断罪された悪役令嬢ですが、神様のハッピーエンドなんてお断りです〜私を救ったのは死神公爵でした〜
2.夢
馬車の揺れが、アズリアを心地よい眠りに誘う。慣れないことばかりで、気を張り詰めていたせいだろう。窓の外を流れる景色を眺めていたアズリアは、いつの間にか瞼を閉じていた。
──そして、夢を見た
剣戟の音が響いている。誰かが叫ぶ声と視界を遮る土煙、鼻につく血の匂い。
アズリアの目の前には、見覚えのない戦場が広がっていた。
(いや、違う……私は、ここを知っている?)
見覚えがないはずなのに、どうしてだろう。
——懐かしいという思いが胸に広がる
「アズリア、右だ!」
ルキフェルの低い声に、考えるよりも先に、彼女の身体は動いていた。
迫りくる敵兵の一撃を躱して振り返り、手から魔術を放つ。敵兵の身体に容易く穴が開き、地面へと倒れていく。いつの間にか慣れてしまった光景に、それでもアズリアの心は重くなった。
その隙を逃すまいと、もう一人、敵兵がアズリアに飛びかかった。それを隣に立っていたルキフェルが容易に斬り伏せる。
鮮やかな紫色の瞳が、一瞬だけ心配そうにアズリアを見た。
言葉など必要なかった。彼が何を考え、何をしようとしているのか、分かる。今、アズリア自身がどう動けばいいのかも、分かる。
——何度も、何度も、そうしてきたから
背中を預けて、ルキフェルとアズリアは動き出した。互いの死角を補い、敵兵を倒していく。不安は欠片もない。この男の側なら安心だとアズリア自身の心が告げていた。
——けれど
ふいに景色が揺らいだ。必死の形相でルキフェルが何かを言っている。背中を支える腕の温もりだけは感じられた。
「……ルキフェル」
名前を呼んだ瞬間、また景色が歪んだ。
ルキフェルが必死に何かを言っているのに、聞こえない。彼の泣きそうな顔にアズリアは手を伸ばして——
「アズリア!」
「……っ!」
ルキフェルの声でアズリアは目を覚ました。視界に飛び込んできたのは、心配そうな目をした彼だった。アズリアの心臓は、どくどくと嫌な音を立てていた。
(……夢?)
そう、夢だ。平和な世界で生きていた彼女には、あんな経験はない。
けれど、どうしてだろう……
剣戟の音も、誰かが叫ぶ声も、鼻につく血の匂いも、あまりにもリアルに感じられた。
と同時に疑問も浮かぶ。
(……どうして、あんなふうに動けたのかな?)
ゲームのアズリアは、自ら戦場に立つような人物ではない。侯爵家の生まれで父や兄は戦場に立っていたが、蝶よ花よと育てられた令嬢だった。彼女が知るゲームの中では、戦場に立ち治癒を担当したヒロインを蔑みさえしていた……戦場に女が出るなんて、と。
——それなのに、夢の中のアズリアは戦い慣れていた
隣にいた男の顔は、はっきりと覚えている。数多の敵兵を屠り、死神公と呼ばれ、今目の前に居るルキフェルだ。その彼と背中を預け合い戦うなんて、余程の経験がないと無理だろうと思う。
「……大丈夫か? ……酷くうなされていた」
「……心配してくれて、ありがとうございます。悪い夢を……見てたみたいです」
アズリアの顔には誤魔化すような笑みが浮かんでいた。ルキフェルは、そんな彼女に目を鋭くした。それでも、その瞳には心配そうな光が宿っている。
「身体に問題はないか?」
「……はい」
「なら、もう少し眠っていろ。公爵領まで、まだかかる」
「はい」
アズリアの答えを聞いて、彼は静かに目を閉じた。それに倣うようにアズリアも瞳を閉じる。
馬車は森に入り、走り続けた。アズリアは再び眠りについた。今度は夢も見ず、静かな眠りだった。
やがて馬車はスピードを落とし、止まった。
「……着いたぞ」
ルキフェルの静かな声に、アズリアは瞼を上げる。窓の外は、すっかり明るい。
窓からは、重厚な石造りの門がそびえ立っているのが見えた。
門の向こうには、整然と並ぶ建物と石畳。遠くには頑強そうな城がある。王都とは違い、どこか張り詰めた空気が漂っているようにアズリアには感じられた。
「ここが、オニキス公爵領……」
「ああ」
馬車はそのままゆっくりと城下街を走り続け、城門を越えて、城へと到着した。ルキフェルが先に馬車を降り、アズリアへ手を差し伸べる。アズリアは少し迷ってから、彼の手を取った。ルキフェルは、ほんのわずかに目を細めた。
「疲れているだろう。今日はもう、休むといい」
「ありがとうございます」
触れた手は、彼女が思っていたよりも温かかった。
アズリアは、少し前に見た夢を思い出そうとした。夢の中でも、彼の温もりを感じていた気がする。彼女が夢を思い出そうとすると同時に、ジクリと頭が痛んだ。
