魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます
第二十七章 中核案


第一案は、三日後に提示された。
巡環網の流れを一手に整え直すには、本来、何十人もの術者が何か月もかけて行う工程が必要になる。残響で履歴を読み、調律で整え、結縁で節をつなぎ、領域で負荷を区切る――その全工程を、連続して扱える人間が、国内に一人だけいる。
「あなたです、ヴァルディエ嬢」
計画は、丁寧に作られていた。王都の中央施設に専用の居室と医療棟を用意する。彼女はそこに住み、巡環網の中核として流れの調律を担う。専属の医官団が付き、供給者のクロードも国家公務として正式に任用され、彼女の傍に配置される。報酬も、身分も、家族への補償も、破格の条件が並んでいた。
「期間は、安定するまで。……見通しとしては、十年単位になります」
十年。その言葉の重さを、会場の全員が量っていた。
続いて読まれた医療附属書の細部は、どれも穏やかな言葉で書かれていた。外出は医療上の必要がある場合に限る。面会は事前申請制で、一回三十分。手紙は、運用に影響する内容がないか確認のうえで渡される。一つ一つには「安全のため」の一文が添えられていた。一つ一つは小さな制限で、積み重なれば、人生そのものの形が変わるというのに。
説明が終わり、質疑の時間になって、リゼットは一つだけ聞いた。
「……施設の食事は、誰が作るんですか」
場が、微かに揺れた。計画の書類には、栄養管理の項目はあっても、「誰が作るか」は書かれていなかった。彼女の十年は、数値と工程と医療で設計されていて、食卓の向こうの顔は、設計の外にあった。
「細部は、今後詰めます」と担当官は答えた。その答え自体が、計画の形を物語っていた。悪意はない。だが、人の生活は、細部にしか存在しないのだ。
リゼットは、すぐに答えなかった。答えられなかった。
故郷の村の顔が浮かんだ。井戸水の匂いに怯える村人。畑に斑の出た作物。レオンの巡回の兵たち。あの村を救える方法が、これだと言われている。自分の力で救えるなら――救うべきなのではないか。
なのに、同時に浮かんだのは、温室の厨房の窓だった。仲間の声。香り帳の頁。「私の居場所」という字。
どちらを選んでも、何かを裏切る気がした。
その夜、故郷から両親の連名の手紙が届いた。父の字は短かった。
『中核案の噂は、こちらにも届いている。先に言っておく。父は、娘を国の部品として差し出すつもりはない。領主としては領の総力を挙げて協力する。だが、お前は部品ではない』
母の字が、その下に続いていた。
『迷うのは当然です。迷うことを、自分に許しなさい。答えは、急がなくていいのです。大巡りの日までではなく、あなたの心が決まるまで、私たちは待ちます』
リゼットは手紙を抱えて、長く泣いた。
泣き止んでから、彼女は短い返事を書いた。『迷ってもいいと書いてくれて、ありがとうございます。決めたら、最初に、家に知らせます』。答えはまだ出ていない。けれど、迷う時間を許されたことが、すでに彼女を、少しだけ軽くしていた。
翌日、彼女はローランに、一つだけ質問をした。
「中核案で、私の身体は、どれくらい持ちますか」
次官は、しばらく沈黙してから答えた。
「……その評価は、主治医に正式に求めているところです」
その答えが、答えだった。
後日、院の案内で、中央施設の予定地を見学する機会があった。静かな丘の上、清潔な病棟、見晴らしのいい居室。食事は小窓から膳で届けられ、職員の食事は交代で、各自の持ち場で取るのだという。若い職員が笑って言った。「静かで、仕事に集中できますよ」
庭の隅では、年配の庭師が一人、黙々と植え込みの手入れをしていた。昼の食事も、一人で取るのだという。誰もそのことに、疑問を持っていない様子だった。守られる場所の静けさは、こういう一人ひとりの孤独の上にも、成り立っていた。
帰りの馬車で、リゼットはずっと黙っていた。あの丘の上には、厨房のざわめきも、食堂の匂いも、誰かの「おかわり」の声もなかった。守られることと、生きることは、やはり別の話だった。
宿に戻ってから、彼女は香り帳に、その日の施設の匂いを記録しようとして、ペンを止めた。書くことが、なかった。清潔で、静かで、整った、匂いのしない場所。その空白そのものが、記録だった。彼女は結局、一行だけ書いた。『匂いのない場所。――人は、ここでは暮らせない』
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