゲームの中での彼は、もっとそっけない人物だった。彼女の知っているルキフェルと、目の前のルキフェルの違いが、また一つ増える。
——けれど、そんな違いが、妙に人間らしく見えた
馬車は夜の街を抜け、王都を離れていく。アズリアは、窓の外、夜に溶けた景色を眺めながら考える。
(これからどうなるんだろう。エメラルディス公爵子息には捨てられて、兄も幼馴染もヒロインの側にいた……ということはゲームでは断罪エンディング後って、ことだよね?)
そして、ゲームでは本来リリアに恋をするはずの、隠しキャラクターに連れ去られている。ゲームの記憶は当てになりそうもないなと思いながら、暗い窓の外を見つめ続ける。
(……でも)
彼女は、そっと向かいの男性を盗み見た。画面越しに何度も見た、忘れようのない存在が、今近くで、彼女を守ってくれた。
(……彼が側にいてくれるなら、大丈夫な気がする)
それは根拠もない思いだ。けれど本当なら湧いてくるだろう不安は、ない。彼女は、彼から視線を外すと、また窓の外へと目を向けた。
その様子を、今度はルキフェルが静かに見つめる。ルキフェルは彼女が目を逸らした後、しばらく密やかに、その顔を見ていた。それは、まるで、そこにいることを確かめるようだった。やがて、彼は惜しむように視線を外して、ゆっくりと瞼を閉じる。
(今度こそ——今度こそ、守り抜く)
胸の奥で燃える誓いを、彼は口にしなかった。
シャンデリアが眩いばかりの光を散らし、貴族たちの着飾った装いが華やかに彩るエメラルディス公爵家の邸宅で、その婚約破棄は行われた。宣言した青年たちを見ながら、名前を呼ばれたアズリアは首を傾げた。紺碧の髪が、さらりと揺れる。
(……ラピラス侯爵令嬢アズリア?)
呼ばれた彼女は、その名を知っていた。けれどそれは彼女自身の名前ではなかった。
(それって乙女ゲーム『聖女リリアと光の福音』の悪役令嬢、だよね?)
侯爵令嬢で攻略対象エメラルディス公爵令息の婚約者。他の攻略対象とも幼馴染や兄妹の間柄で、メインヒーローの王子に恋をしていて、だいたいどのルートでも悪役令嬢として登場し、ヒロインのリリアの邪魔をする……それが悪役令嬢アズリアだ。
彼女は困惑した表情でエメラルディス公爵令息に庇われているヒロインのリリアを見た。その周りにはリリアを守るようにしてアズリアの兄と幼馴染がいる。
(……変だな)
婚約破棄されるのは理解できる。だいたい、どのルートでもアズリアは婚約破棄され、見捨てられて終わるのだ。けれど、こんな婚約破棄は彼女の記憶にはなかった。
(あのゲームは何回も遊んだけど……アズリアがエメラルディス公爵邸の夜会で婚約破棄されるのは、エメラルディス公爵子息のルートだけのはず)
けれど、そのルートだとアズリアの兄と幼馴染がリリアの横にいないはずだ。攻略対象の5人が揃い、王城で婚約破棄される大団円エンドもあったが、それにしては場所も人数も違う。
(……変なのは、それだけじゃない)
彼女は、このゲームを確かに遊んだ記憶がある。なのに、それ以外の記憶を思い出せないのだ。かといってアズリア自身として生きた記憶もない。今の彼女に分かるのは自分がアズリアと呼ばれ、冷たい視線に晒されていることだけだった。
その瑠璃色の瞳に、ただ困惑を映してアズリアはリリア達を見つめた。
「なら、俺が彼女を貰い受けよう」
静まり返った広間に、低くよく通る声がした。貴族たちが、その声の主のために道を開ける。カツリカツリと足音を鳴らし、現れたのは黒い髪と紫の瞳を持つ長身の美丈夫だった。
(ルキフェル・オニキス公爵……)
アズリアは彼のことも知っていた。ゲームの悪役兼、隠しキャラで、その戦功から英雄とも死神公とも恐れられる人物だ。
ルキフェルは切れ長の瞳が貴族達を鋭く睨みつけ、アズリアを背中に隠す。アズリアの中では疑問が募った。
(……どうしてルキフェルがここにいて、アズリアを庇っているんだろう?)
ルキフェルは隠しキャラでアズリアの断罪シーンに出てくることは、ほぼない。例外は大団円ルートと彼自身のルートだ。まぁ、彼自身のルートでもアズリアはルキフェルに一目惚れをして、悪役令嬢としてリリアの邪魔をする訳だが。
(……まぁ、一目惚れするのも分かるよねぇ)
鋭い双眸と整った鼻梁を持つ精悍な顔立ちの男性だ。このゲームの中で彼女の推しでもある。見た目も好きだが、低く響く美声や、普段そっけない彼がリリアに恋した後、優しくなるギャップが凄く好きだった。
(そのために、このゲームを周回したからね……隠しキャラだけあって彼は、難易度が高いんだよね)
「用は済んだ。行くぞ、アズリア」
「え……あ、はい」
手を取られ、有無を言わさぬ様子でルキフェルがアズリアを連れて歩き出す。ざわめく貴族たちを背後に置いて、彼はそのまま馬車に向かいアズリアを乗せた。ルキフェルは、彼女の向かいに腰を下ろす。
黒塗りの馬車が静かに走り出す。窓の外では、エメラルディス公爵家の屋敷が遠ざかっていった。
(……ええと)
アズリアは、そっと向かいの男性を見上げて、驚くほど近くにあった美貌から、目を逸らした。
馬車の中、向かい合って座ればこの距離になるのは当然だ。けれど、ゲーム画面越しに何度も見つめた距離と今の距離を、どうしても比べてしまって、その近さに落ち着かない。推しが目の前にいると思うだけでソワソワしてしまうのに……。
しかも彼は先ほどから一言も話さないのだ。沈黙が重く感じられた。
(どうしよう、何か話した方がいいのかな? でも何を?)
