魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます
第三十九章 誰も一人で
数値が確定したのは、三日後だった。
*
同じ大巡りの日の午後、クロードは隣の区画の医療班にいた。そちらの節では負傷者が出て、彼は包帯と浄化の補助に追われていた。遠くで還流の開く気配が変わったとき、彼は手を止めずに、若い医官に言った。
「向こうの報告は、後でいい。目の前の人を、先に」
彼女の傍にいないこと。それが今回の自分の持ち場なのだと、彼は自分に言い聞かせていた。信頼とは、駆けつけることだけではない。任せて、自分の席にいることも含むのだと。――そのことを、彼はこの日、身体で覚えた。
*
還流の流量は基準を超え、術者たちの負荷は、全員、上限の内側に収まっていた。倒れた術者も、回復して炊き出しの汁物を飲んでいるという。
本部の広間で、ローランが正式な決定を読み上げた。
分散還流計画は、成功と認定された。今後、数年をかけて、全国の区画へ段階的に拡大される。あわせて、巡環院の運営評議会に、地方の代表の議席が新設される。第一の議席には、辺境を含む還流地の代表として、ヴァルディエ家が推挙された。運用の記録は、原則として公開される。
「五十年、後回しにされてきた声を、今度は仕組みの中に入れる」
ローランはそう言って、父に向かって頭を下げた。父は領主として、それを受け取った。
議席の文書には、もう一つの細目があった。地方の議席は、家に固定せず、数年ごとに還流地の領々で持ち回ること。父はその条項を読み、「当然だ。一つの家が、声を独占してはいけない」と言った。声の席もまた、輪番だった。
改革の細目も、その場で読み上げられた。各地の節に負担の上限を定め、輪番制を制度化すること。中継器を各地に分散配置すること。配分と改修の記録を、原則として公開すること。そして、巡環院の運営会議に、地方の代表が席を持つこと。
記録の公開の項では、セインが小さく拳を握ったのが見えた。ガルスの写しが棚の奥から戻ってくるまで、二十年かかった。その二十年を、二度と誰にも払わせないための条項だった。
後日、セインは巡環院の記録官として辺境に残り、公開目録の整備を担うことになった。彼女が最初に正式な整理番号を与えたのは、ガルスの写しの束だった。「番号が付いたら、もう棚の奥には戻れません」。若い記録官の言葉に、ガルスは黙って頷いた。
リゼットには、巡環院からの協力要請が改めて届いた。最も難しい節の調律への、助言者としての協力。ただし条件が付いていた。年間日数の上限、主治医の拒否権の明記、輪番の中の一員としての位置づけ。中核ではなく、一員として。
彼女は、その文書に署名した。協力することと、背負い込むことの間に、線が引かれた文書だった。
村人の帰還は、少しずつ始まった。長老は祠の前の畑に立ち、言った。
「土が戻ったら、最初の実りを、お嬢様の箱に」
「約束ですよ。……空けて、待っていますから」
帰還の最初の週、長老は同じ畑の隅に、環の実の種を蒔いた。何年も実らなかった在来種の、保存されていた種だった。傍らでイナが、村の帳面に記録した。蒔いた日、土の様子、種の出どころ。「実るかどうかは、季節が決めます。でも、蒔いたことは、記録に残ります」。頷く長老の顔は、請願のときより、ずっと穏やかだった。
クロードの記録には、その週の最後に、短い追記があった。リゼットは偶然それを見た。
『作戦期間中、供給は装置経由、多名の提供者により実施。単一供給者への依存、解消の途上にある』
事務的な一行だった。けれど彼女には、それが何よりの報告書に思えた。
隣の区画から戻ったクロードと本部の前で行き会ったとき、彼は挨拶の代わりに、反射のように彼女の手首に指を当てかけ――途中で、手を止めた。作戦は終わった。彼女は、もう「確認すべき患者」ではなかったのだ。
リゼットは、自分から手首を差し出した。「測ってください。報告の代わりに」
指が触れる。数値は、安定していた。ただ、測り終えた後も、ほんの少しだけ、その手は離れるのが遅かった。――二人とも、その少しには、触れなかった。
帰京の朝、リゼットは一人、還流節の祠に寄った。濡れた石と、若い草の匂い。あの日と、同じ場所。けれど空気には、もう甘い澱みはほとんどなく、流れる水の匂いがした。
汚染が消えたわけではない。畑が戻るには、季節が要る。網の改革も、何年もかかる。けれど、道は開かれた。誰か一人の身体に頼るのではない道が。
馬車に乗り込みながら、リゼットは思った。残るのは、卒業と、そして――自分の人生の、細部を決めることだった。
――季節が一つ巡った頃の、後日談。ダリオから帳面の写しが届いた。改革後の最初の買い付けで、辺境産の等級が、十年ぶりに下がらなかったのだという。『数字は小さいですが、畑の人には大きな話です』。制度の変化は、商人の帳面の上にも、最初に小さく現れた。