魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます
第三十章 医官の反対
医学評価の公聴会の朝、リゼットは一通の同意書に署名した。
自分の医療記録を、この場に限り開示することへの同意だった。
「私の記録は、私の弱さの証明ではありません」と彼女はクロードに言った。「戦うための、道具です」
前夜、クロードは叔父と二人で、発言の原稿を確認していた。叔父は言った。「この発言をすれば、お前の医官としての将来は、巡環院では終わるかもしれない」。クロードは原稿を置いて、静かに答えた。「署名できない計画に、黙って従う医者でいるほうが、私には終わりです」。叔父はしばらく黙って、それから原稿の一文字の誤りを、指で示した。「なら、正確にやれ」。それが、年長者のできる応援だった。
壇上に立ったクロードは、医官の顔をしていた。個人的な感情を一切排した声で、彼は記録を読み上げていった。彼女の魔力の残量の推移。供給の周期と、その遅延が招く症状の段階。中核案で想定される負荷を、彼女の身体に当てはめた場合の予測。
「中核の職務を継続した場合、彼女は恒常的に、症状の第三段階――体温低下と脈の乱れ――に留まることになります。不可逆な衰弱までの見通しは、年単位ではなく、季節単位です」
会場がざわついた。ローランが身を乗り出した。
「だが医官。四十日後に村が一つ消えるかもしれないのだ。一人の負担と、数百の命を、どう比べる」
「比べていません。医師として、署名できないと言っているのです」
「医官」とローランは重ねて聞いた。「君自身の立場は、どうなる。それでもか」
「私の立場は、主治医です。それ以上でも、それ以下でもありません」。個人的な犠牲の物語にしない。それが、彼の発言の強さの置き場所だった。
クロードは、もう一枚、図を掲げた。
「そして、実務の話をします。中核が途中で倒れれば、調整中の巡環網は制御を失います。一人に全工程を集中させる案は、彼女の命を期限付きの燃料にするだけでなく、国にとっても、最も脆い設計です。壊れる場所が一つしかない仕組みは、必ずそこで壊れる」
一人が休めば壊れる仕組みは、大切なものを長く守れない――それは、彼女が小さな厨房で学んだことと同じ言葉だった。その言葉を、この人は、公の場で、国の機関に向かって言った。
公聴会は結論なく閉じられた。けれど空気は変わっていた。教授陣の中から、「代替案の検討を」という声が上がり始めた。
散会の廊下で、巡環院の医官の一人が、クロードに小声で言ったという。「院の医務側にも、懸念はありました。……言えなかっただけです」。若い調査官セインは、公聴会の発言を一語一句、速記していた。その記録が後に公開資料の一部になることを、その場の誰もまだ知らなかった。
その晩、院の年配の医官から、クロードのもとへ、封のない小さな包みが届いた。医務側が内部で回していた懸念の覚書の、写しだった。表紙に一言だけ、走り書きがあった。『表で言ってくれて、助かった』。公の発言は、言えなかった者たちの分まで、届いていたのだ。
リゼットは、その晩のうちに短い礼の文を書いた。だが送らなかった。今はまだ、医者と患者のあいだの文にするべきではないと思ったのだ。文は、彼女の記録の冊子のあいだに挟まれた。感謝の置き場所も、彼女は選んでいた。
翌日の定期検診では、脈が少しだけ速かった。クロードが首を傾げる。「……昨日は、緊張したか」
「いいえ」。彼女は正直に言った。「昨日、あなたが言ってくれたからです」
彼は何も書かず、少しの間を置いて、言った。「数値は、範囲内だ」。それ以上は、何も言わなかった。けれど次の週の検診の日は、彼がいつもより早く、医務室の戸を開けて待っていた。
*
その裏で、ガスパールは板挟みになっていた。
巡環院の警備部門から、彼に命令が届いていた。聴取の期間中、彼女を学府の敷地内に留め、動向を報告せよ――「保護」のためだという。彼は命令書を二日、懐にしまったまま、辺境侯家に問い合わせの文を送った。
三日目、彼は巡環院の詰所へ出向き、正式に異議を申し立てた。
「お嬢の護衛は、領主家の命によるものです。閉じ込めるための鍵になれ、という命令には、従えません」
「処分の対象になるぞ」
「承知しています。……お嬢を守るのが、私の仕事です。檻を守るのは、仕事ではない」
その報告がリゼットに届いたのは、夜だった。彼女はしばらく黙って、言った。
「ありがとう、ガスパール。……ごめんなさい、私のせいで」
「仕事です」
彼は照れたように言った。けれど、その「仕事です」は、入学の日とは違う重さで響いた。
後日、巡環院からガスパールへ、正式な戒告が届いた。同じ日、辺境侯家からは、彼の護衛任務を明文化した新たな任命書が届いた。本人の懐には、その二通が一緒に畳まれているという。
「両方とも、仕事の証拠ですから」
彼はそう言って、剣の柄に手を置いた。