魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます
第十五章 職人の店、技師の失敗
休日、ミレイユが実家の素材店へ招いてくれた。王都の市場通りの外れにある、瓶と粉と乾燥花の匂いのする店だった。素材の産地と等級を即答するミレイユの両親のやり取りは、職人の会話そのものだった。
常連の老人が、「いつもの」とだけ言って入ってきた。父は頷いて、決まった配合を量り、塩の加減を断りなく微調整した。長年の客の身体の変化を、聞かずに知っている段階の仕事だった。リゼットの「聞く」は、まだ始まったばかりだ。その先に、こういう年月があるのだと思った。
「お嬢様商売じゃないとこ、見せたかったの。香辛料はね、畑と問屋と台所の、真ん中にあるの」
店の奥で、ミレイユは帳簿も見せた。仕入れの季節で値がどう動き、どの産地が不作だったか。――この日学んだ産地と流通の見方は、後のリゼットの調査で何度も効くことになる。
帰り際、ミレイユの父が、目隠しの利かない形で、小さな試しを出した。三つの小皿の粉の、等級を当ててみろ、という。リゼットは二つを当て、一つを外した。外したのは、二つの産地を混ぜた粉だった。「混ざると、故郷の匂いが嘘をつくんです」
「間違えた理由が分かる客は、職人になれる」と父は笑って、その混ぜた粉を彼女に売った。「勉強代だ」。産地と流通の見方は、こうして身体にも入っていった。
帰り際、市場の露店で、リゼットは小さな買い物をした。故郷の母への土産の乾燥花。自分の小遣いの範囲で、値段を聞き、産地を聞き、包み紙の結び方まで見せてもらった。たった一つの買い物だったが、「客として市場にいる」のは、彼女にとって初めての経験だった。ガスパールは一歩下がって待ち、人の波の中で彼女の居場所を、目で守っていた。
その週の放課後、温室で小さな事故があった。セドリックが試作していた温室用の循環ポンプが、過熱して異音を立てたのだ。止めるべきか、様子を見るかで周囲が迷う中、リゼットは金属の焼ける匂いと、魔力の「軋み」を聞き取った。
「今、止めて。調律がずれてる。このまま回すと、管が裂ける」
セドリックは即座に止めた。点検すると、彼女の指摘した箇所の継ぎ目に、熱の偏りがあった。彼の手の甲には、小さな火傷ができていた。リゼットは救急箱の冷却の軟膏に、冷ます葉の粉をほんの少し混ぜて渡した。「技師の手当ては、調合師の仕事のうちです」
その夜、セドリックは工房の壁に、自分の字で大きく書いたという。『軋みを聞いたら、止める。止めるのは、失敗ではない』。職人の家に伝わる「根を詰める美徳」に、彼自身が最初に引いた線だった。
「……勘じゃないんだな、お前の耳は」
「勘ではあります。でも、磨いた勘です」
セドリックは笑い、それから真顔で言った。「装置の調整、今度から手伝ってくれ。――対等に、だ」
四属性の令嬢としてではなく、調律のできる技術者として頼まれたこと。それは、彼女にとって勲章よりも嬉しい申し出だった。
帰り道、セドリックはもう一つ頼んだ。
「工房の作業の組み方も、見てくれないか。うちは代々、職人が根を詰めるのが美徳でな。……過熱に気づける人間が、仕組みのほうも見られるんじゃないかと思って」
人を壊さない作業場の作り方。その相談は、厨房の外へ、彼女の仕事を広げていった。
一週間後、リゼットは一枚の提案を持って工房を訪ねた。細かい調律作業は午前と午後に分け、長くても二刻まで。匂いの点検は時刻を決めて交代で。そして、止める判断は現場の誰でも出せること。工房の主であるセドリックの父は、しばらく一枚を見て、一つだけ、その場で採用した。「匂いの点検時、だな。これは今日からやる」。全部は通らなかった。けれど一つの規則が、職人たちの現場に、その日から増えた。
帰り際、工房の主は、ぽつりと聞いた。「……で、あんた自身は、止まれるのかね」。リゼットは、誤魔化さなかった。「練習中です。止める約束を、人と交わして、守る練習をしています」。主は頷いた。「なら、いい。規則は、作った本人が守って、初めて規則だ」
後日、工房から小包が届いた。主の使い古した、粉を量る小さな匙だった。柄には、長年の手の跡が光っていた。添えられた紙には、一行。『匂いは、鼻だけで見るもんじゃない。手でも見ろ』。職人の店の道具が、彼女の調合箱の脇に、一つ増えた。