浪費家王子に婚約破棄されましたが、王女だった(隠れ)王子に財務相談役として囲い込まれています

 王城の長い廊下を、シャルロットは静かに歩いていた。
 そこここで、文官達がせわしなく歩き回っている。生き生きと働いている彼らを見ながら、シャルロットはほんの少しだけ口元を緩ませる。

 城内の雰囲気は驚くほど変わった。
 退廃的な空気と貴族たちの虚栄心、そして権力者の陰にひたすら怯える文官たちの絶望感に満ちていたあの時が、もう遠い昔のことのように思える。


 クリスティーヌ――もとい、クリスチャンが正当な地位を手に入れてしばらく経った。
 内政における彼の手腕は、周囲の予想を遥かに超えている。

 彼はまず、腐敗の進んでいた人事から手を付けた。
 議会の解散と要職の整理をし、元王妃の息がかかっていた派閥を一層。国王の公務正式復帰に合わせて、バランスを重視した新体制を発足させた。

 次に、隣国との不当な交易を正すよう動き始めた。借財の返済計画を練り直し、財政を再建するために奔走しているという。


 元気でいてくれたら、それで良い。
 シャルロットは、小さく息をついた。

 目的地へ向かいながら見知った廊下を曲がる。すると、背後から聞き慣れた声が降ってきた。

「ロティ」

 びくりと肩を振るわせ、シャルロットは足を止める。
 振り返ると、そこには見違えるほどに精悍な顔をしたクリスチャンが立っていた。

 服装は当然、男物。
 惜しみなく鍛えられる環境になったからか、体つきはひと回りほど大きく、逞しく変化しているようだ。
 シャルロットは、その場に深く深々とお辞儀をする。

「クリスチャン殿下、ご機嫌麗しく……」
「やめてくれロティ。君と僕との間でそんな堅苦しい挨拶」

 クリスチャンは痛ましそうに眉をひそめ、距離を詰めようとする。
 だがシャルロットは、半歩、後ろへ下がった。

 行き来する人たちの、冷たい視線を背中に感じる。
 王城内では侍従や侍女だけでなく、ここで仕事をしている貴族や専門職の者らが多く出歩いているのだ。
 王子の身分を取り戻したクリスチャンが誰に挨拶し誰に話しかけるのか、誰もが興味津々に観察をしている。

 彼に近づきすぎてはいけない。
 立場が変わったのだ。

「そのようなわけにはまいりません。クリスチャン殿下」

 シャルロットがチラリと周囲を見回しながら感情を押し殺したような声を出すと、クリスチャンは眉を寄せる。
 唇を真一文字に結ぶ様子も見えた。

⚫︎「……今日はどうしたの? お父上に用事かい?」

 クリスチャンは少しだけ声を和らげ、気遣うように問いかけて来た。

「はい。父へ届け物をしにまいりました」

 シャルロットの父は海運省で相談役を勤めている。
 このところ王城に詰めている父に、頼まれた本を持ってきた。

「そう。じゃあ用事が終わったら久しぶりにお茶をしよう。マージも君に会えるのを楽しみに待っているよ」

 少し明るく誘う彼の言葉は、彼がまだクリスティーヌであった頃を思い出させた。彼の乳母マージの淹れてくれる温かいお茶の香りが、記憶の底から蘇る。

 本当は、昔のように何も気にせず話したい。
 たった一人の親友だ。
 『性別が変わろうとその事実は変わらない』
 そう言えたら、どれほどよかったことか。

 しかし、今の彼はこの国を背負う唯一の王位継承者であり、自分は国を追われた男の元婚約者なのだ。もう、あの日々は戻らない。

「いえ、用が終わればすぐに戻るよう言いつかっておりますので。申し訳ございません。では……」

 シャルロットは周囲の人間に見せつけるように、毅然と頭を下げる。そして、彼の返事を待つことなく、足早に回廊を去っていった。






 遠ざかるシャルロットの後ろ姿を、クリスチャンはただ見つめていた。
 彼女の靴音が遠のき、角を曲がって完全に見えなくなるまで、その場から一歩も動くことができない。
 遠目で様子を伺っていた貴族たちはチラチラと遠慮がちに視線を送り、侍従たちは気付かぬふりで去る。

 周りの視線など、どうでも良かった。
 クリスチャンの目元が、苦しげに歪む。

 ようやく本来の自分に戻れた。偽りの仮面を脱ぎ捨て、一人の男として、シャルロットの前に立てるようになったのだ。
 
 起こりうるはずのない、奇跡が起きた。
 甘い夢だと自ら切り捨てたその夢が、ようやく叶ったというのに……。

 伸ばしかけた右手が、虚空を掴んで力なく落ちた。
 近づこうとすればするほど、彼女との間の溝は、冷たく深まっていく。

「……ずっと一緒にいるって、約束したじゃないか」

 ぽつりと溢れた呟きは、誰に届くこともなく静かな廊下に消えた。
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