「体調が悪いのか?」
「いえ……」
「だが、今、顔を顰めただろう?」
随分と、よく見ているんだなとアズリアは驚きながらルキフェルを見た。それから、彼が心配そうな目をしていることに気づいて、誤魔化すのをやめる。
「少し頭痛がしただけです」
「……旅の疲れもあるだろう。部屋に案内する」
労わるようにエスコートされながら、アズリアはオニキス城へと足を向けた。玄関前には、すでに使用人たちが整列していた。
「お帰りなさいませ、公爵閣下」
彼らに迎えられ、ルキフェルは短く頷いた。
「客人のアズリアだ。丁重にもてなしてくれ」
「かしこまりました」
(客人……)
婚約を破棄され、行き場を失った自分をルキフェルはここまで連れてきてくれた。けれど、なぜ彼は彼女を助けてくれたのだろう? 少し前にも悩んだ疑問がアズリアの元へと帰ってきた。
ゲームの中のルキフェルは、誰かを気まぐれに助けるような人物ではない。——断罪された令嬢を、自分の領地へ連れ帰るなんてことはしない。
(……やっぱり、何かがおかしい)
アズリアが思考を巡らせている時だった。
「閣下」
玄関の奥から、ひとりの従者が足早にやってきた。
「王都より、使者が参っております」
「使者?」
「はい。王太子殿下のご来訪について、先触れが」
アズリアは思わず顔を上げた。王太子ミハエルはゲーム『聖女リリアと光の福音』のメインヒーローだ。
(……どうして?)
アズリアにはミハエルがオニキス公爵領を訪れる理由が思いつかなかった。現国王の異母弟であるルキフェルと、現国王の唯一の子であるミハエルは、あまり仲が良くないはずだ。少なくとも王都から遠く離れた公爵領を突然、訪ねてくるような間柄ではない。
「いつ来ると?」
「明日の昼頃には、こちらへ到着するとのことです」
「……随分早いな。準備を頼む」
「かしこまりました」
従者が一礼して去っていく。ルキフェルは無言でその背中を見送って、アズリアへと視線を戻す。
「……アズリア」
「はい」
「何があっても、俺の許可なく屋敷の外へ出るな」
その声は、先ほどまでよりも低かった。急にピリリと尖った雰囲気になったルキフェルに、アズリアは戸惑いながらも頷く。
「……分かりました」
(断罪された令嬢が居ては体面が悪いから? ……そんなことを考えるなら、アズリアを連れてきてない、かな? ……となると王太子が来るから……?)
アズリアは、無言のルキフェルを仰ぎ見る。彼の紫色の瞳は、ひどく険しい色を帯びていた。
——まるで、これから訪れる何かを知っているかのようだった
──そして、夢を見た
剣戟の音が響いている。誰かが叫ぶ声と視界を遮る土煙、鼻につく血の匂い。
アズリアの目の前には、見覚えのない戦場が広がっていた。
(いや、違う……私は、ここを知っている?)
見覚えがないはずなのに、どうしてだろう。
——懐かしいという思いが胸に広がる
「アズリア、右だ!」
ルキフェルの低い声に、考えるよりも先に、彼女の身体は動いていた。
迫りくる敵兵の一撃を躱して振り返り、手から魔術を放つ。敵兵の身体に容易く穴が開き、地面へと倒れていく。いつの間にか慣れてしまった光景に、それでもアズリアの心は重くなった。
その隙を逃すまいと、もう一人、敵兵がアズリアに飛びかかった。それを隣に立っていたルキフェルが容易に斬り伏せる。
鮮やかな紫色の瞳が、一瞬だけ心配そうにアズリアを見た。
言葉など必要なかった。彼が何を考え、何をしようとしているのか、分かる。今、アズリア自身がどう動けばいいのかも、分かる。
——何度も、何度も、そうしてきたから
背中を預けて、ルキフェルとアズリアは動き出した。互いの死角を補い、敵兵を倒していく。不安は欠片もない。この男の側なら安心だとアズリア自身の心が告げていた。
——けれど
ふいに景色が揺らいだ。必死の形相でルキフェルが何かを言っている。背中を支える腕の温もりだけは感じられた。
「……ルキフェル」
名前を呼んだ瞬間、また景色が歪んだ。
ルキフェルが必死に何かを言っているのに、聞こえない。彼の泣きそうな顔にアズリアは手を伸ばして——
「アズリア!」
「……っ!」
ルキフェルの声でアズリアは目を覚ました。視界に飛び込んできたのは、心配そうな目をした彼だった。アズリアの心臓は、どくどくと嫌な音を立てていた。
(……夢?)
そう、夢だ。平和な世界で生きていた彼女には、あんな経験はない。
けれど、どうしてだろう……
剣戟の音も、誰かが叫ぶ声も、鼻につく血の匂いも、あまりにもリアルに感じられた。
と同時に疑問も浮かぶ。
(……どうして、あんなふうに動けたのかな?)
