私を選ぶまで
 女性はピアノから近い四人がけのテーブル席へ腰を下ろすと、傍に付いていた彼に向かって言った。

「ゆかちゃんは?」

「もうすぐ来るんじゃね、あいつ遅刻魔だし。とにかく、あったけぇ飲みもん持ってくる」

 彼は女性に言ったあと、即座にカウンターへ向かい、備え付けのコンロに小さな鍋を置き、カウンターの下のほうから牛乳パックを取り出すと、静かに注ぎ始めた。

 女性から出た『ゆかちゃん』という名前に、彼女の存在を察し、少し様子を見ていようと考えた。

 情報は多いほうが行動しやすいし、彼の好みや接し方も把握出来る。妹には過保護な面があるようだけど、彼女に対してのほうが気になる。

 ゆかちゃんが来れば彼の名前も知れるし、二人の仲も見た上で、切り上げるのが正解だと思った。

 飲みかけの珈琲もそのままに、彼のほうへ視線を向けると、口元が緩んでいて、手元と妹を交互に見ていた。

 それは完全に過保護で、妹という存在に少し手こずるような気がした。でも、妹の懐に入ってしまえば、上手く立ち回ることが出来る。そんな計画をしていたとき、背後から風が吹いてきたと同時に声が聞こえてきた。

「おつかれー。寒くて歩くの遅くなっちゃった」

 その声は、どう聞いても男性のもので、振り向く気すら起きず、聞き耳を立てた。

 すると、目の前で彼が鼻で笑い、呆れたような顔で口を開いた。

「重役出勤ごくろーさん。働く気あんのかよ」

「古河ちゃんみたくサボらないだけいいでしょ。それより、志央ちゃんは?」

 彼の名前を聞いたところで、少し振り向いてみると、軽い無精髭を生やした背の高い男性が笑みを浮かべていた。

 思わぬ存在に目を見張ると、男性は私を一瞥してから、すぐにピアノのほうへ視線を向けて言った。

「志央ちゃん、こんばんはー。今日も可愛いわね。小豆ちゃん元気?」

 声を掛けられた妹は本を読んでいたようで、軽く視線を上げてから、笑みを浮かべて男性に言った。

「こんばんは。お疲れさまです。そこに居ますよ」

 すかさず男性がカウンターの脇へ目を向けると、犬も男性に目を向け、尻尾を振り出した。

 そこで、彼がカップを手にカウンターから出てきて、犬の近くまで来ると、男性に向かって言った。

「連れて帰んなよ。やってること誘拐だかんな」

「おーこわ」と男性が言いながら、カウンターに向かっていき、彼は妹の所へ足を運んで行った。
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