魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます
終章

一 卒業と引き継ぎ



卒業式の日、温室の厨房には、新しい会長の名前が書かれた札が掛かっていた。
研究会は、リゼットが卒業しても続く。後輩たちが引き継ぎ、厨房の掃除の仕方から、相談の記録の付け方まで、彼女の残した手順がそのまま使われていた。ミレイユは王都で道具と材料の店に就き、研究会の仕入れ先として名前が残った。セドリックは巡環網の中継器整備隊へ。アデルは巡環院の記録部門に配属され、「公開記録の整備が、私の仕事になりました」と、相変わらず端正な字で手紙をくれた。
卒業式では、彼女の席は列の端に、座面の低い椅子が用意されていた。誰の指示とも分からない、さりげない配慮だった。四年前なら、式そのものへの出席が協議されただろう。いま、彼女は同級生と並んで座り、名前を呼ばれて、頷いて、証書を受け取った。学府長の式辞には、こんな一節があった。「学びとは、記録を次の者へ渡すことである」。彼女は、自分の四年間が、その一節に少しは近づけたのではないかと思った。
式の次第の冊子には、卒業生の活動の欄に、研究会の名と、相談の記録の公開の件が、小さく載っていた。個人の功績としてではなく、学府の実践の一つとして。彼女の四年間は、そうして学府の記録の一部にもなった。
「会長、と呼ばれるのも、今日までですね」
後輩にそう言われて、リゼットは笑った。寂しさよりも、安堵のほうが大きかった。自分の作った場所が、自分なしで続いていく。それはもう、彼女にとって寂しいことではなかった。
卒業を控えた週、下級生の一人が彼女を訪ねた。別の研究会を立ち上げたいが、何から始めればいいか、という相談だった。リゼットは三つだけ答えた。「聞き取りの表を作ること。失敗も書くこと。そして、抜けても回る当番を、最初に決めること」。下級生は熱心に書き取った。方法は、こうしてまた一人へ渡っていった。
卒業の前日、リゼットは温室の厨房へ、最後の挨拶に寄った。戸の外から見ると、後輩たちが相談を受けているところだった。若い会員が、彼女の作った聞き取りの表を広げ、相談者の話に頷きながら書き取っている。――彼女は、入らなかった。ノックをしかけた手を、下ろした。自分の場所が、自分の不在で完成する瞬間を、邪魔したくなかったのだ。帰り道、彼女は一度だけ振り返って、小さく頭を下げた。
厨房の壁の鉤には、彼女の前掛けが掛けたままになっていた。後輩の会長が言っていたそうだ。「戻ってきたときの分です」。抜けた人の場所を、消さずに空けておく。それもまた、引き継ぎの形だった。
寮の部屋の片付けは、セラが手伝いに来た。四年分の荷物は、思ったより少なかった。本と、香り帳と、調合箱。供給予定板の木の駒は、外して箱の小物入れにしまった。「これは、持って帰ります。……記念じゃなくて、まだ使うから」。温室の道具一式は、研究会の棚に置いていく。自分の物と、場所の物を分けることも、引き継ぎの一部だった。
引き継ぎの最後に、彼女は研究会に一冊の本を残した。歴代の相談の記録を、方法ごとに綴じた冊子だった。表紙には、彼女の字でこうある。『相談の記録――聞くことから始めること』。アデルは送別の挨拶の代わりに、短く言った。
「記録は、私が守ります。……公開の整備も、ね」
卒業の日、ロッシュ教授から小さな包みが届いた。標本室の、五十年物の辺境産の緋椒――澱みのなかった、あの標本の分け前だった。添えられた文にはこうあった。『証拠は、棚の中だけのものではない。君の店の棚にも、置いてもらえたら嬉しい』。老教授なりの、餞の形だった。
ミレイユからは、開業祝いが先に届いた。丈夫な布の前掛けで、胸のところに研究会の印が小さく刺繍してあった。「店の顔は、まず前掛けよ。あんたの工房でも、私の印、使わせてもらうから」。卒業は、別れの日であるのと同時に、関係の形が変わる日でもあった。
ノエルからの餞は、小さな手入れ道具の組だった。金具の油差し、耳に当てる小さな聴診の筒、布。添えられた文は一言だけ。『道具は、持ち主の手で。卒業、おめでとう』。五年前に箱と一緒に渡された教えが、餞の形で戻ってきたのだった。
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