ゲームのアズリアは、自ら戦場に立つような人物ではない。侯爵家の生まれで父や兄は戦場に立っていたが、蝶よ花よと育てられた令嬢だった。彼女が知るゲームの中では、戦場に立ち治癒を担当したヒロインを蔑みさえしていた……戦場に女が出るなんて、と。
——それなのに、夢の中のアズリアは戦い慣れていた
隣にいた男の顔は、はっきりと覚えている。数多の敵兵を屠り、死神公と呼ばれ、今目の前に居るルキフェルだ。その彼と背中を預け合い戦うなんて、余程の経験がないと無理だろうと思う。
「……大丈夫か? ……酷くうなされていた」
「……心配してくれて、ありがとうございます。悪い夢を……見てたみたいです」
アズリアの顔には誤魔化すような笑みが浮かんでいた。ルキフェルは、そんな彼女に目を鋭くした。それでも、その瞳には心配そうな光が宿っている。
「身体に問題はないか?」
「……はい」
「なら、もう少し眠っていろ。公爵領まで、まだかかる」
「はい」
アズリアの答えを聞いて、彼は静かに目を閉じた。それに倣うようにアズリアも瞳を閉じる。
馬車は森に入り、走り続けた。アズリアは再び眠りについた。今度は夢も見ず、静かな眠りだった。
やがて馬車はスピードを落とし、止まった。
「……着いたぞ」
ルキフェルの静かな声に、アズリアは瞼を上げる。窓の外は、すっかり明るい。
窓からは、重厚な石造りの門がそびえ立っているのが見えた。
門の向こうには、整然と並ぶ建物と石畳。遠くには頑強そうな城がある。王都とは違い、どこか張り詰めた空気が漂っているようにアズリアには感じられた。
「ここが、オニキス公爵領……」
「ああ」
馬車はそのままゆっくりと城下街を走り続け、城門を越えて、城へと到着した。ルキフェルが先に馬車を降り、アズリアへ手を差し伸べる。アズリアは少し迷ってから、彼の手を取った。ルキフェルは、ほんのわずかに目を細めた。
「疲れているだろう。今日はもう、休むといい」
「ありがとうございます」
触れた手は、彼女が思っていたよりも温かかった。
アズリアは、少し前に見た夢を思い出そうとした。夢の中でも、彼の温もりを感じていた気がする。彼女が夢を思い出そうとすると同時に、ジクリと頭が痛んだ。
「体調が悪いのか?」
「いえ……」
「だが、今、顔を顰めただろう?」
随分と、よく見ているんだなとアズリアは驚きながらルキフェルを見た。それから、彼が心配そうな目をしていることに気づいて、誤魔化すのをやめる。
「少し頭痛がしただけです」
「……旅の疲れもあるだろう。部屋に案内する」
労わるようにエスコートされながら、アズリアはオニキス城へと足を向けた。玄関前には、すでに使用人たちが整列していた。
「お帰りなさいませ、公爵閣下」
彼らに迎えられ、ルキフェルは短く頷いた。
「客人のアズリアだ。丁重にもてなしてくれ」
「かしこまりました」
(客人……)
婚約を破棄され、行き場を失った自分をルキフェルはここまで連れてきてくれた。けれど、なぜ彼は彼女を助けてくれたのだろう? 少し前にも悩んだ疑問がアズリアの元へと帰ってきた。
ゲームの中のルキフェルは、誰かを気まぐれに助けるような人物ではない。——断罪された令嬢を、自分の領地へ連れ帰るなんてことはしない。
(……やっぱり、何かがおかしい)
アズリアが思考を巡らせている時だった。
「閣下」
玄関の奥から、ひとりの従者が足早にやってきた。
「王都より、使者が参っております」
「使者?」
「はい。王太子殿下のご来訪について、先触れが」
アズリアは思わず顔を上げた。王太子ミハエルはゲーム『聖女リリアと光の福音』のメインヒーローだ。
(……どうして?)
アズリアにはミハエルがオニキス公爵領を訪れる理由が思いつかなかった。現国王の異母弟であるルキフェルと、現国王の唯一の子であるミハエルは、あまり仲が良くないはずだ。少なくとも王都から遠く離れた公爵領を突然、訪ねてくるような間柄ではない。
「いつ来ると?」
「明日の昼頃には、こちらへ到着するとのことです」
「……随分早いな。準備を頼む」
「かしこまりました」
従者が一礼して去っていく。ルキフェルは無言でその背中を見送って、アズリアへと視線を戻す。
「……アズリア」
「はい」
「何があっても、俺の許可なく屋敷の外へ出るな」
その声は、先ほどまでよりも低かった。急にピリリと尖った雰囲気になったルキフェルに、アズリアは戸惑いながらも頷く。
「……分かりました」
(断罪された令嬢が居ては体面が悪いから? ……そんなことを考えるなら、アズリアを連れてきてない、かな? ……となると王太子が来るから……?)
アズリアは、無言のルキフェルを仰ぎ見る。彼の紫色の瞳は、ひどく険しい色を帯びていた。
——まるで、これから訪れる何かを知っているかのようだった


