魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます
第十章 相談・北の保存食
研究会の相談は、少しずつ形を変えていった。味の相談だけでなく、「保存」の相談が来るようになったのだ。
北の雪国出身の学生エリクの相談は、干し肉だった。故郷では冬の間、肉と魚を干して塩で締め、それが春までの命綱になる。けれど学府の寮に持ち込むと、真冬を待たずに香りが平らになり、味も落ちるという。
「王都は、暖かすぎるんです。故郷の干し方じゃ、持たない」
エリクが研究会に来たのは、同室の学生の苦情が先だった。「北の奴の肉が、部屋に匂う」と寮で問題になり、エリクは相談の冒頭で、まず謝った。「すみません。……捨てます。故郷から送ってきたんですが、寮じゃ無理でした」
リゼットは首を振った。
「捨てるかどうかは、調合の後で決めましょう。まず、見せてください」
包みを開けると、干し肉はまだ、救える匂いがした。
リゼットは干し肉の欠片を嗅いだ。塩の匂いの奥に、わずかな湿気の澱み。温度の高い場所で、乾燥が追いついていないのだ。
「干す前に、表面の水気を取る粉をまぶしましょう。吸湿の粉と、防腐の葉。あと、吊るす場所は風の通るところに」
三週間、温室の軒下に小さな干し棚を作って実験した。一度は失敗した。暖かい雨の日に湿気が戻り、表面に白い黴が浮いたのだ。エリクは黙って棚を見ていた。
「北では、これは家の一冬分の食い扶持なんです。失敗したら、春に死ぬ家が出る」
保存とは、文化であると同時に、命の綱だった。
組み直しは、その夜から始まった。リゼットは、失敗の記録をエリク自身に書かせた。「私が書くと、私の失敗になります。棚の主は、あなたです」。エリクは慣れない字で、雨の日付と、黴の出た場所と、匂いの変化を書いた。失敗を記録する手つきは、そのまま、故郷に持ち帰れる技術だった。
材料の手配でも、研究会の網が働いた。吸湿の粉はミレイユが実家の店の在庫から、防腐の葉は温室の栽培分から。寮の軒下に棚を置く許可は、アデルが管理係への届出の形に整えた。「実験の棚は、届出のある棚にしましょう。文句が出たとき、紙があると話が早い」
二度目の棚では、雨の日の覆いの開閉を、エリクが当番表にして寮の仲間にも頼んだ。北の保存食は、そうして寮の共同作業になった。二度目の棚は、最後まで澄んだ匂いを保った。
仕上がりの判定には、エリクの故郷の方法も使った。干し肉を指で叩き、音で乾きを聞くのだという。「祖父のやり方です。匂いだけじゃない。音と、手触りと」。リゼットはその音の判定も、記録に加えた。確かめる方法は、多いほうがいい。故郷の知恵と、研究会の記録は、対立するものではなかった。
結果は、故郷の味そのものではなく、王都で持たせるための新しい干し方だった。エリクは完成した一切れを齧り、「春まで持ちます。これで母に、送れと言えます」と言った。
香り帳の記録には、こう残った。『故郷の方法を、場所に合わせて翻訳する。保存もまた、調合』
春になって、エリクから小さな包みと手紙が届いた。新しい干し方で作った肉を、故郷の母へ送ったところ、返事が来たのだという。『王都のやり方は、違う。だが、理屈は分かる。あんたは一人前だ』。北の頑固な母の、最大の賛辞だった。エリクは誇らしげに言った。「翻訳、成功です」
包みの中には、母の干した肉も一切れ入っていた。『比べてみなさい』というのが、北の流儀の返礼だった。リゼットは二つの干し方を、香り帳に並べて記録した。故郷の方法と、翻訳した方法。どちらが上ではなく、場所ごとに正解が違うことの、確かな証拠だった。
学期の終わりには、エリクが後輩の北の学生に、翻訳した干し方を教えている姿があった。「王都ではな、覆いが要る。失敗の記録も、一緒に渡す」。方法は、人から人へ渡るとき、失敗の記録と一緒に渡る。それが研究会の流儀になっていった。
母からは、二度目の文も来た。翻訳した干し方の記録の写しを、村の女たちに回し読みしたのだという。『あんたの記録は、北でも使える。場所が違えば、加減も違う。それを書いたのが、いい』。記録は、北の台所にも届いていた。
やがて、その棚は寮の厨房の台帳にも載った。エリクの字で『北の棚』と書かれた木札が掛かり、管理人の点検の対象に、正式に加わったのだ。一人の学生の故郷の保存食は、寮の設備の一つになっていた。