魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます
第二十六章 聴取
巡環院の聴取は、学府の大講堂で行われた。
壇上に並んだのは、巡環院の次官ローラン以下、調査官たち。傍聴席には学府の教授陣と、関係する生徒だけが許された。リゼットは調査協力者として、ではなく、調査する側の席に座った。あの日、学府長室で言った条件の通りだった。
彼女たちの報告書は、すでに提出されていた。香りの変化、標本の比較、五十年分の記録の偏り。ローランはそれを一頁ずつ確かめ、やがて言った。
質疑の中で、一人の調査官が言った。「匂いの話は、主観ではないのか」。リゼットは頷いて、持参した二つの小瓶を差し出した。十年前の標本と、今年のもの。調査官は嗅ぎ、眉を寄せ、隣へ回した。瓶は壇上を一周した。誰も「同じだ」とは言わなかった。
「主観です。だから、複数の記録と重ねました。瓶は、入口にすぎません」
壇上の瓶には、アデルの付けた番号札が下がっていた。資料の順序と対応させた、記録の番号だった。途中、一人の調査官が瓶の順を間違えて手に取り、アデルが静かに言った。「四番は、そちらではありません。資料の九頁と対になっています」。証拠とは、物そのものと、物の順序の両方だった。聴取の場でも、彼女の記録の仕事は、正確に機能していた。
「あなた方の調査は、正確です。……正確すぎて、我々は驚いた。院内でも、この全体像を把握していた者は、ほとんどいなかった」
彼はそこで一度、言葉を切った。
「私自身、若い頃に中継所勤務でした。水の匂いの異変を報告したことがある。上は『気のせいだ』と――。あの時、私は引き下がった。今日の開示は、その借りを返す意味も、個人的にはあります」
個人的な告白は一言だけで、彼はすぐに次官の顔に戻った。けれどリゼットは、その一言で、この組織にも「読もうとする者」がいたのだと知った。
スクリーンに、巡環網の全体図が映し出された。網は生き物の血管のように国土を巡り、辺境の還流節で折り返していた。
「改修の記録を、開示します」
大洪水の後、王都を守るために中心部への配分が増やされた。大飢饉の年には、穀倉地帯が優先された。戦争の時には、国境の防衛線が魔力を必要とした。そのたびに、辺境への還流は「一時的に」絞られた。一時的が、三度、五十年続いた。
ユリウスが歩み出て、改修の図に三つの印を重ねた。一度目の「一時措置」、二度目の「暫定延長」、三度目の「当面の措置」。言葉は違っても、意味は同じだった。「臨時の措置には、終わりの日付がありませんでした。だから、五十年続いたのです」。彼の声は低かった。期限のない臨時ほど、長く続くものはない。その指摘は、会場の誰の反論も受けなかった。
休憩の時間、学府の廊下で、白髪の老事務官が彼女に声をかけてきた。
「……二度目の改修の命令書に、判を押したのは私です。若かった。上の決めたことに、判を押すのが仕事でした。あの判が、五十年後にこうなるとは」
彼はそれだけ言って、頭を下げて去った。仕組みとは、誰か大きな悪人の作るものではない。判を押す手の、積み重ねでできていた。
「院の内部報告書には、辺境の負荷増大への警告が、何度か上がっています」
ローランの声は、淡々としていた。
「そのたびに、優先順位で後回しにされた。悪意ではありません。けれど、結果として、遠くの土地が傷つきました。我々はそれを、認めます」
会場が静まり返った。認めるとは思わなかったのだ。けれど、次官の本題は謝罪ではなかった。
「現状の予測を、お聞きください」
還流節周辺の汚染は加速度的に進んでいる。四十日後、年に一度の魔力の巡りが最大になる「大巡りの日」に、溜まった汚染が一気に逆流する可能性が高い。その場合、還流節の村は壊滅的な被害を受け、辺境全体の農地にも影響が及ぶ。
「四十日……」
ユリウスが呟いた。短すぎる時間だった。
休憩で廊下に出たとき、リゼットの手は、わずかに震えていた。アデルがすかさず記録の冊子を差し出す。「今のうちに、今日の分を」。彼女は立ったまま、震える字で、午前中の聴取の要点を書き留めた。恐怖も、怒りも、冷める前に記録する。それが、彼女の戦い方だった。
「対策は、院で検討されています」とローランは言い、視線を、まっすぐにリゼットへ向けた。「その第一案を、次回、正式に提示します」
その視線の意味を、彼女はまだ知らなかった。