魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます
第二十五章 故郷からの手紙


調査の報告会は、厨房の長い机で行われた。
ミレイユが五十年分の記録を一枚の年表にまとめ、セドリックが模型で還流の仕組みを示し、ユリウスが古文書の裏付けを読み上げた。アデルは記録の照合係を引き受けていた。彼女の几帳面さは、この仕事では何よりの武器だった。
「三度の配分変更と、香りの変化の時期が一致します。偶然とするには、重なりすぎています」
最後に、リゼットが標本の小瓶を三つ並べた。
「……もう一つ、言わなければならないことがあります。今年の辺境の香辛料にある澱みの匂い。これは、十八歳のあの日、還流節で噴出が起きる直前に私が嗅いだ匂いと、同じ質のものです」
机の周りが静まり返った。
故郷の異変は、彼女の身体の異変と、同じ根を持っていた。故郷の畑で起きていることは、あの日の事故の、大きくて、遅い、続きだった。
その翌日、早馬の手紙が届いた。アルベールの、端的な字だった。
『還流節に近い村で、井戸水に甘い澱みの匂いが出始めた。作物に斑が出、村人に倦怠と微熱が広がっている。父上が叔父上と医官団を派遣、レオンが現場を固めている。大事にはなっていないが、進行はしている。そちらの調査結果を、至急、写しで送ってほしい』
追伸は、母の字だった。『村の長老が「お嬢様の鼻に、もう一度嗅いでほしい」と言っていました。無理はしないで。でも、あなたの仕事が、故郷の人を待たせています』
その下に、滅多に筆を取らない父の、大きな字が一行あった。『無理はするな。戻る場所は、ここにある』。訂正の跡が二つ。何度も書き直したのだろう。手紙を書くことも、この人にとっては、娘を守る仕事の一つだった。
待たせている。その言葉が、彼女を動かした。怖さより、役割のほうが、先に立った。
リゼットは手紙を読み終え、すぐに写しの手配を始めた。手は震えなかった。やるべきことが、はっきりしていたからだ。報告の写しは三部作られた。ユリウスが原本を管理し、アデルが写しを黙々と清書し、ミレイユが目録を付けた。夜更けの厨房の明かりは、学園祭の前夜に似ていた。ただ、その温かさの中に、故郷を案じる重さが混ざっていた。
「私のせい、ではありませんね」
ぽつりと言ったリゼットに、アデルが顔を上げた。
「当たり前です。あなたの鼻が見つけたんです。責任と、功績を、間違えないでください」
その言葉に、リゼットは少し救われた。
数日後、故郷からも荷が届いた。三つの村の土と水の標本に、長老たちの聞き書きが添えられていた。辺境の側でも、記録の取り方が始まっていたのだ。村ごとに違う澱みの濃さと、出始めた時期の違い。リゼットはそれを『澱みの記録』に、丁寧に編み入れた。「待たせる」と言われた仕事は、故郷の側でも、同じ記録の形で応えられていた。
報告会の数日後、ダリオが人を連れて研究会を訪れた。還流節の近くの村の農民だった。彼は斑の入った作物と、小さな水の瓶を持ってきていた。
「帳面の話じゃ、伝わらねえと思ってな。お嬢、直接嗅いでやってくれ」
水の匂いは、井戸のものと同じ、甘い澱みを持っていた。農民は数字を知らなかった。けれど、自分の畑の異変を、日にちまで正確に覚えていた。記録は紙の上だけにあるのではない。リゼットは彼の話を、その場で全部、香り帳に書き取った。
「これは、報告に添えます。あなたの言葉として」
ところが、その日の夕方、今度は学府長室から呼び出しがあった。
机の上には、封蝋の押された公文書があった。差出人は――巡環院。
「辺境の汚染に関する調査の件で、照会が来た。四属性を持つ生徒の、記録の提出と、聴取への協力を求めている」
学府長の声は慎重だった。隣に座るクロードの顔から、血の気が引いていくのが分かった。
「協力はします」とリゼットは言った。「けれど、条件を付けさせてください。医療記録の扱いは主治医を通すこと。聴取には、体調の上限を設けること。……私は、調査の道具としてではなく、調査をする側として協力したいのです」
学府長はしばらく彼女を見て、頷いた。「そのように伝えよう」
リゼットは、公文書の封蝋を静かに見つめた。
香りの話は、もう部屋の中だけの話ではなくなっていた。
その夜、故郷への返事に、彼女は一つだけ書き添えた。父が心配して「迎えを出そうか」と書いてきたことへの答えだった。『迎えは要りません。帰るときは、仕事で帰ります』。逃げ帰るのではなく、働きに行くのだ。その一行に、彼女は迷いなく判を押した。
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