魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます
第十八章 違う香り
秋のはじめ、故郷から小包が届いた。
母の手紙と、今年収穫された辺境の香辛料。緋椒、香芹、甘い樹皮――研究会の仕入れのために、実家から毎年送ってもらっているものだった。リゼットは厨房で包みを開け、緋椒の袋に顔を近づけた。
手が、止まった。
辛さの奥に、澱みがある。水の流れの悪い場所の匂い。微かだが、確かに、甘く腐ったような――。
背筋が冷えた。あの日の匂いだった。還流節で、噴出の直前に嗅いだものと、同じ質の澱み。
「会長、どうかしました」
ミレイユの声で我に返った。
「……この緋椒、去年のと比べてみます。標本の棚から、三年分、出してもらえますか」
リゼットは昔から、年の違う香辛料を少しずつ標本に残していた。前世の店主の癖でもあり、香り帳と対になる記録だった。並べて嗅ぐ。一昨年のものは、辛さが澄んでいる。去年のものには、ほんのわずかな重さ。今年のものには、はっきりした澱み。
年限の標本が途切れずに揃っていたのは、母の配慮でもあった。事故の年から、母は毎年、収穫の最初の一握りを小瓶に分けて、彼女の棚に残させていたのだという。「あんたの鼻が、領の財産になる日が来るかもしれないから」。母の先見は、この日、彼女の手の中で証拠の列になった。
その作業の途中、一度だけ、札の年を取り違えた荷が届いたことがあった。嗅いだ瞬間、今年のものにしては香りが「古い」。彼女は結論を急がず、ダリオに再送を求めた。届いた正しい荷は、確かに今年の香りだった。「鼻は、証拠にはならない。でも、間違いには気づける」。標本の方法が、彼女を慎重にもした。
対照のためには、辺境以外の標本が要った。ロッシュ教授が貸し出してくれた、王都近郊産の古い標本と、港から入る輸入品の標本を取り寄せ、同じ手順で並べた。王都近郊のものには、澱みはない。港の輸入品にも、ない。標本室で嗅いだ、五十年物の辺境産にも、なかった。澱みは、辺境の、しかも還流節に近い畑のものにだけ、年ごとに濃くなっていた。
「条件を揃えて、違うのは場所だけにする。それが比べるということだ」
教授の貸出の条件だった「方法を記録に残すこと」を、彼女は標本帳の冒頭に書き写した。
単年の天候のせいではない。三年かけて、同じ方向へ、少しずつ。
目隠しの比較もした。王都産の緋椒、港町の緋椒、辺境の緋椒。ミレイユとセドリックには、どれも同じ辛い匂いにしか感じられなかったが、リゼットには違いがはっきりした。王都産は澄み、港町産は潮の重さがあり、辺境産にだけ、あの澱みがある。
「産地の個性、ではなくて?」とセドリックが聞いた。
「個性なら、三年前の辺境産にもあるはずです。これは、途中から混ざったものだと思います」
ミレイユは標本瓶を光に翳し、真面目な顔で言った。「会長の鼻が言うなら、調べる価値はあります。物の変化は、まず『気のせい』から始まりますから」
「気のせい、ではないと思うんです」
その夜、供給のために来たクロードが、彼女の上の空に気づいた。
「何かあったな」
「……故郷の香辛料の、香りが変わってきています。それも、あの日の匂いに近づいて」
クロードの手が、一瞬止まった。供給は滞りなく終わったが、二人とも、その言葉の重さを分かっていた。二度目の兆候かもしれないものを、笑って流せるはずがなかった。
その夜のうちに、リゼットは新しい帳面を一冊、起こした。表紙には『澱みの記録』と書いた。標本の年と産地、比べた条件、誰が嗅いで何と言ったか。個人の勘を、検証できる記録に変えるための帳面だった。翌日、彼女はミレイユに、流通の経路で十年以上前の在庫標本が手に入らないか、相談を持ちかけた。調査は、厨房の棚から、少しずつ広がっていった。
最初の頁には、すぐに二人目の記録が入った。ミレイユが目隠しで同じ標本を嗅ぎ、「私は、甘さより先に、重さを感じます」と言ったのだ。リゼットは自分の印象を書き直さず、二つの記述を並べて残した。食い違いも、記録のうちだった。鼻は一人分より、二人分のほうが正直になれる。
手紙も三通、出した。父へは、領内の古い収穫記録の開示を。ダリオへは、過去の買い付け帳の写しを。レオンへは、巡回のついでに、還流節に近い畑と遠い畑の、土の採取を。秘かに進める調査ではなかった。聞く相手を増やし、記録を重ねる。彼女の調査は、最初から「皆で確かめる」形を取っていた。