魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます
第十九章 中継所への日帰り


数字の前に、現場を見たかった。
セドリックの紹介で、王都近郊の巡環網中継所へ、監視付きの日帰り調査が許可された。医務室の許可条件は厳しかった。滞在は二時間まで、残響の深読みは禁止、ガスパールとセドリックの同行。
道中、馬車の中で、セドリックが中継所の略図を描いて説明した。蓄める、整える、渡す。その三つの繰り返しが、国の端まで続いている。「ノエル君の装置と、理屈は同じなんです。あっちは小さい分、精密ですが」
中継所は、思ったより古く、思ったより静かだった。人手は三人。装置の半分は彼女の生まれる前の型だった。大きな調整輪は固く、回すのに二人がかりで、老練の術者は「週に一度、油を差すのが私の仕事です」と笑った。設備は、人の手当ての上に、かろうじて巡っていた。案内してくれた老練の運用術者は言った。
「昔は交代要員が倍いました。今は、回せば回るので」
案内の途中、彼は当直日誌の棚を見せてくれた。古い巻では、一日の記録が頁いっぱいに書かれている。水の様子、装置の音、交代の申し送り。巻を追うごとに、字は減っていった。最近の巻は、数値が数行と、判だけだった。
「書く人間が減れば、記録も痩せます。……痩せた記録からは、誰も異変を読み取れんのです」
リゼットは、その言葉を「現場の声」の帳面の最初に書き取った。
水路の脇に立ったとき、リゼットは足を止めた。深読みはしていない。ただ、空気の匂いを嗅いだだけだ。水の匂いの下に、あの、故郷の緋椒と同じ、甘く腐った澱みが、薄く、しかし確かにあった。
「……ここにも」
彼女の呟きに、運用術者は少し困った顔をした。「まあ、水は古いですからな」
昼食は、運用術者たちと一緒だった。汁物と乾いたパン。三人で回す当直、若い術者が去年ほかの部署へ移った話、補充は来ないという話。誰も愚痴のつもりはなく、事実として語っていた。
食事を作っていたのは、老術者の娘だという。所の台所は、家族の手で回っていた。「公の網の、台所は私事なんです」と彼女は笑った。国の仕組みの端っこは、いつも誰かの家の台所だった。そのことを、リゼットは「現場の声」に書き加えた。
「王都から、こうして聞きに来た人は、初めてですよ」
帰り際、老練の術者は、棚から古い歯車を一つ取り出して見せた。交換した調整輪の、欠けた歯車だった。「動かなくなった部品は、捨てずに置いとくんです。戒めにね。……網は、こういう小さい欠けの集まりで、痩せていく」。その歯車は、彼の何十年もの当直の、ささやかな記念碑だった。
帰り際、若い見習いの術者が、思い切ったように聞いてきた。
「お嬢さんは、どうやって『澱み』が分かるんですか。俺たちには、水は水でしかなくて」
リゼットは、汲み置きの水と、節の水の、二つの椀を並べてもらった。「まず、比べることからです。片方だけでは、分からない。……ほら、節の水のほう、匂いの底が、少しだけ重い」
見習いは何度か嗅ぎ比べ、やがて、おずおずと頷いた。「……言われれば、確かに」
「最初は半分でいいんです。比べる椀を、いつも二つ用意すること。それだけでも、現場は変わります」
帰り際に、老練の術者が言った。リゼットは香り帳とは別の、小さな帳面に「現場の声」と題して、その日の話を全部書き取った。数値ではない記録。だが後の計画では、この声の帳面も、数字と同じだけの重さを持つことになる。
帰りの馬車で、セドリックが言った。「うちの工房は、中継所の整備も請け負っています。……正直に言いますと、その整備の予算も、年々削られているんです」。作る側、直す側、使う側。どこでも同じ細り方が進んでいた。巡環網の病は、網の隅々まで、同じ形で広がっていたのだ。
古い、で片付けられてきたもの。辺境の畑も、この中継所も、同じ言葉で片付けられてきたのだと、帰りの馬車の中で彼女は考えていた。故郷の異変は、辺境だけの異変ではなかった。
帰府後、彼女はこの日の調査の報告書を、医務室の許可の条件として提出した。医務の責任者は読み終えて、末尾に一行を書き加えた。『現場の声の収集は、条件付きで、今後も認める』。彼女の調査は、その一行で、個人的な外出から、認められた仕事へと格を変えた。
その報告書は、巡環院の中でも回されたらしい。季節が変わる頃、中継所から短い便りが届いた。長年、補充の要望が通らなかった所に、翌春から術者が一人増えることになったのだという。便りの末尾には、老術者の字で、一行だけあった。『古い、で片付けられなかった。礼を言う』
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