魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます

二 工房の準備



帰郷して最初の一月、リゼットは工房の「申請書」を書いていた。場所、予算、営業日数、休む日の決め方まで。審査員は、当然のようにアルベールだった。
「営業日、週五日は多い。三日にしなさい。――人は、余力を残した計画のほうが、長く続く」
四日で決着した。場所は市場の外れの、元は問屋の倉庫だった一角で、ダリオが口を利いてくれた。改装の日、レオンが掛けた看板は見事に傾いていて、ガスパールが黙って直した。マレッタ老は厨房の竈だけは自分の目で確かめに来て、「これなら、粉が湿気ない」と太鼓判を押した。
*
辺境に帰って三か月、リゼットは領都の外れに、小さな工房を開いた。
看板には『調合工房リゼット』とだけある。店は週に四日、昼前から夕方まで開く。扉には営業日とともに、はっきりと書かれていた。『店主、体調により休む日があります』。それでも客は来た。いえ、その正直さが、かえって評判になった。
看板の字は、セラが書いた。扉の隅には、小さく『弟子・イナ』の札も掛かった。開業の日の朝、イナはその札を何度も撫でて、「私の名前が、店に掛かってる」と繰り返した。店は、最初から、一人だけの場所ではなかった。
店には、還流節の村から来た若い娘が、弟子として入った。長老の孫で、名をイナといった。彼女が店番をする日は、リゼットは奥で調合と帳面に専念できる。供給は月に一度、装置経由で、提供者は家族と地元の術者の持ち回りになった。医療の担当も、叔父と、地元に着任した若い医官との共同だった。
最初の持ち回りの日、クロードは王都にいて、不在だった。若い医官と術者の手で、供給は滞りなく終わった。その夜、リゼットは香り帳に書いた。『今日の魔力は、兄様でもクロードでもない人のもの。それでも、温かさはちゃんと届いた。物足りなさではなく、静けさとして』。仕組みが日常になるということは、こういう静けさのことだった。
毎日店に立てるわけではない。支援が要らなくなったわけでもない。それでも、店は回っていた。休む日があっても、続く仕組みと一緒に。
開業してすぐ、看板の約束が試された週もあった。仕込みに熱中して体調を崩し、店を閉めた日の翌週、閉めた日に来てしまったという村の老婆が、再び訪れたのだ。膝の痛みに使う塗り粉の相談だった。
「閉まってた日は、悪かったわねえ。でも、正直な店は、信用できる」
その老婆が、最初の常連になった。週に一度、買い物ついでに寄り、粉を受け取り、村の様子を置いていく。――店とは、物だけでなく、話の巡る場所でもあった。
孫の腹の弱さを相談に来た農夫には、彼女はいつもの三つを聞いた。何日続いているか。食べられるものは何か。温かいものなら入るか。答えに合わせた調合を渡し、一週間後の様子を聞く約束をした。「聞くことから始める」は、学府の厨房から、辺境の店先へ、そのまま持ち帰られていた。
侍女として付いてきたセラは、いま工房の帳面と文通を預かり、週に二日は自分の調合で店に立つ。南の港の味は、辺境の客にも少しずつ馴染んできた。十六歳の冬に「自分の正解は自分の手で」と言われた弟子は、同業者として、彼女の隣に立っている。
王都の大商会から、調合の権利を買いたいという申し出も、一度だけあった。看板の調合を商品化し、国中で売るという話だった。金額は、工房の数年分に届いた。
「……レシピは、一人ひとりに聞いて変えるものです。聞く相手のいない商品には、できません」
彼女は、丁重に断った。大きく売ることではなく、目の前の人の朝を少し変えること。それが、この店の大きさだった。
ある日、近くの畑の農夫が、小さな壺に土を入れて持ってきた。「うちの畑の土です。今年は、匂いが戻ってきた気がして」。工房は、いつの間にか、辺境の変化を持ち込む場所にもなっていた。リゼットはその土の匂いを嗅ぎ、香り帳の新しい頁に、日付と畑の名とともに記録した。記録の仕事は、王都を離れても、彼女の机の上に続いていた。
秋口には、棚の隅に、小さな札が増えた。『イナ調合』。弟子の初めての、自分の名の調合だった。配合は師匠の検めを受けていたが、香りの決め手はイナの選んだ一葉だった。「私の味、です」。店は、少しずつ、次の手の場所にもなっていった。
ある日、クロードが客として店に来た。巡回用の携帯の調合を、正式に注文したいのだという。代金も、他の客と同じに払った。リゼットは他の客と同じように包み、ただ、包みの宛名の字だけは、その日いちばん丁寧な字で書いた。彼は受け取って、しばらくその字を見ていた。「……いい字だ」。夫婦になる前の、二人の新しい距離の測り方だった。
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