ゲームの中のルキフェルも、口数が少ない人物だった。攻略中も最初は、必要最低限のことしか話さない。愛想笑いなど滅多に見せず、甘い言葉を囁くこともほとんどない。
それなのに、ひとたび心を許した相手には、驚くほど甘くなる。
——そのギャップが、彼女は、たまらなく好きだった
(……いやいや、落ち着こう。今は推しとの夢のような時間を楽しんでいる場合じゃないよね?)
落ち着くために、彼女は思考を巡らせた。そうすると、浮かれていた心が少し落ち着きを取り戻した。
(そもそも、どうしてアズリアを連れ去ったのだろう。……婚約破棄されたアズリアを憐れんだ、とか? いや、彼はそんなタイプじゃないか)
浮かんできた答えを、彼女は即座に却下した。
(そもそも、どうして婚約破棄の場に、ルキフェルが?)
思考は、再び違和感を掬い上げる。
(ここは、そもそも、ゲームの中の、どのルートなんだろう)
少しでも情報が欲しいとアズリアが意を決して声をかけると、紫色の瞳がこちらを向いた。
「あの……」
「なんだ」
「なぜ、あの場に、いたんですか?」
元々のストーリーでは、彼は、辺境の地に出征していて、あの夜会には不参加だったはずだ。
「国中の貴族が招待されていた夜会に、俺が参加するのが変か?」
「いえ……。では……私を、どこへ連れていくつもりですか?」
「俺の領地だ」
「……オニキス公爵領へ?」
「そうだ」
思ったよりも簡潔な返答にアズリアは、ますます首を傾げる。確か隣国との国境の近くにある領地で、ルキフェルはその国との戦いで英雄と——死神公と呼ばれるようになったのだったなと彼女は思い出す。アズリアは、緩く首を傾げながら問いを重ねた。
「……どうして、私を助けてくれたんですか?」
ルキフェルは答えず、ただ、彼女を見つめた。
その紫色の瞳が、何かを堪えるように歪んだ。けれど、ほんの一瞬で、その表情は消える。
「……あの場に、お前を置いておくわけにはいかなかった」
「それは、どういう……」
「今はまだ、知らなくていい」
静かな声だった。拒絶というよりも、これ以上は話せないと告げているように聞こえた。
(知らなくていい、か……)
アズリアは小さく息を吐いた。
ゲームの知識を持つ彼女にとって、ルキフェルはよく知っている人物のはずだった。けれど、それはあくまでもゲームの中の彼だ。目の前にいる彼が何を考え、何を望んでいるのか……それが分からない。彼はもうゲームの中のキャラクターではなく、生きている。だから、それが当然なのだと彼女は、ようやく理解し始めていた。
「……分かりました」
そう答えると、ルキフェルはわずかに目を伏せた。
「すまない」
「え?」
「説明できないことばかりで、悪いと思っている」
思いがけない言葉に、アズリアは目を瞬かせた。
(ルキフェルが悪役令嬢に謝った……)
ゲームの中での彼は、もっとそっけない人物だった。彼女の知っているルキフェルと、目の前のルキフェルの違いが、また一つ増える。
——けれど、そんな違いが、妙に人間らしく見えた
馬車は夜の街を抜け、王都を離れていく。アズリアは、窓の外、夜に溶けた景色を眺めながら考える。
(これからどうなるんだろう。エメラルディス公爵子息には捨てられて、兄も幼馴染もヒロインの側にいた……ということはゲームでは断罪エンディング後って、ことだよね?)
そして、ゲームでは本来リリアに恋をするはずの、隠しキャラクターに連れ去られている。ゲームの記憶は当てになりそうもないなと思いながら、暗い窓の外を見つめ続ける。
(……でも)
彼女は、そっと向かいの男性を盗み見た。画面越しに何度も見た、忘れようのない存在が、今近くで、彼女を守ってくれた。
(……彼が側にいてくれるなら、大丈夫な気がする)
それは根拠もない思いだ。けれど本当なら湧いてくるだろう不安は、ない。彼女は、彼から視線を外すと、また窓の外へと目を向けた。
その様子を、今度はルキフェルが静かに見つめる。ルキフェルは彼女が目を逸らした後、しばらく密やかに、その顔を見ていた。それは、まるで、そこにいることを確かめるようだった。やがて、彼は惜しむように視線を外して、ゆっくりと瞼を閉じる。
(今度こそ——今度こそ、守り抜く)
胸の奥で燃える誓いを、彼は口にしなかった。
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