私を選ぶまで
 彼の名前が分かれば少し距離を縮められるけど、それを知るには幾つか会話が必要で、直接的よりも店のことに含めたほうがいい。

 外装まではよく見てなかったけど、店内は落ち着いた色で纏められているし、棚に並んだカップも綺麗に整頓され、酒の瓶もラベルが見えるように置いてある。

 ここで褒めたりするよりも、店について尋ねたほうが彼の口も開く気がした。

「この店はいつ頃から開いてるんですか?」

 そう聞いてみると、彼は煙草を口にくわえたまま、カウンターの上に置かれたグラスを手にし、綺麗な布で磨き始めながら言った。

「忙しくて覚えてません」

 相変わらず私には目も向けず、グラスを磨く手元ばかり見ていて、答え方も同じ口調だった。

 だけど、グラスを置く時に溜息を吐いて、何かを気にしているような素振りが目についた。

「店の名前、何て言うんですか?」再び尋ねてみると、ようやく彼は視線を上げた。

 そこで、携帯灰皿を取り出し、くわえた煙草を差し入れ、軽く握りながら、じっと見つめ始めた。

 すかさず私は少し笑みを浮かべ、答えが返ってくるのを待った。

 余裕のある男には急かさないことが気に入られる条件で、子供じみたことはしないほうがいいと切り替えた。

 それなのに、彼は口を開くこともないまま、私に視線を向けたままだった。

 何か言い出しそうな気配を感じ取り、再び声を掛けようとしたと同時に、背後から冷たい風が吹いてきた。

「ただいま」

 その声は若い女性のもので、振り向かずに居ると、カウンターの端に紐のような物を括り付けた。横目で見てみると、小さな犬が私に目を向けるなり、すぐに逸らして座った。

 可愛くない犬だと思いながら、カウンターへ視線を戻してみると、彼の姿は忽然と消えていて、近くから低い声が聞こえてきた。

「お帰り、お嬢さん」

 優しげな口調に目を向けると、若い女性が少し苦笑いを浮かべながら、彼と犬を交互に眺めていた。

 女性は私と同年代くらいで、身なりは都会的とは言えないけど、綺麗で可愛い顔だった。

 髪の毛も綺麗に手入れしているようで、軽く伏せた睫毛は長く、彼を見る瞳は輝いて見えた。

 鼻は小ぶりで目立たず、口元は血色や形も良く、どれも色白の小顔の中で映えていた。

 彼とは年の差があるようだし、さっきの会話から二人は兄妹だと察した。
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